舞台にドラマに、そして声優としても活躍が続いている戸田恵子さん。
実は40代後半からはお母さまの介護に、そして50代後半には自身の病気も見つかり、更年期をはさんでずっと、波瀾万丈の日々だった。
今振り返る、40代から50代、60代のハードな日々。それを乗り越えた実感は?
(増田貴久さん主演のミュージカル『20世紀号に乗って』と、戸田さんの元気の素についてのインタビュー前編はコチラ)
撮影/富田一也 ヘア&メイク/相場広美(MARVEE) スタイリスト/江島モモ 取材・文/岡本麻佑
戸田恵子さん
Profile
とだ・けいこ●1957年9月12日生まれ、愛知県出身。NHK名古屋放送児童劇団に在籍し、1969年に『中学生群像』で俳優デビュー。’73年に上京し、翌’74年「あゆ朱美」の芸名でアイドル演歌歌手としてもデビュー。’77年、野沢那智氏主宰の劇団・薔薇座に入団し、看板女優として活動(’89年まで在籍)。第13回読売演劇大賞最優秀女優賞をはじめ、日本アカデミー賞優秀助演女優賞など数々の賞を受賞している。’79年に声優としての活動をスタート。「ゲゲゲの鬼太郎」「きかんしゃトーマス」「アンパンマン」など、長年、多くの作品で活躍している。
介護も病気も乗り越えて、次の舞台へ!
俳優としてだけじゃなく、声優としても相変わらず忙しい戸田恵子さん。ずーっと忙しいのに、ずーっと元気なイメージだ。日頃からどんな体力作りをしているのかというと。
「ほぼ何もしていないに等しいですね。一応ジムの会員にはなっているんですけど、忙しいので全然行けてません(笑)。コンスタントに続けるのは無理な状況です。もし基礎体力でもっているとしたら、親に感謝ですね。
50歳を過ぎた頃から当然、体力が落ちている実感があって、なんとかしなきゃというあがきはあるんですけど。どんどん衰えている自分を眺めながら、気力だけで頑張っているという感じ、ですかね(笑)」
頑張りすぎないように、というのが最近よくいわれることだけれど、どうしても頑張らなくちゃならない時もある。
戸田さんにとっては40代後半からが、そんな時期だった。母親が病に倒れ、一人っ子の戸田さんは仕事をしながら介護することに。
「やらないと、誰もやってくれない。そのときはすごくそう思っていまして。みんなは『頑張りすぎないで』って言うけど、だって『私が頑張らないで誰が頑張るの?』っていう気持ちでした。
仕事から戻って、母の食事の支度をして、次に出発するのが何時だから、それまでソファで5分寝る。疲れているから、その5分が即、寝られるんですよ。
ロケに出ていても、空き時間があると1回ウチに戻る、とかね。意地で頑張っていたのかな」
戸田さんが50歳のときにお母さまは亡くなられ、そのショックはしばらく続いたという。
「毎日、足がちょっと、5センチくらい地上から浮いているようなフワフワした感じでした。2年経っても3年経っても、気持ちが癒えない。体は毎日どこかに行くんですけど、気持ちが重くて。しんどい時期がありました」
でも、「更年期の症状がそんなに重くなかったのは、その忙しさのおかげだったのかな」と、戸田さん。
「私が20代、30代の頃、先輩の俳優さんが真冬でもノースリーブで汗をかいているのを見て、暑がりなんだなと思っていたけど、あれ、更年期だったんですね。私自身は鈍感な体なのか、そういうことがまったくなくて。
もしかしたらイライラすることとかあったのかもしれませんけど、毎日が忙しくて、母のこともあったし、イライラしているのが普通だったから、気がつかなかったのかもしれない。
生理が止まるというか、だんだん不安定になったりとか、そんなことはあったけど、現象としては特に何もなかったですね。気の張りで乗り越えてしまったのかもしれません」
とはいえ「倒れたら周りに迷惑をかけるから」と、人間ドックは年に1回、受けていた。50代後半のあるとき、ついでに受けたのが、脳ドック。そこでなんと、脳動脈瘤が見つかった。
「私自身は頭痛があったわけでも、なにか不調を感じていたわけでもなかったのに。たまたま脳ドックを受けただけなのにそう言われて、びっくりしました。
未破裂性脳動脈瘤といって、脳の血管に小さなコブがあるというんです。それが破裂すると、くも膜下出血になるという。破裂しないような形のものなら、そのまま定期的に検査していればいいらしいんですけど、私のはたまたま、形がよくなかった。
『破裂する可能性が大です、手術を受けたほうがいいです』と医者に言われました」
そのままにしている人もいる。けれど、破裂する可能性もある。そう言われて戸田さん、当然のことながら混乱し、そして悩んだ。
「もう、しょうがないですよね。アメリカの女優さんで、乳がんになる可能性が大きいからって、発病する前に切除手術した人がいましたよね。それと同じ。
