70年代初頭、現在の「#MeToo 運動」の先駆けともいえる「ウーマンリブ運動」で、中心的な役割を担い、多くの女性たちの圧倒的な共感と賛同を集めた田中美津さん。
76歳となる現在は、鍼灸師として患者一人ひとりに一心に向き合いながら、執筆や講演をこなし、沖縄・辺野古にも足繁く通うなど、幅広く活動しています。そんな彼女の今を追いかけたドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』が、いよいよ公開されます。自由に、のびやかに、今を生きるその姿は、世代も性別も超えてまっすぐに響いてきます。
(監督の吉峯美和さんが映画製作の経緯と思いを語った前編はこちら)
撮影/織田桂子 取材・文/石丸久美子
田中美津さん
Profile
たなか・みつ●1943年生まれ。鍼灸師。1970年代初頭に始まったウーマンリブを牽引。1975年の国際婦人年世界会議をきっかけにメキシコに渡り、4年半の滞在中に未婚で一児の母に。帰国後、鍼灸師となり、82年治療院「れらはるせ」を開設、現在に至る。『新・自分で治す冷え性』(マガジンハウス)、『いのちのイメージトレーニング』(筑摩書房)、『ぼーっとしようよ 養生法』(三笠書房)、『かけがえのない、大したことのない私』(インパクト出版会)、『新版 いのちの女たちへ―取り乱しウーマン・リブ論』(パンドラ)、『この星は、私の星じゃない』(岩波書店)など著書多数。最新刊『明日は生きていないかもしれない…という自由』(インパクト出版会)が10月26日に発売予定。
吉峯美和さん
Profile
よしみね・みわ●1967年生まれ。フリーランスの映像ディレクター。NHKハイビジョン『女優・杉浦春子への手紙〜1500通につづられた心の軌跡』(07)、NHK総合『私のリュックひとつ分〜ミュージシャン・矢野顕子』(12)、など数々のドキュメンタリー番組を手がける。2013年、NHK・Eテレ『日本人は何を考えてきたのか 平塚らいてうと市川房枝〜女たちは解放をめざす』でギャラクシー賞 テレビ部門 奨励賞受賞。2015年、Eテレ『日本人は何をめざしてきたのか 女たちは平等をめざす』で田中美津さんにインタビュー。その言葉の力と人間的魅力に惚れ込み、自主製作で本映画の制作を決意、撮影を始めた。
今の田中美津になるまでには、けっこうな手間隙かかってるの
「試写を見ながら、こういう服をこういうときに着ちゃダメだよとか、もうちょっと部屋を片づけられないのかとか、余計なことばっかり考えちゃって。4回目にしてやっとよ、映画の全体像がわかったのは。で、初めて監督に言ったの。『あら、なかなかいい映画じゃない?』って」(笑)
映画を観た感想を問うと、美津さんはそう言って笑いました。
吉峯さんとの出会いのきっかけとなった、戦後日本の女性史をたどるNHKの特集番組への出演依頼も、4回目にしてやっと承諾。理由を聞くと、美津さんはしれっと言うのです。「だって、面白くなさそうだったんだもん」
「私、昔話に興味ないのよ。あとからその番組を観たら、私だけがほかの出演者とズレたことをしゃべっていたわ。だけど、吉峯さんにはそれが面白かったみたいで、個人的に私の映画を作りたいと言ってきて…。とにかく、しつこい女なのよ(笑)。もう、断るより引き受けた方が楽だと思って、OKしたの」
どんなときも屈託なく本音で生きる美津さん。「江戸っ子でB型。おっちょこちょいで言いたいことをスグ言ってしまう性格は母ゆずり」
3年以上にも及ぶ撮影期間中、吉峯監督からはとくに指示もなく、美津さんから何か要求することも一切なかったそう。
「出演を承諾した時点で、私は吉峯さんに撮られることを自分で選んだのよね。選んだからには、とにかく監督とただ二人三脚していくだけ。私の一番の役割は、撮られていることをまったく意識しないで、そのまんまの私を撮られることだと思って、そのことだけを大事にしました」
吉峯さんは1000日あまりの日々を美津さんに密着。ごく私的な日常をありのままにとらえた映像から、ふたりの信頼関係が伺える。
映画では、「リブのカリスマ」と称されていた頃の貴重な映像や写真も挿入されています。スカートの裾をたなびかせながらハイヒールでデモの先頭に立ち、諷刺劇で女らしさの呪縛と男社会の理不尽を痛快に笑い飛ばし、仲間と歌い踊りまくる。その姿は、「女闘士」という既存のイメージとはかけ離れ、突き抜けた明るさとユーモアに溢れていて、美津さんたちのリブが、いかにラジカルだったかが伝わってきます。
「あの時代にね、『男から見た女じゃなくて、私は私を生きたいんだ!』って主張することは、すごいことだったのよ。マスコミや男性たちからはひどい嘲笑やバッシングをされたけど、私たちは1歩も引き下がらなかった。それだからリブのメッセージは女性たちにちゃんと届いて、ウーマンリブ運動が日本各地に沸き起こったのね」
あれから50年。昭和から平成、令和へと時を経て、70代になった田中美津さん。患者さんに鍼を打ちながら、治すのはあなた自身だと懇々と語りかけ、米軍飛行場の埋め立て工事が始まった辺野古では機動隊の青年たちに「今の仕事にどんな未来があるの?」と母のように話しかけ、自ら企画した沖縄ツアーでは、抗議行動だけでなくナマの沖縄文化に触れてほしいと、みんなで指笛を習ったり。自分の言葉で、自分のやり方で、美津さんはリブをイキイキと生きています。
