イースターの日に辿り着いた“奇跡の鶏”の街
朝、小さな洗面台で顔をバシャバシャと洗っていると、白人の若い女の子に「ハッピーイースター!」と声をかけられました。そうです、今日はイースター、スペイン語では「La Semana Santa(セマナ サンタ)」。十字架に架けられたイエス様が復活した日です。
アゾフラから緑の平原を歩くこと約4時間。菜の花畑の向こうに教会の塔の先端が小さく見えてきました。聖人ドミニコ(スペイン語名はドミンゴ・デ・グスマン・ガルセス)の名前を冠する街、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダに到着です。広場では市場が開かれていたり、カメラを持った観光客とすれ違ったりして、街は華やいだ春の連休気分満載。太鼓の音が聞こえてくるほうへ歩いていくと、聖母マリア像を乗せた山車を引く行列と出くわしました。悲しい印象の短調の調べのなか、黒いベールを纏ったマリア様が運ばれて行きます。街のはずれの聖フランシスコ広場まで来た行列は、今度は色とりどりの花で飾られたイエス様を先頭に、白いベールに着替えたマリア様を従えて、街の中心へと戻って行きました。
さて、巡礼の重要な中継地として栄えたこの街には12世紀に造られた白い石造りのカテドラルがあり、聖ドミニコの眠る墓があるのと同時に、彼が起こした鶏にまつわる奇跡でも知られています。
その昔、ドイツから来た夫婦とその息子が巡礼途中に、この街に滞在しました。宿の娘はその若者に恋するのですが、振り向いてもらうことができず、愛しさ余って憎さ100倍、娘は若者の荷物に銀の杯を隠して、それが盗まれたと訴えました。若者は捕らえられ、盗難罪で絞首刑に処されてしまいます。翌日、嘆き悲しんだ夫婦は最後にもうひと目だけ息子の遺体に会いたいと処刑台に向かうのですが、驚いたことに「聖ドミニコが私の命を守ってくださいました」と言う息子の声が聞こえてきました。驚いた夫婦はそれを市庁舎に伝えに行きますが、食事中だった市長は目の前の皿を指して「あの若者がまだ生きているなんて、このグリルチキンが生きていると言うのと同じだ」と疑います。すると奇跡が起き、料理された鶏肉が調理前の元気な姿に戻ったのでした。
「グリルした鶏が歌うサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ」という言葉と共に、奇跡にちなんでこのカテドラルでは鶏が大切に飼育されています。庭の片隅に置かれた木製のオンボロの鶏小屋ではなく、なんと教会内のゴシック風装飾の美しい鶏舎で飼われているからビックリ!! さすが、奇跡の立役者のニワトリさん、超破格の高待遇…。
街のパン屋のショーウインドーにも、「聖人の奇跡」と言う名の鶏の形をした菓子パンが並んでいます。しかし、「うっ」と私が釘付けになったのはその隣…。「聖ドミンゴのパイ」と言う名のお菓子、こ、これはどう見ても人間!? なんでも絞首刑になった若者をモチーフにしたパイで、最初は長方形の台で試作したのだけれども、あまりにも棺桶のようだとホタテ貝にしたとのこと…。中にはりんごペーストが入っているサクサクのこのペストリー、1993年の発売以降、この街を代表するお菓子になったそうです。日本で言うところの大仏饅頭や人形焼の、キリスト教版と言ってもいいでしょうか。リアルすぎた(それこそがニッポンの技術の高さなのですが)人形焼がどうしても食べられなかった外国人の友達を思い出しました…。
しみじみとウインドーを覗き込み「うぷぷっ」と漏らしてしまった笑い声を、あたりを見回して慌ててひっこめました。笑うなんて失礼かしらん。あーあ、一緒に笑ってくれる誰かが隣にいたらなぁ…。
ひとり旅は優しさも、切なさも身にしみる
ひとりの巡礼が寂しいなと思うのは、美しい景色を目の前に、それを分かち合う相手がいない時。また、何かイヤな目にあって、その愚痴を聞いてくれる相手がいない時。誰かがいればその感動は2倍になりますし、そして逆に困難は2倍、こたえるのです。
巡礼路にはいろいろなグループが歩いていました。仲の良い賑やかなスペイン人の同級生グループ、SNSで巡礼参加を呼びかけて集まった初対面同士だと言う台湾人チーム。定年退職を機に念願だった巡礼の夢を叶えたフランス人夫婦は、歩くのが遅れがちな奥さんをご主人がさりげなくフォローしている絆が素敵でした。また、20歳前後の息子たち3人を連れたアメリカ人のお母さんは、エプロンをつけて朝食を作り、揃ってお祈りをしている姿がとても微笑ましくて。30代の韓国人カップルは誰をも惹きつけるオープンハートの持ち主たちで、二人で過ごす時間を大切にしたいと仕事を辞めてハネムーン巡礼に来たなんて、身悶えするほど憧れちゃう!!
