着付け教室の情報を集めるのは、さほど大変ではなかった。インターネットで着付けの方法を検索したり、着物について質問を書き込んでいたら、雪崩のごとく広告が入りはじめたのだ。
どうやら自宅近くにも教室があるようで、便利そうでいいなと思った。しかし、全12回・3か月のレッスンで曜日と時間が固定しているのがネックだった。時間の自由がきくフリーランスだが、スケジュールは臨機応変イレギュラーが日常なので、3か月間にわたり絶対にオフの日を確定するのは厳しい。1回でも休むとついていくのが難しいという注意書きもあって、私には無理そうだった。
ほかの教室のサイトもチェックしたが、いずれも1コースが全10回前後、1回の講義が60〜90分で合計10〜15時間。こんなに通わないと自分で着られるようにならないの?ったく着物って、なんてややこしいのだろう。
それならせめて、ギュギュッと時間濃縮の個人レッスンはないだろうか。そんな思いで検索をかけていたら、あるアンティーク着物ショップのサイトがヒットした。短期習得コース2時間×3回で、まったくの未経験でも着物を着られるようになるという。
オーナーは成人式や卒業式の着付けのほか、CMやグラビア撮影での着付けやコーディネートもしているらしい。凛とした蒼井優からアバンギャルドな木村カエラまで、ずいぶんと振り幅が大きい。
レッスン料はえらくリーズナブルで、時給換算すると心配になるほど。さらに必要なものは、すべて無料で貸し出し可能だという。
さっそく連絡をとると「まず1回やってみて、様子を見ながらその後の日程などを決めましょう」という返事。フレキシブルなこの感じ、フリーランスには嬉しい限りだ。
【コツは洋服と正反対の動作】
『着縁(きえん)』というその店は、下北沢駅から徒歩3分ほどのところにあった。古民家を改装したと思われる店内は、モダンなアンティーク家具と赤と黒で構成されていてスタイリッシュだ。
オーナーの小田嶋舞さんは、肌のツヤっとしたかわいらしい女性だった。私より圧倒的に若いが、ハイセンスなショップを切り盛りしているだけあって女将の風格も持ち合わせている。
「お待ちしていました。こちらへどうぞ」
着物や帯がズラリと並ぶ店の奥には、粋な小上がりが設えられていた。
早速レッスン開始だ。まずは襦袢の着付けを練習する。
「襦袢は、建物の土台のようなもの。着物を着るうえで一番大切なんです」
舞さんの説明は簡潔だった。着付けを習うというと着物に意識がいきがちだが、実は襦袢こそが重要なのだという。これがピシリと決まらなければ、何をどうしたって着物をきれいに着ることはできないのだ。
ポイントは衿元で、後ろに抜いた衣紋(えもん)が前に戻らないようにキープすることが重要だ。「Yahoo! 知恵袋」でも指摘されたように、衿が抜けていないのはズングリむっくり=老けパワーを増強させる最大の原因だ。
着るときのコツは、衿の位置を決めたら絶対に襦袢を前にひっぱらないこと。なんだそんなことかと思うかもしれないが、洋服を着慣れた現代人にとっては、これが思いのほか難しい。首の後ろに衿をピタリとつけるシャツやジャケットを着るときの動作が、無意識に出てしまう。自分ではやっていないつもりなのに、襦袢を持つ手が後から前へ、そして下へと動いてしまう。
着物で老けないためには、洋服とはまったく逆の動作を身につけなければならないのだ。
【秘伝のVゾーンテクで老けパワーを封印】
「もうひとつ重要なのは、衿合わせの角度です。昔は、年齢に応じて衿元を開ける着方が主流だったけれど、今それをやると実年齢より老けて見えてしまうの」
舞さんは、説明を続けながら自分の衿元に手をやった。
「こうすると、老けてやつれて見えるでしょう」
衿元を思いきり下に引いてV字の角度を鋭角にすると、確かにちょっと疲れた印象になる。心なしか顔色も悪いような気もした。
「つぎはコレ。くらべて見て」
舞さんは、襦袢の衿を喉のくぼみが見えない位置まで上げて、V字の角度を鈍角にした。
「わ! 舞さん、かわいい!」
私は、思わず声をあげてしまった。衿元を変えた瞬間、肌はツヤっと、目はキラっと輝いて、顔がものすごくイキイキして、十歳以上若くなった印象だ。
「着物って落ち着いて見えやすいし、洋服より生地面積が大きい分インパクトも大きい。ちゃんと工夫しないと、老けて見えちゃうのよ」
舞さんによると、似合う衿元は個人によって違うという。
「ゆかさんの場合は、こんな感じね」
そういって理想の衿元を整えてくれた。
①V字の先端は首のくぼみが隠れる高さ、②衿の角度は可能なかぎり鈍角、③衿を肩に沿わせて立たせない、④正面から見たときに首の付け根の両脇と衿の間に空間ができるようにする、がポイントになる。
イラスト/田尻真弓
特に②は厳守で、私のような面長の顔は、横ライン効果をだすため、衿合わせは可能なかぎり水平をめざすのが正解だという。衿元のV字が深くなると、特にやつれて老けこんでしまうのだ。
記憶の糸をたどると、自己流で着付けた母の着物の衿元は、首のくぼみはもちろん、その下まで盛大にさらされていた。あれでは老婆になって当然だ。
そして今、鏡のなかにいるのは、洋服のときの見た目年齢とさほど違わない自分だった。
大きな謎のひとつが氷解して、着物ライフが一歩前進した瞬間だった。
(つづく)