レオタード姿で満面の笑顔。はきはきと自虐ネタを繰り出して、大爆笑。
40歳目前でのブレイクはかなり遅咲きだけれど、当時のいとうあさこさんの強烈なイメージは今も色褪せない。
そして彼女のもうひとつの顔は、舞台俳優。
演劇、とりわけコメディへの憧れは強く、実は15年も前から舞台に立ち、さまざまな役を演じてきた。
所属する劇団への注目度もアップし、さらに力が入っている!
撮影/富田一也 取材・文/岡本麻佑
いとうあさこさん
Profile
いとう・あさこ●1970年6月10日生まれ、東京都出身。1997年、お笑いコンビ「ネギねこ調査隊」を結成。2003年にコンビ解消後、ピン芸人として活動を開始。現在レギュラーで地上波番組4本、ラジオ3本に出演中。2008年から劇団「山田ジャパン」の旗揚げメンバーとして、劇団公演には必ず出演している。主演映画『鈴木さん』(’22)など俳優としても活躍中。
いとうあさこさんが長年舞台に立っている、そのワケは?
レオタード姿のいとうあさこさんが人気芸人の仲間入りしたのは、およそ15年前。ぶっちゃけていて明るくて、“まんまの自分でOK”というメッセージは、アナ雪よりもずっと早く、私たちの心に届いていたのかもしれない。
以来、ピン芸人として着実に活動してきたいとうさんの、もうひとつの顔が舞台俳優。すでに15年以上、舞台に立ち続けているという。
「もともと、伊東四朗さんやいかりや長介さんに、幼少時から大変憧れておりまして。悲喜劇ができる素晴らしい役者さんだと、大人になってからも拝見していたんです。
コメディに対する憧れのような、自分もその板に乗りたいという思いがずっとありました」
東京都で育ち、小中高とカトリックの名門女子校を卒業しながら、19歳で家出。ひたすらアルバイトをして資金を貯め、舞台の専門学校に入学したのは23歳の頃。ミュージカル別科を選んで夜学に通った。
「タップとかダンスとか、実技が学べるからそこを選んだんです。
普通に演劇科というのもあったんですけど、演劇史とか演劇論とか座学の講義が多くて、そういうのは自分で勝手に本を読めばいいし、それよりなんか、実動したかったんですね。
『座ってるヒマはねえ!』って思ってしまいまして(笑)。
で、ミュージカル科に行ったら、影響を受けやすいものですから、すぐに『ミュージカル最高!』って。でもほら、歌もダンスも達者な俳優はもう、山ほどいましたし。1年半学校に通って卒業したあと、ちょこちょこオーディションは受けるんですけど、当然、落ちてばかり」
が、実は1回だけ、予想外のオーディション通過もあったとか。
「劇団四季の一次審査を通過したんです。
あの頃、ある伝説がありまして。浅利慶太先生は届いた履歴書をばっと床に撒いて、そこから何枚か拾って選ぶんだと。そこで拾われる人には運がある、その運を試されるんだって。
で、周りの友達は落ちたのに、よりによって私だけが一次審査を通過したものだから、みんな『あの伝説は本当だったんだねー』って(笑)。もちろん、二次審査であっという間に落ちました」
そんな中でゲットしたのが、子ども向けのミュージカル『アルプスの少女ハイジ』の、ロッテンマイヤー先生の役。
「稽古中に、理由はわからないんですけど演出家の先生が、『あ、君の役は全部アドリブで。ハイジのこと、いろいろいじめちゃって』って言うんです。そのとき初めてネタ帳を作って、意地悪ネタをいろいろ考えて、演じてみました。
すると客席の子どもたちのリアクションがすごいんですよ! ロッテンマイヤーを罵倒しながら大笑い(笑)。それがうれしくて、笑ってもらうことに異常な興奮を覚えたんです。
“そうだった、私、喜劇が好きだった”って思い出して、その流れからお笑いの世界に入ってきたんですけど、そこから13年くらい芽が出ず、水面下にいました」
水面下にいながら飛び込んだのが、今回も出演する劇団「山田ジャパン」。
「芸人仲間だった山田能龍(よしたつ)さんが、いつの間にか劇団を作ることになっていて。仲間から『女優を探しているみたいだよ』と教えられ、連絡を取ったのがきっかけで、旗揚げから参加することになったんです」
