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第1章 巡礼旅は怖くない 2・ヘタレの私がなぜ歩き始めたか(後編)

大滝美恵子

大滝美恵子

フードライター&エディター、ラジオコメンテーター。横浜生まれ。「Hanako」からスタートし、店取材を続けること20年。料理の基礎知識を身に付けたいと一念発起、27歳で渡仏。4年の滞在の間にパリ商工会議所運営のプロフェッショナル養成学校「フェランディ校」で料理を学び(…かなりの劣等生だったものの)、フランス国家調理師試験に合格。レストランはもちろん、ラーメンや丼メシ、スイーツの取材にも意欲を燃やし、身を削って(肥やして!?)食べ続ける毎日。

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10年以上かかって最初の1歩を歩きだすまで

20代後半でパリに移り住んだ時、貯金を切り崩しながらの貧乏学生生活でしたが、休みになるとフランス中を旅していました。安いTGVのチケットを見つけては地方に出かけ、10代の学生に混ざってユースホテルの大部屋に泊まり…。貪欲にフランスを知ろうとする私に、フランス人の誰かがいいました。「シュマン ド サンジャック(Le chemin de Saint-Jacque/フランス語の「スペイン巡礼」の呼び名)に行ってみたら?」と。

 

何日間もかけて何百キロをも「步く」巡礼旅だと聞き、時間をかけてわざわざ步くなんてありえない、聖地を尋ねる旅なんて何が面白いんだろう、信者でもないのに…と、さらっと受け流したと記憶しています。あの頃の私は「ボルドーのワイナリーでワインを飲む」「アルザスのショコラトリーでショコラを食べる」「南仏のレストランでブイヤベースを満喫する」などなど、時間とお金の限られた留学生活の中で、食への好奇心を満たすことに全身全霊をかけていました。

はるか彼方のゴールを目指してひたすら歩く巡礼者たち。車道脇の細道や険しい山道を歩くこともあるけれど、大半は緩やかな隆起の続く平原に伸びる真っ白な道。何百年もの間、何万人もが踏みしめた道は、整備されていて歩きやすい。道中、携帯カメラで撮った写真の主役はほとんどが「道」。

 

 

ある程度のフランス語が話せるようになり、CAP(フランス国家調理師資格)も取得し、4年のフランス滞在から帰国したある日。たまたま手にしたのが、あの巡礼について書かれた本でした。スペイン語では「カミーノ デ サンティアゴ(Camino de Santiago)」。それによると、宗教的な理由でキリスト教信者だけが步く道ではないこと、老いも若きも步いていること、そして、辛い苦行なのではなく、どうやら楽しい経験らしきこと…。

 

日本に戻ってフランスでの経験を生かすべく、少し虚勢を張りながら仕事をこなしていた私にとって、その旅はもう自分には手の届かないものに思えました。今はやるべきことがある、もう現実を見なくちゃダメ、仕事をしてお金を稼ぐべし、それに歩いて旅するなんて無理。

 

それからの日々、フランス地図の「ピレネー山脈」や「バスク料理」という店の看板の文字を目にすると、いつも胸の奥がちょっぴり疼いていました。あの巡礼の道にはどんな景色が待っているんだろう…。

巡礼路「フランス人の道」のスタートは、ピレネー山脈のフランス側の小さな村、サン=ジャン=ピエ=ド=ポー。観光地としても訪れる人が多いバスク地方の村で、目抜き通りの両側にはカフェやビストロ、バスク織りやエスパドリーユなどの可愛い雑貨を扱う店が立ち並ぶ。けれど、巡礼者である私は荷物が増えるのを恐れて、「見るだけ、見るだけ」と必死に購買欲と戦っていた。

 

もともとバックパッカーに対する憧れを持っていた

私が女子大生だった1990年頃、日本人海外渡航者数は1000万人を超え、世の中は第三次海外旅行ブーム真っ只中。多くの若者同様、沢木耕太郎さんの「深夜特急」を読んで衝撃を受けた私は、「バックパッカー」という旅のスタイルに大きな憧れを持っていました。でも、重たい荷物を背負って歩くなんてヤダ、か弱い(!?)私には無理無理無理…。同級生との卒業旅行の計画中にも「バックパックはやめよう」と言い出したのは私でした(なので、あれから25年経ったいま、バックパックで旅すると告げた時の友達の驚きようといったら…)。

 

