『プライド』の緑川萌ちゃんのセリフですね。ライバルで生粋のお嬢様気質の麻見史緒ちゃんに「どうしてそんなに私が嫌いなの?」と聞かれて、萌ちゃんはこう答えます。「汚れたものは綺麗なものを憎むか、憧れるしかないの。愛されて育って、立っているだけで人が憧れる女には解らないわよ」と。
彼女はかわいそうな子なのよ。母一人子一人の貧乏育ちで、しかも母親が金と男にだらしない。子どものお金にまで手をだす最悪な女なんですね。酔っ払って、化粧も落とさず、口を開けて寝てるだらしない母親の姿を見て、萌ちゃんが「クズ」と言う場面があるんだけど、私はあのシーンが大好き(笑)。
だって本当にクズなんだもの。『プライド』を描いているとき、萌ちゃんの性格の悪さが読む人にとって納得のいくものでなければいけないと、そこにすごく気を使ったんだけど、私があのお母さんの子だったら、もっと悪い子になるかも(笑)。
萌ちゃんは確かに自分が「汚れたもの」だと自覚していたと思うの。でも、自覚してただけマシで、たいていの汚れた人は、自分が汚れているのに気がつかない(笑)。でも、萌ちゃんは少なくとも勘違い女ではなかった。自分のやり方は卑怯だし、咎められることだと承知の上でやっていて、でも私にはこうするしかないという状況だった。だから悲壮感があったのよ。
本当は、「あの人はあの人、私は私」と言って史緒ちゃんと同じ土俵に登らなければ良かったのよね。でも、萌ちゃんは相手をマウントして、自分が上に立つことで、自分自身を認めようとしたわけ。自分よりも上だった人をまかすことは、究極の快感だからね。それをやりたかった。
でも、それができない。しかも萌ちゃんにとって一番腹が立つのは、こっちは命がけでやっているのに、史緒ちゃんからは相手にされてないこと。史緒ちゃんは自分しか見てないからね(笑)。これは屈辱的だと思う。
史緒ちゃんに憧れて、一ファンになって生きる方法もあったかもしれないけれど、憎しみを糧に高みを目指して、ほぼ一流の近くまで行った萌ちゃんの人生もなかなかだと思います。その根性は称賛したいですね。
「プライド」
取材・文/佐藤裕美