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着物を「着慣れる」ってどういうこと? 

片野ゆか

片野ゆか

1966年、東京生まれ。広告営業職を経てノンフィクション作家に。
得意分野は、犬と人の生活全般、アジアの食文化、美容・健康など。2005年、『愛犬王 平岩半吉伝』で第12回小学館ノンフィクション大賞受賞。

 

さまざまな"着物の謎"に迫ってきた連載もいよいよ最終回です!自分なりの"着物ライフ"をエンジョイしながら、片野ゆかさんが気づいた着物の"難点・欠点・おいしい点"とは?あなたの着物ライフを楽しむヒントになりますように。

ある着物ルールブックを読んでいて、思わず吹き出してしまったことがある。和装の所作を解説するページのお宅訪問のシーンで、若いモデルさんが手土産を風呂敷に包んで玄関口に参上していたのだ。

 

そう、多くの人は生まれてこのかたCMでしか目にしたことがないアノ仕草。
思わず「知りたいのはソレじゃない!」と突っ込んだ。

 

着物は、洋服のときと同じ感覚では動けないので、独特の所作や動きのコツを身につける必要がある。でもルールブックでは、妙に仰々しいハードルの高いものばかりが目につく。それでいて、一番重要なことを避けているように感じるのは気のせいだろうか。初めて着物を着て出かけるとき、もっとも不安を感じること。それは誰もが避けて通れない、アレ……トイレ問題だ。

 

古式ゆかしい所作も指導できる着物の先生が推奨する、個室内での美しいお作法とはどんなものなのか。すごく興味があるのにルールブックでスルーされてしまうのは、美しい着物をあつかっているのに尾篭な話題には触れたくないということ?あるいは着物歴の長い人々のあいだでは、瑣末なこととして忘れ去られてしまうのだろうか。

 

個人的な経験からいえば、トイレ問題解消のコツは思いきりだと思っている。シワなど気にしないで、着物と襦袢を盛大にたくしあげるのが吉だ。太めのベルトでウエストマークした、たっぷりロングのフレアスカートを扱うときと概ね同じといえば、だいたいの人には通じるのではないだろうか。腰紐と帯がストッパーになるから着崩れることはない。

 

持ち上げた裾を胸の前でひとまとめにして、袖の袂が汚れないように注意すれば、あとは洋服のときと変わらない。事が終わったら着物と襦袢をすべておろして裾を整え、おはしょりをビシッと下に引き、帯の後ろが跳ね上がっていないか確認したら完了だ。

 

【知りたいのはモタモタしないコツ】

 

歩幅はいつもより小さめに、物を取るときには袖の袂を持つなど、着物はいつもよりスローダウンする要素が多い。でも実際に着て行動するのは、いつもと同じスピード感を要求される現代社会だ。エスカレーターや駅の階段など、洋服のときに近いテンポでササッと動けることはけっこう重要だと思う。

 

着物連載_ill

 

「着物で出かけたときは、駅の改札やコンビニのレジで密かに気合い入れてる。モタモタするのってかっこ悪いから」
というのは、知人のTさんだった。

 

着物を着ているといつもより注目を集めてしまうだけに、人の流れを止めたり、会計で手間取ったりするようなことは極力避けたいという。これには深く同意!そう、私が知りたいのは、モタモタしないコツなのだ。

 

Tさんが「いくつか買ったけど、使うのは結局コレばっかり」といって見せてくれたバッグは、デザインがいいという以上に物の出し入れがラクということが最大の特徴だった。

 

出し入れがラクといえばトートバッグだ。
ためしに手持ちのものをいくつかを着物に合わせてみたら、意外なほどマッチするので驚いた。やや小ぶりでシンプルなコットン製のものは、夏着物や浴衣にすごく合うし、大人カワイイ動物系プリントやアジアンテイストのバッグは違和感どころかアクセントになる。着物をカジュアル化できるアイテムとしても最強だと思った。

 

ところで和装バッグと普通のバッグの違いについて調べたら、一番重要なのは、外側に金具やファスナーがついていないことで、これは着物や帯を傷めないためらしい。トートバッグは必須条件の面からも着物と相性バツグンだったのだ。

 

ちなみに足元は、歩きやすいと評判のウレタン草履にした。安定感のある足裏に馴染む台と太めで柔らかい鼻緒が特徴で、一日目でもまったく違和感がない。ハイヒールのパンプスよりもはるかにラクなので、歩行速度は日常ペースに近くなった。

 

【巨大ヨダレカケの正義】

 

