Fさん(会社員・43歳)の場合
■27歳 休職中、検診で子宮筋腫が判明。核出術
■30歳 出産時に筋腫が再発していることが判明。経過観察
■41歳 再び筋腫が大きくなっていることがわかり、手術を決意。レルミナを半年間服用
■42歳 開腹手術で子宮全摘
■43歳 生理もなくなり快適な毎日
妊娠の可能性を考え、最初は核出術に
「最初に子宮筋腫がわかったのは27歳のときで、求職活動中でした。
面接のためにスーツを着なければならないのに、筋腫のせいでお腹が出てしまい、ウエストが閉まらなくて苦労しました」とFさん。
当時は結婚の予定はなかったFさんでしたが、将来的に子どもが欲しいと考えていたため、そのときは核出術を選択しました。
「手術時によく調べたら左右の卵管にも筋腫があることがわかり、卵管を押しつぶしそうになっていると。
妊娠・出産には問題ないが、もし将来なかなか妊娠しないときには卵管造影検査を受けたほうがいいと主治医に言われ、不安でした」
その後結婚したFさん。30歳で子どもを授かります。
「出産は帝王切開だったのですが、お腹を開いたときに筋腫が再発していることがわかったのです。
でもそのとき、一緒に筋腫を取ってしまうと出血がすごいことになってしまうため、取らずにお腹を閉じたそうです。
だから、後でまた手術することになるとは言われました」
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産後10年超で月経過多や貧血で悩まされるように
そこからは経過観察を続けていたFさんでしたが、出産から10年ちょっとたち、再び筋腫が大きくなってきてさまざまな症状に悩まされるようになりました。
「月経時の出血量がとにかく多くて。
昼間でも夜用ナプキンが1時間でいっぱいになってしまうほどで、生理期間中はずっとショーツの中がモコモコして不快でした。
めまいや頭痛、頻尿なども出てきていて、特に頭痛は1カ月の中で数日、頭痛薬を飲んでも治らないほどひどい日があるんです。
寝込むしかなくて、夫は協力的でしたが、育ち盛りの息子の食事がカップ麺や買ったお惣菜になってしまうときは、申し訳ない気持ちでした」

筋腫が大きくなってきて、しかも子宮の真ん中という位置にあったことから、全摘を決意したFさん。
決意に至る前にはこんな出来事も。
「子どもがもう6年生になり、来年は中学生という頃でした。
中学生になったら部活や勉強も忙しいし、思春期で親と出かけることもしてくれなくなるだろうからと、“最後のつもり”で家族旅行に行きました。
せっかくいい思い出を作ろうと思ったのに、そのときにちょうど生理が重なってしまったのです。
夫と息子と一緒にいろいろ見たかったのに、調子が悪くて全然歩けない。
『こんな思いをするくらいなら、生理なんてないほうがいいな』と…。
もともと、息子が小学生になるまでに二人目ができなければ子どもは一人でいいと思っていたので、全摘に迷いはありませんでした」
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手術前の治療で更年期症状がひどく
手術までの間、筋腫を小さくするための治療でレルミナの服用を開始。
ところが副作用に悩まされます。
「ホットフラッシュ、手足の冷えやしびれ、不正出血、人のにおいに気持ちが悪くなるなど、いろいろ出ました。
ごはんを食べて代謝が上がると、どっと汗をかいてしまうので、扇風機やうちわが欠かせない。
反対に冷えもあって、子どもの小学校登校時の旗当番をする日は、腰とお腹にカイロを貼りポケットにも忍ばせて…という完全防寒。
人のにおいに敏感になってしまったので、買い物は人の少ない時間帯を選んで行っていました」
そんなつらい時期を経て、筋腫は小さくならずに子宮自体が縮小。そして手術の日を迎えます。
「当初は腹腔鏡手術の予定だったのですが、MRIを撮ったところ、以前の傷の癒着が大きいとのことで開腹手術に変更に。
帝王切開で切ったところと同じところを切ったため、傷が増えずにすんだのはよかったです。
手術後2~3日は食欲がなかったのですが、点滴が外れてからは病院内を歩いたりして回復を促しました」
術後1カ月で仕事にも復帰。
女性の多い職場のため、みんないたわってくれたのがうれしかった、とFさん。
「生理もなく貧血もないので、すごく体が軽くなり、外出もためらわずできるようになりました。
身内に子宮筋腫の人がいないので『なんで私が?』という不思議さはありますが、遺伝的な要素だけでもないのですね。
まだ全摘手術から1年たっていませんが、今は毎日が本当に快適です」
イラスト/本田佳世 取材・文/遊佐信子


