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西城秀樹はどんなジャンルも歌いこなす唯一無二のスターだった/歌手・ヴォイストレーナー®大本京さんが語るレッスンの裏舞台 

  1. ライブこそ、西城秀樹の真骨頂!
    どんなジャンルも歌いこなす唯一無二のスター

 

歌謡曲のイメージが強い一方、ロックのカバーを数多く歌ったり、
映画音楽のようなスケールの大きな曲をオーケストラをバックに歌い上げたり。
秀樹はひとつのジャンルではくくれない多才なヴォーカリストでした。
ライブでより歌のうまさがわかる稀有な歌手、といわれる「歌手・西城秀樹」の真実とは。

1

 

厳しいレッスンに耐えて
生まれた独特の“個声”

(大本京さん)

 

大本京さんの父、大本恭敬氏は、日本の歌謡界のプロ歌手1500人以上を発掘、指導、育成してきたヴォイストレーナーの第一人者。その一番弟子ともいえるのが西城秀樹です。

 

 

「秀樹さんが我が家で父のレッスンを受けはじめたのが、デビュー前の1971年。父の指導はかなり厳しかったようです。単に声がいい、歌がうまい歌手を目指すだけではなく、その人が持っている個性をどう武器にすればいいかを考えるのが、父のヴォイストレーニング。呼吸法、共鳴(深い響き)、地声からファルセットまでを自在に使いこなせるように、徹底的にたたき込みます。デビュー後は、寝る時間もない忙しさの中、仕事の合間を縫ってレッスンを受けていました。

秀樹さんは、背が高くてかっこよく、アポロンのように明るくて優しい、王子さまのような人でした。小学生だった私にも気さくに声をかけてくれる、憧れのお兄さんだったんです」

 

 

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1・2・3 少年っぽさの残る初期の頃は、肌の露出が多いセクシーな衣装や、キラキラのスパンコールやフリルなどフェミニンなディテールの衣装で、アンドロギュノス(両性具有)な雰囲気を醸し出していることが多かった。ステージでのパフォーマンスは激しく、倒れるまで歌い続けたことも。ファンも熱く、失神したり救急車で運ばれる人もいたそう。

写真3点とも「セブンティーン」に掲載。1・2 は中村昇さんが撮影

 

秀樹がステージで激しく動き、踊り、走り回ったりしても音程がブレず、声量も衰えずに歌っていたといわれるのは、そうした厳しいヴォイストレーニングの賜物だと大本さん。

 

 

「夜遅い時間にレッスンに来ることも珍しくありませんでした。母が作ったうどんなどの夜食を食べ、少し休憩したあとにレッスンが始まり、深夜にまで及ぶこともしばしば。隣の部屋でこっそり聞いていると、“もっともっと!ぶつかってこい! 腹から声を出せ!”という父の声が聞こえてきました。厳しい指導にも負けず、限界まで何度も何度も歌って、努力を重ねたからこそ、秀樹さんだけができる歌い方や声が出来上がったのだと思います。

新曲ができたときは、届いたばかりの音源と楽譜と歌詞を前に、スタッフが大集合。どのように歌うかを話し合い、繰り返し何度も歌ってその日のうちに覚え、次の日にレコーディングすることもありました」

 

 

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181㎝の長身と長い手足で、〝貴公子〞のようにタキシードもスマートに着こなす秀樹

 

 

70年代の当時は3カ月に1曲のペースで新曲が発売され、テレビの歌番組も多かったために、時間を取るのもかなり大変な状況でした。そんな中でも、ファンをより満足させようと、レッスンは欠かさなかったといいます。

 

 

「持ち前の若さと激しさ、思いのたけをこめて歌う、噓のない歌唱。どんなアイドルグループが束になっても超えられない、秀樹さんだけが体得した声と歌唱法です。世界でたったひとつの秀樹さんの“個声”は、いつまでも私たちの心に残ると思います」

 

 

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5・6 1974年から10年間続けた球場コンサート。宙吊りのゴンドラや自転車、空中ブランコに乗ったりと、毎回、度肝を抜くような派手なパフォーマンスが話題に。体力の限界まで、パワフルに歌い、走り回ってファンを楽しませるのが秀樹のライブの真骨頂。

5 は中村昇さんが「セブンティーン」で撮影。4・6 は「明星」で撮影されたもの

 

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7・8「セブンティーン」1974年10月29日号(集英社)より。広島で初めてリサイタルをしたときの記事。

 

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9「セブンティーン」’76年5月25日号(集英社)より。伝説のセクシーな衣装で、新曲「ジャガー」を「ユネスコ村」(埼玉県所沢市にあった)で歌った

 

 

Kyo Ohmoto
大本 京さん


歌手。ヴォイストレーナー®。父の大本恭敬氏が学長を務める「ヴォイストレーナーズアカデミー®」を二代目として継承。子どもからプロの歌手まで、歌唱指導やレッスンを行うほか、講演、セミナーなども行う

 

 

Hideki Saijo
西城秀樹
歌手・俳優。1955年4月13日生まれ。広島県広島市出身。'72年「恋する季節」でデビュー。キャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。'73年「情熱の嵐」以降、数々のヒット曲が生まれた。俳優としても、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」(TBS系)、映画『愛と誠』、ミュージカル『わが青春の北壁』ほか、数多くの作品に出演。亡くなる前月まで現役としてステージに立っていた。2018年5月16日逝去。享年63歳

 

西城秀樹写真集
HIDEKI FOREVER blue

集英社の雑誌「セブンティーン」「明星」で撮影された写真を収録した豪華写真集。若き日のキラキラした西城秀樹の魅力が満載です! 篠山紀信、中村昇などの著名なカメラマンが撮影した秘蔵写真を多数掲載。未公開写真を含む貴重なカットが100点以上。未発表音源CD1曲「CATALOG(カタログ)」とオリジナルポストカード1枚付き。¥6,500/集英社インターナショナル

西城秀樹オフィシャルサイト

 

最終回は、若き日の西城秀樹を撮り続けたフォトグラファー中村昇さんがみた西城秀樹さんに迫ります。

 

取材・原文/近内明子 写真協力/集英社インターナショナル

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