年齢を重ねるということは、悲しいかな、体力、気力の減少も意味します。運動を日常的にしているわけでもなく、階段を上るくらいなら遠回りしてでもエスカレーターを使いたい。もちろん体重だって倍、倍ゲームで増加中。当時よりも汚い&臭いことへの拒否反応は強くなっていて、果たして若い子たちに混ざって男女混合・大部屋のドミトリーに泊まれるのか…。

 

 

 

心の底で忘れかけていたバックパッカー旅への憧れを実現しようと思いたったのは、ある現実と直面したからでした。

私の標準装備。バックパック(ただしこの日は、中身の荷物を次の宿泊先に送っていたので、サイズがかなり小さめ)には巡礼者の目印であるホタテ貝をぶら下げて。サン=ジャン=ピエ=ド=ポーで購入した初心者用のストック2本。香港の夜店で買った安いウェストポーチ(後々、ちゃんとした防水用を買わなかったことを大きく後悔することになる)。

最後まで揺らいだ心を決めさせたのはマイレージの有効期限

 

この何年かで、同世代の従姉妹、女友達を相次いでガンで亡くしました。命には終わりがあるのだということ、そして自分もいつかは必ず死ぬということを、この年になってようやく実感したのです。不安で心細い気持ちを隠しながら、ベットの上の彼女たちは「元気になったら、これをやりたい」と朗らかに口にして、いつも周りの人々を逆に励ましていました。それが叶うのかどうか、日々、揺れ動いていただろう心の内を思うと、いまでも泣きたくなります。

 

身近な同世代の人の死は、私に「いつかそのうち」が必ず訪れるものではないということを肌で感じさせました。やりたいことはやれるうちにやらなくちゃダメなんだ。縁あって生かされている人生、ひとつでも多くの後悔をしないように。

 

 

 

それでもまだ、「800kmを步く旅」に対しての漠然とした不安があったのですが、最終的に私の背中を押したのは「マイレージの有効期限」でした。たまったマイルを無料航空券と引き換えられる航空会社のマイレージ、私が貯めたマイルのリミットは12月31日。大晦日、パソコンを膝に「NHK紅白歌合戦」をながら見しつつ、まだ迷いに迷っていました。こんな私が巡礼の道を歩き通せるのかな…。

 

でも、もうこのマイルで他の旅をアレンジする気持ちはありませんでした。長い年月をかけて「歩く旅なんてありえない」から「歩いて旅するなんて無理」へ、そして「歩き通せるのかな…」と移り変わっていった私の心は、もうすっかりカミーノに向き合っていました。

 

TVでジャニーズ年越しライブが始まった頃、「ええい!」とチケット支払いの確定をクリック。ケチな私はマイルを無駄にするなんてできなかったのです。

 

巡礼者の道標になるのが黄色いホタテのマーク。道に迷いそうになった時の案内板として、疲れ果てて足が動かなくなった時の励まし役として、常に巡礼者に寄り添っている。

 

 

そしてもうひとつの大きな理由。それはダイエット。

 

恋愛のためとかおしゃれのためとかではなく、これから訪れるであろう両親の介護や独り身で生きていかなければならない自分のため、健康でいなくてはならないと思っていました。でもフードライターという仕事柄、それは簡単ではないですし、それを言い訳にする自分の弱さも情けないながら承知の上。そして、何十万もかけてジムに通うゆとりも、根性もありません(断言)。

 

だとしたら、そういう環境に自分を置くしかない、と考えました。仕事のために食べなくていい時間、食べ物が詰まった冷蔵庫が身近にない生活…。

 

約10kgの荷物を背負って、毎日20km以上を歩き、それも約1ヶ月というまとまった期間、続けなければならない環境。これこそがいまの私に最適なダイエットだと思いました。これで痩せなかったら、もうダイエットするのは止めよう、そんな覚悟と共に。

 

こうして、とにもかくにも歩き始めることになりました。いろいろな不安、邪な(?)気持ち、まだ見ぬ巡礼の道への憧れを抱き、800km先のキリスト教の聖地、サンティアゴ デ コンポステーラの大聖堂を目指して。

 

 

  • MEMO 第2日目 計21.5km

ロンセスバリェス(スペイン/ナヴァラ地方)

ララソーニャ(スペイン/ナヴァラ地方)

ロンセスバリェスでは古い修道院が巡礼者の宿。180以上のベッドがあるのに、この日はほぼ満室。翌朝、小雨の降る中出発し、高低差約600メートルの道を、登ったり下ったりしながら歩く。途中に通るブルゲテは、ヘミングウェイの名作「日はまた昇る」に登場する小さな村。実際に彼もこの村に滞在し、主人公同様、近くの小川で釣り糸を垂れていたそう。

 

地図イラスト/石田奈緒美

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