ひとりで旅をしていると、誰かから与えられる優しさがとても心に響きます。そして日頃、何気なく自分が受けている優しさを、ありがたく思い出します。ただでさえ歳のせいで涙もろくなっているのに、さらに巡礼中の涙腺の弱さときたら、触れば水が出てくる壊れた蛇口…。 望んでひとりで巡礼旅に出たものの、いつも隣に仲間がいる人たちを、素直に羨ましいと思って見ていました。
巡礼はひとりで行くか、誰かと行くか
とはいえ、誰かと歩いている人を羨ましいと思う反面、ひとりで良かったと思うこともあるのです。まず、それはとにかく自由なこと。誰に気を遣うこともなく、自分ひとりで何もかもを決めていいのです。今日はこれ以上無理と思えば、どこで歩き止めるのも自由。アルベルゲに泊まるのがキツイと思えば、高いホテルに宿泊するのも私次第。
さらに、ひとりでいたからこそ、たくさんの人から話しかけられる機会があったとも思っています。ひとりの方が話しかけられやすいし、話しかけやすい。私も相手が同じ境遇だと思えばこそ、さらに日本人とわかればなおのこと、積極的に話しかけていけました。ここぞと言う時のリフレッシュ用に上等な中国茶葉を少しだけ持っていたので、「お茶飲みませんか? 話しませんか?」とアルベルゲのキッチンでひとり旅の老若男女をナンパしたことも数知れず(笑)。たくさんの記憶に残る話が聞けたのも、深く話しあえる友達ができたのも、ひとりだったおかげもあるかもしれません。
「スペイン巡礼は自分の内面への旅」と書いていたのは往年のアメリカ人女優、シャーリー・マクレーン。現在83歳ながら、先月、日本でも公開された映画「あなたの旅立ち、綴ります」でも、元気に美しく、スクリーンに登場しています。スピリチュアル系の著書を多く持つ彼女が、60歳を過ぎてからの自身の巡礼体験をまとめた本を帰国してから読みました。正直なところ、スピリチュアル度が高すぎて理解不能な部分が多かったのですが、時々、当たりクジを引き当てたように、霊感(?)の乏しい私でも「あぁ」と納得する言葉を見つけることがありました。
歩くことが大半を占める巡礼旅では、自分と向き合う時間がイヤと言うほどあります。大概、歩いている時は雑念が頭の中を占めていて、私はなぜだか「反省」していることが多かったような…。何であんなことしちゃった? 何であんなこと言っちゃった?? どうしてあの時、絶交された??? どうしてあの時、フラれたの???? 明確な答えが見つかる訳ではないのですが、どうにもならない過去を頭の中で自分と話し続けていました。
けれどもそれは決して重苦しくてツラい時間という訳ではなく、「仕方ないよね」と都合よく自分を許してあげたりもして(苦笑)、そこそこの人生の時間を過ごして来たからこその「自分を顧みるチャンス」でした。ぐるぐると回る思考を何にも邪魔されることなく歩き続けられる時間が、日々、待ち遠しかったような気もします。
そして、ふと気付くと、「無」の状態で歩くことに集中している瞬間がところどころあったりするのですが、これがマラソンランナーの「ランナーズハイ」 、座禅をするお坊さんの「無の境地」に匹敵するものだったのでしょうか。少なくともこの「巡礼ハイ」、体力的に42.195キロメートルを走ったり、体重的に長時間正座することなどできない私にとって、とても貴重な時間でした。
もしまた次に巡礼を歩くことがあるとして、ひとりで行くのか、誰かと行くのか選ぶことができるのだとしたら…(そもそも同行できる人が簡単に見つかる訳がないのですが)、どちらを選ぶか、自分でもよくわかりません。確実に言えるのは、あの空間にまた戻りたいと思っている自分がいることです。そしてその気持ちはあのスペインの青空の下で言葉を交わした仲間たち、ほとんどがそう思っているようで、「また行きたいね」「楽しかったね」と世界中の巡礼友達といまもやりとりを続けています。
さて、フランス国境から10日間で歩いた距離は約220キロメートル。日数的には全行程の1/3が過ぎたところです。巡礼の最初の1/3が過ぎる頃には身体も慣れてくると誰に言われたのか、身体がツラいのは変わらないですが、歩く毎日には次第に慣れてきました。イースター休暇を利用して歩いていた多くの賑やかなスペイン人巡礼者たちは帰路に着き、これから少し巡礼路の雰囲気も変わってくるかもしれません。お天気にも恵まれて、巡礼には持ってこいの季節。このまま晴れがずっと続くといいなぁ。
明日からはスペインに入って3つ目の州、カスティーリャ・イ・レオン州を歩きます。
(次回に続く)
- MEMO 第10日目 計21.7km
アゾフラ(スペイン/ラ・リオハ地方)
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グラニョン(スペイン/ラ・リオハ地方)
これから「フランス人の道」の最初の山場、標高約1200メートルのオカの森に向けて2日間、緩やかな登りが続いて行く。のどかな畑の向こうに教会の尖塔が見え始めると、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ。オハログレラ川を渡って街を後にして、コンクリートで整備されたログローニョ自動車道に沿って歩くと、小高い丘の上には大きな十字架が360度の平野を見守るように立てられている。
地図イラスト/石田奈緒美