こんにちは。マドレーヌです。
私、この春、定年を迎えました。
入社以来38年、フルタイム会社員編集者を続けてまいりましたが、最近、勤務形態を変え、OurAgeで週3ワーク(ほぼ編集者)をしております。
余談ですが、タモリさんが「笑っていいとも!」番組終了後に「ブラタモリ」に出演されたとき、「私、勤務形態が変わりまして、泊りの出張にも行けるようになりました」といった発言をされ、確かに!と笑ってしまいました。いつか私も「勤務形態が変わった」という言い回しをしてみたいと思っておりました。
考えてみると、「定年」というのは入社した38年前に時限設定されたパソコンの「強制終了」のようなものかもしれません。この日がわかっているので「たいへんでも、あと5年だからがんばろう」と思えたり、反対に「もっとずっと会社員編集者を続けたい~っ」と思ったとしても、誕生日(周りを見るとだいたいは60歳か61歳の誕生日)前日に強制終了されます。
期限がわかっているので「あと2年だから、週3ワークに移る前に、この部分をもっとシステマチックに改善しておこう」などと計画も立てられました。
ということで、私、読者のみなさんより少し年長の者として、60代前半に起こるあれやこれやを、ときどきお伝えできたらと思います。
卒業生もかわいそうだけど「定年女子だってかわいそう」
さて、今年の1~3月頃、世の中では、「卒業生がかわいそう」というワードが飛び交っておりました。卒業式が縮小されたり、卒業旅行に行けなかったり…。多くの大人たちが当たり前に経験してきた青春の思い出作りが叶わなかった今年の卒業生は、本当にかわいそうでした。それには完全同意します。
それでも、私はTVのコメンテーターや街頭インタビューで「卒業生がかわいそう」という声を聞くたびに、付け加えずにはいられませんでした。
「定年女子だってかわいそう」
最初は心の中で。次第にテレビに向かって声を出して。終いには「合いの手」のように反射的に口から出るように…!
数年前に定年を迎えた夫は、最初は「え? 何?」と聞き返してきましたが、そのうちに無反応を決め込んでおりました。
純真無垢な学生と、38年も社会人生活を経てきた中年女性が張り合っても仕方ないのですが、誰かひとりでも、
「卒業生」の中に「会社の卒業生=定年女子」のことを含めて言及してくれてもいいではないですか~!? と(勝手に)思ったのです。
まあ、そもそも60代にもなって自分を女子というのも何ですが、「定年おばさん」「定年マダム」「定年サラリーマン」…どれをとっても自分を指している言葉とは感じられません。当たり前のように口をついて出たのが「定年女子」でした。断然しっくりきたので、すみませんが今後はこれでいかせていただきます。
はてさて、「定年女子」のかわいそうなことといえば…。
コロナ禍の「定年女子はかわいそう」TOP3は
1.リモートワーク推奨のなか、ロッカーやデスク整理のために毎日出社、ひとり作業
まず、定年といえば、ロッカーやデスクの片付けです。今後も同じ部署で働くとはいえ、デスク移動やロッカー縮小もあるので、本気で片付けねばなりません。
人事異動のたびにある程度の片付けはしてきましたが、なにせ在籍38年、さらに直近8年間は同じ部署にいたので、本や雑誌、古い資料なども相当ため込んでいました。固定席を持たずに、フリーアドレスで働くオフィスが増える昨今、この昭和スタイルにどっぷりつかった私が悪いのです、はい。
ロッカーからマーガレット・ハウエルの昔のポスターやカレンダー、はたまたパリやロンドンの地図などが大量に出てきたことで、ちょっぴり感傷的になって下記のつぶやきブログ2本も書いてしまいました。
◆15年後の『マーガレット・ハウエルの「家」』
◆「地図が読める女」が「地図アプリ」に完敗した日
会社はリモートワーク推奨ではありますが、もちろん片付けはリモートではできません。結局、毎日出社して、隙間時間に少しずつ進めることに。編集部にひとりっきりで黙々と片付けをするのは、薄ら寂しいこともありましたとも。
(もちろん医療従事者やエッセンシャルワーカーのみなさまのご苦労に比べれば、たわごとでございます。それは自覚しております。)
2.送別会0回・お礼の会0回の寂しさよ
私、昨年の2月から1年4か月間、家族以外とご飯を食べたのは、たった1回。昨年の秋、長い間仕事でとんでもなくお世話になった女性上司に誘われたランチだけです。
まじめに自粛されている方が多いと思いますが、この春には、お役所やら地位のある方々の会食や送別会での感染が話題になりましたよね。
もう自分の送別会なんて、めっそうもない。(ブルブル)
昨年から私の同期達が順番に定年を迎えていますが、年齢が2つ上で2019年に定年を迎えた1名しか、送別会はできませんでした。同期たちとは、コロナ終息後にまとめて送別会ができたらと願っていますが、いつになることやら。
加えて、お世話になった方たちへのお礼もほぼメールでしか伝えられませんでした。先輩たちが定年を迎えた時には、著者の先生ごとにお礼の会をしていたな~。(遠い目)
3. 有休がたんまり残っているのに、行くところがない!
