片づければ部屋も心もすっきりするとわかってはいるものの、いざとなると逡巡して実行に移せない。そんなふうに気持ちと行動が一致しない理由を、片づけにも精通する曹洞宗徳雄山建功寺(とくゆうざんけんこうじ)住職、枡野俊明さんに解き明かしていただきます。
部屋の乱れは心の乱れ
禅に学ぶ、片づけの極意
片づけの目的は「豊かな人生を築く」こと
ステイホームの影響やシンプルな暮らしへの憧れ、終活など、読者が片づけたいと思う理由はさまざまですが、共通するのは、「大量にある物をどうにかしたい」という気持ち。片づけの核は、「不用品の処分」になるわけですが、それこそが悩みどころ。
「物を処分することに抵抗があるのは、幼少期や若い頃の経験が影響しているのかもしれません」と、禅寺の住職で、坐禅の会や講演、著書を通じて、心豊かな生き方を説く枡野俊明さん。
「『もったいない』が口癖の親御さんのもとで育ったのなら、捨てることに対して罪悪感が生まれるでしょうし、憧れの品を手にすることを目的に頑張った経験があるのなら、物に対する思いもひとしおだと思います。結果、同じ用途の物が多数あっても、壊れないかぎり、処分できないのでしょう。
けれど、本来、一人の人間が必要とするものは限られているはずです。例えば、茶碗。何客あったとしても、実際に使う物は限られているのでは?
つまり、使う人の数だけあれば十分ということ。所有してから一度も出番がなく、この先も使われることなく、いずれ捨てるのだとしたら、その茶碗は、いわば“将来のゴミ”。皆さんは、ゴミに囲まれて生活していることになります」
禅宗の雲水<うんすい>(修行僧)が生活する僧堂(修行と居住を兼ねた場所)には、壁に沿って一列に畳が並んでおり、雲水は、修行も食事も就寝も、一畳分のそのスペースで行うのだそうです。
「持ち物は最低限の衣類と一式の布団、そして、応量器と呼ばれる5つの器のみ。初めは戸惑いますが、修行に不要な物が一切ないので、邪念が入り込む余地がなく、目の前の修行だけに打ち込めるようになります。
人間は誰もが、一点の曇りもない美しい心を持って生まれてきました。ところが、現世で暮らすうちに、執着や我欲といった垢を心にまとってしまいます。修行によって、そうした心の垢をそぎ落とし、『本来の自己』に出会う。それが、禅の目指すところなのです。
皆さんはきっと、物があふれた雑然とした空間にいると、気持ちが落ち着かず、雑念が生じ、本来の自分を見失いがちになることを、経験上知っているのだと思います。だから、不要な物を処分し、必要な物があるべき場所に収まった、シンプルな暮らしを求めるのでしょう。
片づけの目的は、本来の自己に出会い、心豊かに暮らすことなのです。それを認識すれば、重い腰を上げることができるのではないでしょうか。禅の教えが、豊かな人生を築くための一助になることを願っています」
お話を伺ったのは
枡野俊明住職
Shunmyo Masuno
1953年生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺(とくゆうざんけんこうじ)住職。庭園デザイナーとして国内外で活躍し、多摩美術大学環境デザイン学科教授も務める。『片づける禅の作法』(河出文庫)、『限りなくシンプルに、豊かに暮らす』(PHP文庫)など著書多数
曹洞宗徳雄山建功寺
神奈川県横浜市鶴見区馬場1-2-1
※毎週日曜7時~8時坐禅会を開催(現在休止中。再開についてはHPで確認を)
撮影/福知彰子 取材・原文/村上早苗