上の写真は「神の島」とも呼ばれる沖縄・久高島で撮影。天国のように美しい。沖縄戦で人々がなくなった沖縄本島南端の崖下でのインタビューでは、生きること、死ぬことについて語られ、「あの場が私に言わせた」と美津さん。唯一、彼女が涙を見せた印象的なシーンとなっている。
「映画を観てくれた若い子が、『私が悩んでいることがそのまま美津さんの問題であるとわかって、すごく刺激を受けた』と言ってくれたのだけど、私ね、若い人からそういうことをよく言われるの。たぶん女性解放一般より、もっぱら自分の解放にこだわっていて、悩む個の私から、悩まないで済む世界へとつながって行きたいと、一貫して模索してるからじゃないかしら」
5歳のときに性被害に遭い、自分を汚れた存在だと思い込んだ美津さんは、「どうして私の頭の上に石が落ちてきたんだろう」と悩む一方で、「この星は私の星じゃないんだ」と思うことで、いわば心の中に小さな窓を開けて生き伸びてきたそう。その窓から伸ばした手が、「女であること」でさまざまに苦しんでる他の女たちの手とつながって、ウーマンリブ運動が花開きます。
「〈女は清くあれ〉という家父長制の価値観は、運動を通じて粉砕。落ちてきた石に苦しむ他の女たちと、『あなたもそうだったの』と痛みを共有することで精神的にも癒された。石は、虐待される子どもにも、交通事故に遭ってしまった人にも、落ちた。決して私のアタマにだけ落ちたわけではないと、理性は知っている。にも拘わらず、“ナゼ私のアタマに落ちてきたの?私を選んだのは、ナゼ?”と、執拗に問い続ける自分がいて、そんな大きな問いには誰も答えられはずもなく、結局密かに、一人天に向かって異議申し立てをし続けるしかなかった」
絡まった糸を解きほぐすように、全てが腑に落ちたのは50歳を過ぎてから。いくつもの山越え谷越え、美津さんがたどり着いた答えは、なんと「たまたま」ということ。落ちてきた石だけでなく、この世に生まれたことも、持った親、性別、才能、容姿、そして若くて死ぬことがあること等々、すべてはたまたま。
「かけがえのない私」は、「たまたまの私」でもあるのだ。ということはつまり、あなたは私だったかもしれないし、私はあなただったかもしれない…ということ。そして人間だけでなくすべての生きとし生ける者たちは、「明日は生きているかどうかわからない」といういのちの真実を共有している。この平等性は、凄い。もう、天の計らいとしか言いようがない凄さです。
「それがわかったとき、私は心底ホッとしたのね。だってそれなら今日だけ生きれば、今だけ生きればいいんですもの。
アイツを赦せないとか、またバカやっちゃってとクヨクヨする時には、『でもミッちゃん、明日は生きてないかもしれないんだよ』って思うと、ハッとして空がきれいなことに気がついたり、自然に息が深くなって、前につんのめりそうになってる私をこの今に取り戻すのです。今日が最後の日なら、一番いい顔でいたいしね。
この映画の中の私、なんか穏やかそうで、明るくって、ゼンゼン力んでない感じでしょ。「明日は生きてないかも」という真実が無理なくうなづける歳になったら、諦めと生きる喜びの両方が手に入ったって感じで。つくづく歳を取るのも悪くないなぁって思うのね」
小さい頃から虚弱だった美津さんは、自身の“快”と、一人で子どもを育てるための経済的基盤を求めて、鍼灸師に。そして持病(慢性腎炎)をハリでコントロールしながら、1回の治療に最低でも3時間、症状の重い人には4,5時間もかける治療を、36年間続けてきた。治療後はもう、精根尽き果てて、倒れるように眠り込む。
誰ともわかち合えない秘密を背負い、“個”として苦しむことがたくさんあった美津さんは、「個として生きるということには、いわば筋金入り(笑)」。だから時に孤独を抱えて苦しんでいる人に、こんなアドバイスを。
「人と比べたらダメ。孤独な時は、孤独に生きたらいいのよ。その闇がもたらす強さと深さ、それに加えてだんだんと、ユルむことができるようになれば、あなた絶対ステキな人になれるもの」
「今の時代って、ひとりは×、淋しいのは×って感じでしょ。何をわかち合ったらいいのかもわからないのに、つながらねば…という強迫観念が蔓延してる。でも、本当の意味で人とつながるには、まず個でなければ話にならない。個の淋しさがわかっているからこそ、人に優しくありたいと思うのです。それが本当の優しさ、人と人をつないでいく優しさなのではないかしら」
美津さんのご両親の名前から命名された、元保護猫のかめちゃんと元ノラ猫のしーちゃん。映画ではかめちゃん(左)も大活躍。
『この星は、私の星じゃない』
生きづらさを抱え、「この星は、私の星じゃない」とつぶやきながら、不器用に、全身でこの星に立ち続けてきた田中美津の心の遍歴を辿るドキュメンタリー映画。10月26日より渋谷ユーロスペースにて公開。上映期間中にトークイベントも開催。10/26上野千鶴子さん(社会学者/東京大学名誉教授)、10/27栗原康さん(政治学者/東北芸術工科大学講師)、10/31雨宮処凛さん(作家/活動家)、11/2田中美津さん(鍼灸師/本作のメインキャラクター)、11/3小川たまかさん(ライター/フェミニスト)、11/4吉峯美和さん(本作の監督)、11/6安富歩さん(社会生態学者/東京大学東洋文化研究所教授)。以後、名古屋シネマスコーレ、横浜シネマリン、松本シネマセレクト、大阪シネ・ヌーヴォ、神戸・元町映画館、京都みなみ会館、鹿児島・ガーデンズシネマ、沖縄・桜坂劇場、ほかにて公開予定。