以来、毎年の公演に参加しながら、2024年で16年目。3月7日からの公演『愛称⇆蔑称』に出演する。
お芝居のテーマは「あだ名」。小学校や中学校で同級生にあだ名をつけて呼び合っていた記憶、私たちにはあるけれど、最近はそれを禁止する学校も増えているそうで。
「今、生徒同士でも『さん付け』で呼び合うのが当たり前らしいですね。私たち世代だと、ピンと来ないんですけど。
もちろんあだ名で嫌な思いをした人もいっぱいいるので、理解できます。でもね、あだ名のどこまでが善意でどこからが悪意なのか、線引きの難しさをすごく考えながら、舞台の稽古に入っています」
あさこさん自身は学生時代からずっと、「あーちゃん」と呼ばれてきた。
「途中、ウーパールーパーが流行った中3の頃は、たまに『ウーパー』とか『ルーパー』って呼ばれましたけど。目と目が離れているのでね(笑)。でもほとんどが『あーちゃん』でした。
それが40歳を過ぎて『世界の果てまでイッテQ!』に出るようになってから、番組中に『ババア』って呼ばれるようになったんです。そのとき、私、『やったー!』って喜んだんです。私にアイデンティティというか、個性ができたと思って(笑)。
私をそう呼ぶナレーションの声とか、番組を作っている皆さんの感じから、愛情が伝わってきましたし。だからババアって、私にとっては悪口じゃないんですよ。
でもそれを見た人から、『ババアって言うのを止めて下さい』という声もあった。同世代の人の二次被害というか。
今回の劇にも出てきますけど、身近でそれを聞いている人たちの心象も、ちゃんと受け止めないといけないんですね」
そういえば、自分は何て呼ばれていたのだろう? その呼び名は、どこから来ていたのだろう? 考え始めると、自分の足元を改めて見つめたくなる。
「愛称とか蔑称とか、どうすればいいのか、本当の正解なんてもしかして一生出ないかもしれないし、それぞれの意見があっていいと思います。
お客さまにとっても、たぶん遠からずの題材だと思うので、舞台の上で私たちがあーだこーだしゃべるのを『朝まで生テレビ!』みたいな感じで、それに参加するような気分で観ていただければいいかな、と。
白熱しすぎて、客席から『私も言いたい!』って手を挙げる方がいるんじゃないかと、それだけが心配です(笑)」
山田ジャパンの基本は、コメディ。劇団の主宰で脚本と演出を担当する山田能龍さんは近年、海外でも話題になったNetflixのオリジナルドラマ『全裸監督』の脚本チームに名を連ねるなど、注目を集めている。
「その山田さんの人生経験とか紆余曲折が脚本に活かされているせいか、ここ数年の舞台のテーマには命とか家族とか人と人との縁とか、そういう心に沁みるものがあって、哲学コメディなんて呼んでくださる方もいます。
だからって別に、難しいことなんて言わない、普通にコメディなんですけどね(笑)。
私自身、山田ジャパンの舞台に携わっている間は、自分がすごく心豊かになっている実感があります。
それに普段はピン芸人なので、人と一緒に物語を紡いだり、周りの人たちとやりとりしながら舞台が盛り上がってドーンとウケると、自分がそのオチにならなくても『ヘイ!ヘイ!ヘイ!』って、気持ちが上がる自分がいます(笑)」
インタビュー中も元気で明るくて、話が面白くてサービス精神たっぷり。そのエネルギーはハンパない。「どうしてそんなに元気なんですか?」の話は、インタビュー後編へ!
(いとうあさこさんの元気の源についてのインタビュー後編はコチラ)
『愛称⇆蔑称 』
教師歴5年の畑中忠平(原 嘉孝)は長野県佐久市の川北中学校で校長(黒田アーサー)や教頭(いとうあさこ)のサポートを受けながら初の学年主任を務めることになる。が、東京の中央区銀座から双子の兄弟(二葉勇・二葉要)が転入してきて1週間もしないうちに、母親から激しいクレームが。「あだ名を禁止してください」というのだが…。
作・演出 山田能龍
2024年3月7日(木)~15日(金)全14回公演 六行会ホール
3月15日(金)16時~の回はライブ配信も