昔、「恋のめまい 愛の傷」という作品を書く時に「愛ってなんだろう、愛と恋はどこが違うんだろう」と、いろいろ考えた記憶があります。
いくつか書き出してみます。あくまで、一条が考える愛と恋なので、反論や意見があっても却下しますので、あしからず。
まず!犠牲的な愛はあっても、犠牲的な恋というのはないんですね。
だから相手に裏切られた時、恋人が他の人と一緒になって幸せになれるなら、私は身を引こうと思えるのが愛。
でも、裏切られた時、恋人を恨んだり、死んでやるとか、殺してやるとか考えるのが恋。つまり何を中心にして考えるかというのが違うんですね。相手を中心に考えて行動するのが愛、自分中心に考えるのが恋ということです。
愛には自己愛はあっても自己中はないんです。自分さえ良ければ良いという傲慢なところがないのですね。
謙虚で控え目、相手を包み込む暖かさが愛です。
しかし、恋はわがままで、傲慢デス。人間のダメなところが凝縮されていて、嫉妬とか、憎しみとか、独占欲とか、相手を縛り付けるものがたくさん入ってる。『欲』がつくものはたいてい自分勝手です。それを『恋』という美しい言葉でくくっているだけなんですね。
『愛欲』と言うすごい言葉もあるけど、まあこれは無視してもいいよね。
愛に博愛はあるけど、恋に博愛はありません。
そして愛はスケールが大きくて、宇宙まで広がるけど、恋は守備範囲がとっても狭いのよ。半径2~3メートルな感じで、ソーシャルディスタンス内ですね(笑)。
究極の愛はアガペ(神の愛)ですけれど、究極の恋はオタクです(笑)。いくら束縛しても相手に迷惑がかからないし、推し活動が一番純粋よね(笑)。
反対に、最悪の恋はストーカー。これはもう、犯罪です!
人によっては恋ばかりしている人と、恋から愛へと成長する人がいると思うけれど、じつは辛いのはどっちも同じ。恋をするとめまいでクラクラするし、愛が深ければ傷つくし。傷つかない恋愛はない、と心得ましょう。
つまり「恋のめまい 愛の傷」というタイトルは、めまいがするような恋をして、愛によって傷ついたっていう話です♡
「恋のめまい 愛の傷」コーラス1995年2月増刊表紙
取材・文/佐藤裕美