こうして足元と手荷物まわりのストレスが減ると、余裕が生まれて自然と肩の力も抜け、いつもの行動パターンがよみがえってきた。
友人と約束していた落語会に向かう途中、空腹感におそわれて飛び込んだのは、渋谷駅構内の某蕎麦屋だった。

 

受付でオーダーしてテーブルに着くと、一分もたたずにきつね蕎麦が運ばれてきた。スタッフから思いがけない言葉をかけられたのは、そのときだった。

 

「エプロンご利用されますか」

 

なんとこの店では、着物で来店した客に紙エプロンを提供してくれるらしい。今まで何度か利用していて、早くて安くて美味しいうえ、店内で働く皆さんがとても行き届いた風情で好ましく感じていたけれど、まさかここまでとは思わなかった。

 

なんて親切なんだろう!と感激したけれど、結果的にはお断りしてしまった。

 

誰もがサッと食事を終えて出ていく場所でひとり、うやうやしく紙エプロンをつけるなんて、いかにもたいそうなもの着ていますとアピールするようで、なんだか恥ずかしかったからだ。

 

でも着物で出かけているうちに、こうした特別扱い的なサービスがめずらしいことではないとわかってきた。イタリアンなどの洋食では、布ナプキンが二枚運ばれてくることもあった。なんだか大事にされているようで嬉しい。でも二枚もどうやって使うの?そういえば本やインターネットで、着物の衿に挟んで食事をする写真を見たような気がする。やってみると、なるほどこれなら赤ワインも心置きなく呷れそうだ。

 

しかし後日、友人がテーブルで撮ってくれた写真を見てガックリした。
私、めちゃくちゃカッコ悪いじゃないか……。

 

上半身のほとんどがテローンとした白布で覆われていて、中途半端なてるてる坊主がワイングラスを手に弛緩した笑みを浮かべている。着物でおしゃれしたつもりが、ファッションとして台無し感しかなかったのだ。

 

そこで、ふと気がついた。
ナプキンを衿元に挟むなんて、マナー違反じゃないの?

 

あらためてインターネットで、着物・食事・ナプキンで検索してみると、予想もしないものが大量に浮上してきた。それはナプキンクリップという商品で、大判のハンカチやナプキンの両端につけて首を通して使うものらしい。クリスタルのビーズや組紐など凝った素材も多く、単体で見るとアクセサリーのように美しい。でも使用中の姿は、ハッキリいって巨大赤ちゃんのヨダレかけだ。

 

着物ワールドでは、汚さないことが最大の正義なのか?絹の着物は特に水分に弱いし、クリーニング代も高額なので、その気持ちはすごくわかる。しかし、もし私が着物に微塵も興味がなくて、相手にこの格好されたら思うだろう。そこまでするなら洋服を着ればいいのに――。

 

【着物はマナー違反の免罪符?】

 

これって何なの、着物マナーなの?
これまでも何度か登場いただいている、私の着付けの師匠でアンティーク着物ショップ「着縁」のオーナー小田嶋舞さんと、人気着物ユーチューバーで着付け講師のすなおさんに訊いてみた。

 

「着物を着ているときでも、テーブルマナーは西洋式と同じよ」
というのは舞さんだ。あくまで布ナプキンは膝に置いて使うもので、衿元に挟むためのものではないという。ましてやナプキンクリップを使ってよだれかけ状態にするのは、かなりカジュアルダウンしたレベルと考えたほうがいいようだ。

 

すなおさんも「着物に限定したテーブルマナーはありません」と説明する。ただ着物を汚さない方法として、ナプキンの使い方を紹介する着付け教室や情報サイトは少なくないという。

 

「ナプキンや大判ハンカチの端を帯にはさんで膝上に広げる方法もあって、これも正式なテーブルマナーからはずれたものです。でもどうしても汚したくないときは、同席する人に一言断ればいいと思います」

 

気の置けない友人どうしの集まりなら、汚れを気にして萎縮するよりもテーブルマナーはほどほどに、食事やお酒を楽しんだほうがまわりだって楽しい。どうやらTPOに応じたアイデアらしい。

 

着物はてっとり早く非日常の気分を味わえる、楽しいアイテムだと思う。それによっていつもより注目されたり、親切にされたり、気を使ってもらえることもあるけれど、でも特別扱いが当然な衣装などではない。

 

所詮は、ワードローブのひとつなのだ。

 

(おわり)

 

イラスト/田尻真弓

 

ご愛読ありがとうございました。

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