『ウクライナ、地下壕から届いた俳句 ~The Wings of a Butterfly~』で翻訳・監修という大役を果たした、俳人の黛まどかさん。
「歩いて詠む・歩いて書く」をモットーに、創作活動を続けてきた。
日本のみならず世界各地で歩いて詠んで、俳句という文学に打ち込んでいる。
60代に入って今、自身の体と心に向き合いながら、何を想っているのだろう?
(俳句の魅力や、もたらす効能についてのインタビュー前編はコチラ)
撮影/フルフォード海 取材・文/岡本麻佑
黛まどかさん
Profile
まゆずみ・まどか●俳人。1962 年、神奈川県生まれ。2002年、句集『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞受賞。2010年4月より1年間文化庁「文化交流使」として欧州で活動。スペイン、サンティアゴ巡礼路、韓国プサン-ソウル、四国遍路など踏破。「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしている。オペラの台本執筆、校歌の作詞など多方面で活躍。2021年より「世界オンライン句会」を主宰。現在、北里大学、京都橘大学、昭和女子大学客員教授。著書に、句集『北落師門』、紀行集『奇跡の四国遍路』、随筆『暮らしの中の二十四節気 丁寧に生きてみる』など多数。公式HP http//madoka575.co.jp
つらかった更年期。
我慢しないで!と、みんなに言いたい
黛まどかさんは36歳のときに、サンティアゴ巡礼路を踏破している。フランスの西の端からスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで歩き続ける、過酷な徒歩の旅だ。
「1995年に、たまたまシンポジウムで作家のパウロ・コエーリョさんとお会いしたんです。彼が『星の巡礼』で書いていた風景が素晴らしかったので、『あの道は今もあるんですか? 私もいつか歩いてみたいです』と話したら、『本当にそう思っているなら、いつかじゃない。今でしょ』って(笑)。『いつかはないんだ、今なんだ』と言われて。
とはいえすぐには行けず、抱えていたレギュラーの仕事を徐々に整理していって、全部辞められたのが1999年の春でした。その年の5月に日本を旅立ったんです」
総行程およそ800キロを、自分の足で歩く。生半可な旅ではない。
「最初の1週間でピレネー山脈を越えるんですけど、これが大変で。そのピレネー山中で、『コンポステーラまであと700キロ』という道標を発見したんです。もう、そのときの気持ちといったら!
こんなに歩いたのに、まだ700キロも残ってると思ったら絶望しかなくて、こんな道標いらないって思いました(笑)。この虚しい一歩を重ねて、本当に最後まで着くのかなと途方に暮れましたね。
でも48日間かけてゴールにたどり着いたとき、万歩計を見たら312万歩。これは日本を発つときからの数字なんですけど、そのとき思ったんです。あの虚しいと思っていた、どの一歩がなかったとしても、このゴールには至らなかった。どんなに小さな小さな一歩も、すべて大事な一歩だったということをすごく感じて。
よく言いますよね、ゴールよりもプロセスが大事だって。自分でも頭ではわかっていたつもりなんですが、それを理屈ではなく、体でわかったことが、すごく大事だったと思っています。
今は情報の時代で、なんでもわかったつもり、知ったつもりになっていますけど、でもやっぱり体で獲得したこと、体験したことが、本当に知るということなんだろうなと。
それ以降はすごく、身体性ということを大事にするように、とにかく自分で体験して、体を通してつかんでいこうと思うようになりました」
韓国でも、歩いた。プサンからソウルまでを、春夏秋冬4回に分けて踏破した。
「日韓文化交流会議のメンバーに選ばれたことがきっかけでした。
私は外交の専門家ではないし、できることといったら、韓国の美しい山河とか人々との交流を俳句に詠んで讃えることしかないだろうな、と思いまして。
当時、反日感情が高まっていたタイミングだったのですが、実際に歩いてみたら、人と人で会っている分には、何も問題がありませんでした。それどころか、道を尋ねるとみんな『日本人か?』『歩く距離じゃないから、バスに乗りなさい。お金がないなら出してあげる』『ご飯は食べたの? まだならウチで食べて行きなさい』『結婚していない? じゃあ良い人を紹介するから』って、親身になってくれる方ばかりで(笑)」
さらには、日本でも。四国の遍路をぐるっと回った。
「来月、また行きます。今度は四国別格二十霊場を巡るもので、2カ月くらいかかる予定です。
もともと私、運動嫌いで特に鍛えてもいないのですが、歩くのは好きで、歩けちゃうんですよね」
そんな言葉を聞いていると、タフで無敵な元気印の女性なのかと思うけど。
「いえ、どちらかというと虚弱なほうで(笑)。若い頃からしょっちゅう頭が痛い、吐き気がする、肩が凝る、眠れないなどなど、いろんな症状があって。漢方の先生に『すでに更年期の症状だから、本当の更年期になったら勝ち組ですよ』って言われて、すごく希望を持っていたのに、実際に更年期になったらさらにひどくなりました。
ホットフラッシュなんて10分おきくらいに来て、汗をかいて寒い、汗をかいて寒いのくり返し。しかも夕方になると37度5分くらいまで熱が出て、悪寒で歯がガチガチ。それが毎日で、本当につらかったです」
その状態が約8年も続いたという。
「あと2年は続くと言われて、もうちょっと前向きに積極治療をしてくださる婦人科に行ってみたんです。そこでホルモン治療(HRT)を受けて、すごく楽になりました。
その婦人科で最初に検査をしたときに、『女性ホルモンがもう、ほとんど出ていません。これじゃあ、辛かったでしょう。あなたのように頑張っちゃう人は、ぎりぎりまで我慢してしまうんですよ。10年前に来るべきでしたね』って言われたんです。
ですから今更年期の方にぜひ伝えたいのは、我慢しないでください、ということ。
昔と今とでは、女性をとりまく環境ががらっと変わっている。ライフスタイルも違うし、子どもを産む回数も減っているし、寿命が延びているから閉経後の人生も長い。医学も発達しているのだから、我慢は必要ないですよね」
そして今。更年期のあれこれから解放されて、思う存分やりたいことに打ち込めるのかと思いきや。
「いえもう、体は正直だなと思います。55歳で目は硝子体剥離になり、つい最近、白内障が始まり。あと、物忘れがひどいんです。うっかりミスも増えました」
つまりは、老化のはじまり?
