【履くとシンドイけど、気分があがるハイヒール】
自分で着物を着るようになって、あらためて思うのは、なぜ日本人はこんな不便なものを長らくまとって暮らしてきたのだろう、ということだ。
慣れで解決できるレベルのものもあるけれど、洋服にくらべたら圧倒的に不便で、現代社会のしくみやスピードにあまりにもマッチしていない。なにしろ、着るだけで洋服の何倍も時間がかかる。外出するときは、普段よりも三十分から一時間近くも前倒しで身支度をはじめなければならない。
体が締めつけられて苦しいという問題は、腰紐の結び目を体の中心から左右どちらかにずらすというセオリーによってほぼ解決されたけれど、帰宅して着物を脱げばそれなりの解放感に包まれて、ホッとしている自分に気づく。
それでは、どうして着物なんか着るのか? と訊かれたら、その理由はズバリ「楽しいから」だ。
そもそも着物に目を向けた理由のひとつは、洋服オンリーのおしゃれに限界を感じたから。昔とくらべれば、年齢を重ねた世代に向けたオシャレなアイテムは増えたけれど、流行サイクルへの既視感もふくめて、ファッションに対するワクワク感は下がる一方だ。
ところが着物ワールドは、洋服ではあり得ない色や柄、質感の組み合わせで構成されていて、非日常感を味わえるうえ、コスプレや舞台衣裳と違って、そのまま外出しても社会的に問題が生じることもない。むしろ好意的なリアクションも少なくなく、親切にされたり、いつもよりちょっとだけ丁寧に扱われることだってめずらしくない。
着物とは、履いて歩くのはシンドイけれど、身につければグッと気分があがるお気に入りのハイヒールみたいなものなのだ。
【理想の着物は室町時代にあった!】
でもやっぱり、もうちょっとだけ動きやすければなぁ、というのも本音だ。正座が3分しかもたない私は、居酒屋や友人宅でフロアに座るときはいつもゴソゴソと落ち着かない。リラックスした仕草や姿勢が、もうちょっとサマになるデザインだったらどんなに楽だったろう。
なんてことを考えていたら、かつてこの国に、私の要望にピッタリの着物が存在していたことが判明した。
それは、室町時代の着物だった(下のイラスト参照)。
これは『日本の女性風俗史』(切畑健編・紫紅社文庫)という本に載っていたもので、古墳時代から江戸時代にかけて、約1500年分の女性のファッションを時代考証のもとで丹念に再現した写真集だ。
着物の重ね着や帯との色合わせ、ヘアスタイルから、髪飾り、小物にいたるまでトータルコーディネートを写真で見られる、日本史ガールズコレクションと呼んでも、大げさではない圧巻の内容なのだ。
説明を読むと、室町時代の衣服はどうやら町で物売りなどをする女性たちのものらしい。裾が短めでフンワリと広がっているので、裾さばきが良く活動しやすそうだ。いいなぁ、これ。このスタイルが現代まで伝わっていたら、もっと着物を気軽に着られたのにと思うと残念でならない。
当時の女性たちは意外と活発に振る舞っていたような気もしてくるが、実際はどうだったのか?誰かに訊いてみたくなってきた。思いついたのは、明治大学教授の清水克行先生だった。
テレビの歴史バラエティなどの解説者として活躍中の歴史学者で、専門は室町時代から戦国時代の社会史研究。大学では名物講義が有名で、大教室から卒論ゼミまで毎年満員御礼状態だという。
「着物について、歴史的な背景を訊きたいんですけど」と連絡したところ、快諾していただけたのだ。
【町娘のかわいい仕草に隠された秘密】
「僕は着物の専門家ではないので、質問にきちんとお答えできるかわからないのですが……」
と言いながら、学生とのゼミ合宿で浴衣を着るときは「基本的な指導はしています」と、さすがは日本史の先生だ。で、指導とは具体的にどんな内容なのだろう。
「主に歩き方ですね。衿元がはだけたり、着崩れるのは、歩き方が原因です。右手と左足を同時に前に出す西洋風の方法は現代人には自然なものですが、歩くたびに身体がねじれるので、着物にはむきません」
正解は〝なんば歩き〟だという。これは右手と右足を同時に前に運ぶ歩き方で、昔の日本人独特の身体の動かし方だ。畑で鍬をふるうときに適した動きなので、農耕民族の特徴ともいわれる。現代でも相撲や剣道、柔道など武道の世界では、なんばスタイルが継承されている。
「現代の大学生には、さすがになんば歩きをしろとは言えないので、上半身を動かさないように、腕を振らないようにして歩きなさい、と説明します。すると、わりと上手くできるんです」
さらに清水先生は、時代劇でよく見るシーンについても説明してくれた。
「町娘が、よく胸の前で両手をにぎって急ぐシーンがありますが、あれも理にかなった走り方です。手の位置を身体の中心に固定しないと、昔の日本人は足を早く動かすことができなかったんです」
「そうなんですか! あれって、女優さんをかわいくみせるための単なる演出だと思ってました」
「かわいらしい仕草ですが、見た目だけの演出じゃないんですよ。ところで火事などの命にかかわる災害がおこって必死に逃げなければならないときは、どうしていたと思います?」
江戸の町は大火が多かったと聞くし、日本は昔から自然災害も多いから、それは切実な問題だ。でも、考えたこともなかった。
「当時の日本人は、両手を上にあげて走っていたんです」
「えー!? それは冗談でしょう?」
両手をあげて走るなんて、体幹ブレブレになってむしろ逃げおくれてしまいそうだ。しかし、清水先生は、ふざけているわけではなさそうだ。
「本当ですよ! その様子は当時の絵画にも描かれています。明治時代になって西洋式の身体の使い方を導入するまでは、日本には腕を振って行動をスピードアップさせる方法がなかったんです」
誰もがなんば歩きをしていた世界というのは、おそらく現代に暮らす私たちが想像するより、もっともっと、はるかにスローテンポなものだったのだろう。
【正座なんて、誰もやっていなかった?】
ところで本題は、室町時代のファッションだ。
袖丈は短めで、細めの美しい帯でウエストマークした着物は、上半身も下半身ともにフワリとした感じに着付けられていて、抜け感のあるラフな雰囲気。重ね着風なデザインがかわいいし、機能性の面では現代の着物よりもよほど現代社会にマッチしているような気がする。
私のお気に入りポイントを説明すると、清水先生はうなずきながら予想外のことを口にした。
「当時の着物は、今よりもかなり幅広につくってありました。なぜなら女性でもあぐらをかいて座っていたので、着物の裾がゆったりと広がる必要があったんです」
「え、あぐらだったんですか!?」
「あるいは、立て膝です。韓国の歴史ドラマでよく見る、片方の膝を立てた座り方です。日本人が正座をするようになったのは、茶道が浸透してからのことのようです。徳川家光の時代あたりからで、正座の方がかっこいい、上品に見えるということで広がっていったようです」
ということは、もし茶道がなかったら、千利休があれほど影響力のある男でなかったら、現代の着物はこれほど堅苦しくならずにすんだということなのだろうか……?
現代の着物は、どこから検討しても、現代人の生活にマッチしない衣服なのだ。むしろ椅子席が増えたことで、欧米化に感謝すべきなのかもしれない。
面倒や不便を乗り越えるには、心の底から「大好きだ!」と思えるコーディネートがスイスイ思いつくような、おしゃれセンスを磨くしか方法はなさそうだ。
(つづく)
イラスト/田尻真弓