「人生の終い方」は元気なうちに考えておく
私は1935年(昭和10年)に東京で生まれました。幼少期に両親が離婚し、戦中~戦後の子ども時代には合計5人の実・養父母に育てられました。
思春期には舞台メイクの仕事に憧れ、美容学校からコーセー化粧品に入社。その後、初の女性取締役を経て退社したあと、同年に起業しました。56歳のときです。
それ以来、59歳、62歳、75歳、84歳で次々と新しいことにチャレンジしてきました。その私も来年で90歳です。
よく「若さの秘訣はなんですか?」と聞かれるのですが、私は自分の人生を振り返ってみると、長期の休暇を取ったことがないのです。ずっと働き続けてきました。常に歩みを止めなかったことが、もの忘れがひどくなったり、長期で床に伏せることなく、元気でやってこれた秘訣なのではないかと思うのです。
今までの私は常に10年先を見据えて、何をしたいか? 自分がどうありたいか? と計画を立てて実行してきました。75歳を過ぎた頃からは、今まで興してきた会社それぞれに、後を任せられる後継者を育ててきました。
2019年、84歳のときに開設した「アマテラス アカデミア(ATA)」という私塾では、2030年までに150人の女性リーダーを育てることを目標に掲げています。それも順調に進み、2022年には社団法人にしました。これが私の天命だと考え、次世代の女性リーダーの育成こそが世の中への最大の恩返しと思ったからです。
私は合計5人の実・養父母に育てられましたが、その5人と夫、そして2年前に実兄を看取りました。特に実兄の人生後半に、ともに高齢者施設を探したことをきっかけに、そろそろ私自身が入る「終の棲み家」について考えるようになりました。
現在は娘と二人暮らしですが、5~10年先を見据えて、先日、自分用の高齢者施設の契約をしてきました。
現在は健康に問題はなく、介護はまったく必要ないのですが、将来的に子どもの世話にはならないと考えたのです。娘には相談なしで、勝手に契約してきてしまいました。事後承諾で話をしたら、娘は私の世話をする気満々だったようで、最初は少し驚いていましたが、納得してくれました。
介護の状態になったときのことや、亡くなったあとのことなど、家族でもなかなか話しにくいものです。しかし、自分の人生設計に「人生の終い方」を入れておくべきだと思います。
お墓のこともそうですね。私の場合は、夫が晩年精魂を込めて立派にした遠方の先祖代々の墓の墓終いをしました。それを見越して数年前に購入した都心のお墓の近くに改葬しました。そうしたことはその時が来るまで放っておきがちですが、体や頭が元気なうちにやっておきたいですね。
人は必ず老いていつかは死ぬのです。そこから目を背けないことです。これは7人を看取り、多くの友人・知人を見送ってきた私の経験からの思いです。
残りの人生は子どもの頃にやりたかったことを楽しむ
施設探しは広告だけでなく、実際に足を運んで、自分の目で確かめることが大切です。私も何十件も見て回りました。結構楽しいものですよ。
私はこれまでの人生で27回引っ越しをしてきました。28回目の今回がたぶん最後になると思うのですが、その終の棲み家は個人スペースがかなり充実し、自炊もでき、仕事に通うこともできます。それに入居者の共有スペースに食堂やカフェ、図書室などが備わっていて快適そうです。また、後々のための介護施設もあります。
老後がなかなか来ないと思う私ですが、その時を楽しめる準備は万端です。
そのうち、現在やっている仕事は徐々に減らしていき、今後は趣味を楽しみたいと思っています。75歳から始めた彫刻、80歳頃から始めた絵、そして86歳からピアノを始めました。
子どもの頃、近所に音楽大学があり、よくピアノの音が聞こえてきました。世界中の空港や駅でさりげなく一曲弾いて立ち去る人々を格好いい! と思う、私の夢がようやく実現するかもしれません。
そして、メイクアップアーティストや美容師の道具がそろっているので、私が入居したあとは、そこの高齢者施設の入居者の方たちに髪を結ったり、メイクアップをして差し上げたい。仕事ではなく、遊びの一環としてそんなことを考えています。道具の手入れや準備など、今のようにアシストしてくれる人はいないので、少し練習しておかないといけませんね(笑)。
2017年に設立した小林照子株式会社では、「美意識を持って生きる生き方」を提唱してきました。こうした小林照子イズムを伝承していく活動をするのが目的です。その一環として、2013年に立ち上げた小林照子奨学基金への援助に、私の著作物の印税などを充てています。
人は皆、命をまっとうしたら天に帰ります。あの世にはお金を持っては行けません。私は志を持つ子どもたちや若い世代に愛を注ぎ、サポートしていきたい。そのために自分のすべてのお金を使い切って、天に旅立つ予定です。そのことは娘にも承諾を得ています。
私は不思議に「死」を怖いと思ったことがありません。我が家には「ホトケコーナー」というのがあって、ひと足先に旅立った夫や愛猫たち、友人や仕事仲間の写真が飾られています。毎日、そこに手を合わせているのですが、向こうの世界ではきっと仲間たちが待ってくれていると信じているからです。
私は10年後には100歳になります。この頃には何にも執着せず、人の心を照らす光になっていたいですね。そんな自分の生き方を貫きたいと思っています。
【お話しいただいた方】
1935年2月24日生まれ。コーセーで長年美容を研究し、1985年初の女性取締役に就任。56歳で起業し「美・ファイン研究所」、59歳で「フロムハンド小林照子メイクアップアカデミー(現フロムハンドメイクアップアカデミー)」を設立。75歳で高校卒業資格と美容の専門技術・知識を習得できる「青山ビューティ学院高等部」を設立し、美のプロフェッショナルの育成に注力する。84歳で設立した女性リーダーを育てる「アマテラスアカデミア」を自らの使命とし、現在はふたつの会社の経営に携わっている。著書に『これはしない、あれはする』(サンマーク出版)、『なりたいようになりなさい』(日本実業出版社)など多数。
イラスト/killdisco 取材・文/山村浩子