「ですね。でも友人にそのことを言ったら、『順調だね!』って(笑)。夜中にトイレが近くなるのも、白髪が増えるのも、それは順調な人生の証だと思うことにして。更年期がやっと終わったと思ったら、次の順調なのが来ちゃって(笑)。年を取るってこういうことかと思ってます」
なるほど「順調」って、ポジティブで前向きで、良い言葉。どんな変化が来ようとも、当たり前のこととして受け入れてしまえば、乗り越えられる。
しかも黛さん、そのままそこに留まることなく。
「最近、腸活のために、最新の腸内細菌検査を受けました。腸内フローラの状態を調べるもので、私は細菌の種類は多くて多様性はOKだったんですが、ビタミンB群を作る細菌がすごく少ない。そして同時に受けた血液検査でも、ビタミンB群が圧倒的に足りないという結果でした。
ビタミンBが足りないと、疲れやすくなるんですね。昔から疲れやすいと思っていたのは腸内細菌の不足が原因だったのかと納得しました。
それを補うためのサプリメントや食材も教えてもらって、私の場合はキクイモ、オオバコ、グアーガム、それら3つの繊維質をとるように、今は心がけています」
きっちり検査を受け、専門医の説明を聞いた上で、自分に必要なケアをするのが、黛さんのポリシー。
「そうですね、すべて自己流では、やらないですね。
今、私は1日2食。朝食は10時半、夕食は18時と決めているんですけど、それもお医者さまに相談した上で。1日3食にすると、どうにも体が重くて。『どうしても3食きちんと食べないとダメですか?』と聞いたら『2食でも決まった時間にとればいいですよ』と。
同じ時間に寝て、同じ時間に食事をしないと、自律神経が乱れるというので、不規則だった生活を改善しました。
以前、断食道場に行ったら、すごく爽快だったんですね。今の私ならなんでもできる!と思えるくらいの万能感が得られて。でもずっと断食しているわけにもいかないし(笑)。1日2食にしたら、今のところ調子は良いみたいです」
今は生まれ育った湯河原で、病気療養中のお母さまと暮らしている。
「闘病中の母のために、体にいいことをお医者さまから教わって、それを一緒に実践しています。
お砂糖は控えめにして、体を冷やさないようにとか、いろいろ。それらは母だけじゃなく、自分のためにもなっている実感があって、これは母からのギフトだなと思っています」
お母さまからのギフトは、それだけじゃなく。
「髪の質が良いのは母譲りだと、美容師さんに言われました。母は89歳なのに、今でもすいてもらうぐらい髪の毛が多くて、染めたことがないんです。
私も今、白髪はありますけど、髪は多いですね。我が家の家系はみんな、栄養が脳を通り越して髪の毛に入ってるのではないかと(笑)。
ただ美容全般に関して言えば、やっぱりまずは体。体に良いことは美容にも良いことだと思うので、とにかく健康であることが先ですよね」
それにね、と、最後にひとこと。
「規則正しい生活、食事、睡眠、適度な運動。昔からいわれていて、今さらいわれてもあまりピンとこないんですけど、結局それが一番大事ですよね。この年齢になって、それがよくわかるようになりました。
健康な体で、これから先も仕事をしながら乗り切りたいと思っています」
『ウクライナ、地下壕から届いた俳句 ~The Wings of a Butterfly~』
ウラジスラバ・シモノバ 著 黛まどか 監修(集英社インターナショナル 2200円)
ウクライナ在住、24歳の女性ウラジスラバ・シモノバさんの初の俳句集。彼女が14歳のときから詠んだ700句の中から50句を厳選。俳人の黛まどかさんが翻訳チームを作り、ウクライナ人、ロシア人の協力も得て翻訳、全面監修した。黛まどかさんとセルギー・コルスンスキー駐日ウクライナ大使との対談、戦時下の著者の近影、著者が撮影したウクライナの写真も収録している。
詳細はコチラ
ウラジスラバ・シモノバ(Vladislava Simonova)
1999年、ウクライナ・ハリキウ生まれ。14歳から俳句を始め、ウクライナ語とロシア語で詩を詠んでいる。第8回秋田国際俳句コンテスト(英語部門・学生)入選。第7回日露俳句コンテスト(ロシア語部門・学生)JAL財団賞受賞。秋田国際俳句ネットワークウェブサイト、秋田国際俳句ジャーナル『Serow(カモシカ)』、中日新聞、NHK、NHK国際放送、京都×俳句プロジェクトホームページ・SNSなどに俳句掲載。戦時下の今もウクライナ国内に留まっている。