こんにちは! MyAgeスタッフ歴まだ3カ月のあさこです。
空高く、鰯雲が美しく見える季節ですね。いきなり身内の、しかも忌み話で恐縮ですが、先日、父の姉にあたる伯母の葬儀に参列してきました。
父が今年90歳…ということは相当な年齢だとは思っていましたが(父に伯母の歳を聞いたらなぜか「う~ん、80代後半かなぁ?」と、のけぞるようなボケをかましておりましたが 汗)、葬儀で数十年ぶりに会った従妹によれば、享年100歳!(あと数カ月で101歳!!!) 正真正銘、掛け値なしの大往生なのでした。
人生100年時代…と謳われる昨今ですが、こんな身近にも100歳という長寿の人がいたことに、いまさらながら驚いた私です。
従妹によれば、伯母は近年はデイケアサービスを受けてはいたものの、亡くなる数週間前まで食事も自分でとり、トイレにも歩いて行くほど自立能力を保っていたそうです。入浴だけは、転倒やケガの心配もあり、また全身を洗うのがさすがにつらかったようで、近所に住む孫娘たちが入れ替わりで補助していたとのこと。
でも、デイサービスを受けていたグループホームでは「おばあちゃん、お歌を歌いましょうか」などと“おばあさん扱い”されることを嫌い、同居していた長男が入浴の世話をしようとすると「お前に体を洗われるぐらいなら死んだ方がいい」と毒づいたり…
などなど、最後まで“ひとりの女性”としての矜持を持ち続けたというエピソードをあれこれ聞くうちに、伯母と最後に話したときのことを思い出しました。
遠方に住む伯母とは最後に会ってからもう30年以上になりますが、数年前までは年賀状で近況をやりとりしていました。しかしあるとき、当時もう90歳前後になっていたであろう伯母から電話をもらったのです。
「毎年ありがとう。あさこちゃんからの年賀状とても楽しみにしているんだけれど、私も歳なのでそろそろ新年のご挨拶は卒業しようと思うの。お返事ができなくなるから、残念だけどあさこちゃんも年賀状は今年で最後にしてもらえる?」
伯母の話しぶりがとてもかくしゃくとしていたので、この突然の申し出には驚きましたが、今思えばそれは伯母の身じまいのひとつ、いわゆる「終活」だったのでしょう。
人づきあいがそれほど好きではなく、50代で病身の夫を看取り、その母を看取り、とくに運動をするでもなく、でも好き嫌いはほとんどなく何でも食べ、最後まで明晰な頭を保って逝った伯母。その顔は、小さく縮んではいたもののすっきりと色白でシワひとつなく、驚くほどに清らかでした。
どこも悪いところといってなく、さしたる病気もしなかった伯母ですが、数週間前から急に食が細くなり、自宅で眠るように息を引き取りました。主治医の先生には「老衰です」と言われたとか。こんな老衰だったら私もしてみたい!と思うような、まさに“ぴんぴん、コロリ”の最期でした。
かねがね「どうしたら身近な人に苦労をかけず、記憶や意思のある“自分”を持ち続けて死ぬことができるだろう?」と考える昨今、伯母の生き方、そして逝き方は、私にとってひとつの憧れであり目標になったのです。