だって、バーンと血圧が上がったりすると、血液が一気に流れて、コブに当たって、薄くなっている血管の壁が破れるかもしれない。そんなこと言われたら、怒る芝居がもうできないじゃないですか。そこから先は勇気です」
入院して開頭手術を受け、クリップで破裂を防ぎ、今はそんな心配もなくなった。
「ですから脅かすわけじゃないけど、脳ドックは受けたほうがいいです。コブがあっても、形によってはそのままにしている人もけっこういるみたいですし」
というわけで当座の心配はなくなり、今現在、体のためにしているのは睡眠時間を確保すること。
「寝ていないと、体力も気力も記憶力も何もかも落ちますから、6時間から7時間は寝たいです。
忙しいときはなおさら、とにかく寝なくちゃって、枕はオーダーメイド、ベッドも数年前に良いものを選びました。でも眠るために薬を飲むとか、そういうことはしていません。
あ、それに、あきらめることを覚えました。やらなきゃいけないことがあっても、その日のうちに頑張ろうとは思わなくなりました。前は夜中の2時、3時までやることで自分を納得させていたけれど、大して意味ないなと気がついて。
ちゃんと寝て、次の日元気でいたほうが、どれだけ素晴らしいことか!(笑)」
3月、4月のミュージカル『20世紀号に乗って』の後は、5月から7月まで一人で歌って語って芝居する、『虹のかけら ~もうひとりのジュディ』に突入する。
「カーネギーホールの小ホールでも、公演するんです!
カーネギーの楽屋口には、ジュディ・ガーランドの写真が飾ってあるんですよ。縁のあるそんな場所でやれるということは、長く生きているご褒美というか、おまけというか。
今の若い方はご存じないかもしれないけど、ジュディ・ガーランドはあの『オズの魔法使い』の主演女優で、あのライザ・ミネリの母親で、とにかくすごい人なんです。で、今回私が演じるのはジュディ本人ではなく、付き人のジュディ。もうひとりのジュディの視点からジュディ・ガーランドを見ているという物語です。もちろんジュディ・ガーランドの歌は、私が歌うんですけど」
戸田さんの生誕60周年記念作品として三谷幸喜さんが書き下ろしたこの舞台、2018年に初演、19年にも再演して、大きな話題を集めた。
そしてコロナ前に計画されていたものの中止になっていたニューヨーク公演が、今回、カーネギー・ワイル・リサイタルホールで実現の運びに。
「すごく楽しみですけど、唯一の心配はやっぱり、私の体力がもつのかなって(笑)。自分を信じて精進するしかないですよね。
ですから去年の12月から禁酒状態に入ってます。別にそんな大酒飲みではありませんけど、やったほうがカッコいいかなって(笑)。少し早かったと後悔もありつつ? はい、頑張ります!」
ミュージカル『20世紀号に乗って』
ブロードウェイ・ミュージカルの名作。20年、21年に日本で『ハウ・トゥー・サクシード』を斬新な演出で魅せたクリス・ベイリーを演出・振付に迎えて、5年ぶりの日本上演となる。舞台は1930年代初頭のアメリカ。舞台演出家兼プロデューサーのオスカー・ジャフィ(増田貴久)は多額の借金を抱えている。マネージャーのオリバー・ウェッブ(小野田龍之介)と宣伝担当のオーエン・オマリー(上川一哉)と共に世界一の豪華客室を備えた高級列車「特急20世紀号」に乗り込み、かつての恋人で今や大女優となったリリー・ガーランド(珠城りょう)と偶然を装って出会い、自分の次の舞台に出演させようという魂胆だ。ところが若い恋人ブルース・グラニット(渡辺大輔)と一緒のリリーは首を縦にふらない。そこに、オスカーの芝居のスポンサーになってもいいという、富豪の女性レティシア・プリムローズ(戸田恵子)が現れて…。
東京公演 2024年3月12日(火)~31日(日) 東急シアターオーブ
大阪公演 2024年4月5日(金)~10日(水) オリックス劇場
公式HP https://www.musical-onthe20th.jp/
『虹のかけら ~もうひとりのジュディ』
2018年に、戸田恵子生誕60周年記念作品として三谷幸喜が作り上げた一人舞台。『オズの魔法使い』など、世界的に有名なハリウッド女優ジュディ・ガーランドの専属代役兼付き人であったジュディ・シルバーマン(戸田恵子)の目を通して、大女優の数奇な運命を描く。
東京プレビュー公演 2024年5月31日(金)~6月6日(木) 銀座博品館劇場
ニューヨーク公演 2024年6月25日(火)、27日(木) Weill Recital Hall
東京凱旋公演 2024年7月14日(日)~15日(月祝) 有楽町よみうりホール
ほか、埼玉・新潟・愛知・大阪・三重にて全国プレビュー公演・凱旋公演あり