38年間働いてきて、ふと気付くと有給休暇がたんまり残っていました。でもコロナ禍でどこにも行けない。終盤にとりあえず休みを取りましたが、なまじリモートワークの体制ができているので、家にいるとうっかり仕事をしてしまいがち…とほほ。
先輩たちは、長い休みを取って、あちこち海外旅行に行って楽しそうだったな~。(は~、この差って…。)
そうはいっても、コロナ禍でもうれしい出来事はありました。
人生でいちばん花に囲まれました(将来の棺桶を除く)
ありがたいことに、最後の1週間、たいへんお世話になった社外のみなさんや、仕事仲間、編集部の仲間、後輩たちからたくさんのお花をいただきました。
編集部のみんなは会議室のドアを開け放して送別お茶会もしてくれました。
背の高い立派なブーケをたくさんいただいて自宅の大型花瓶が足りなくなり、最終日には大きな花瓶を買いに走ったほど。思い起こせば遥か昔の自分の結婚式のときには、お花をくださった方は2~3人だったので、今回が人生で一番多くの花に囲まれた日々だったと思います。(次は棺桶に入る時だろうな~。)
みなさん、私の好みを考えてオーダーしてくださったということで、これが本当によくわかってらっしゃる。「え~、私がライラックを好きって知ってた?」「スカビオサが好きって言ったことあったっけ?」などと、何度もうれしい驚きが。
いただいた翌日が休日で自然光で撮影できたものだけ載せますね。
花と花瓶のコーディネートを考えるのも楽しかったし、花が痛んできたら、ブーケをばらして違う組み合わせで活けるのもワクワクする作業でした。毎日丁寧に世話をして、1か月以上長持ちした花や枝もありましたよ。ありがとうございました。
人生でいちばん褒められるのは、結婚式でもお葬式でもない。それは定年だ!
さて、花束に長い手紙をつけてくれたり、定年のご挨拶メールに返信をいただいたり、たくさんの言葉をいただきました。これがもう、ものすごく褒められましたよ。(テヘ)
自分で意識していなかったようなことも多く、はっとしたり、ほろっとすることも。
「どうせ、おだてだから本気にしないほうが…」と言われそうですし、詳しくは書きません。大切に、胸にしまっておきます。
よく、人生で褒められるのは「結婚式」と「お葬式」と言われますよね。でも、現代はお葬式が小規模化していることもあり、私は今回の定年が人生でいちばん褒められる機会だったのだと確信しました。
そして、褒めてもらった言葉によって、こんな思いが湧いてきました。
「これからも、人の役に立たなきゃ」
では、今までの「50代あるある(かもしれない)川柳」改め、
「定年女子あるある(かもしれない)川柳」を一句。
褒められて 定年女子が 再起動
定年の翌日、ジョギング中に鳥のような雲を見つけ、思わずパチリ。左の空に向かって羽ばたいているかのようです。定年女子、幸先いいかも!?