年齢を重ねるほどに美しく__
〝大人磨き〟はこれから
第5回 大人の女の爪は噓をつかない。「生き方」を語る
出会いからもう、四半世紀。「ひと目惚れ」からずっと、存在そのものに憧れ、立ち居振る舞いからファッションまで、会うたび観察し続けている。文章は言わずもがな。美容ジャーナリストの齋藤薫さん、その人である。
ある化粧品会社で、女性ばかりのスタッフと打ち合わせをしていたときのことだ。ひょんなことから、齋藤さんの話になり、私たちは、自分が知るエピソードを競うように披露した。いかに素敵な女性であるかを言葉にし合い、盛り上がったのである。
ここは私の「マニアぶり」を発揮しようと、「齋藤さんの爪って『意外』なんですよね」と自慢げに話を振ってみた。「へーっ、どういうこと?」という反応を期待し、それに対する答えを想定して。すると、皆が口をそろえ、「そうですよねえ」。えっ⁉ どうして知ってるの? 「あの爪を見て、齋藤さんってかわいい人だなあって、思ってたんです」「私も!」「私も!」…私だけじゃなかったんだ、そう思っていたのは。
そもそも、なぜ意外なのか? ご存じの通り齋藤さんは、見た目も中身も、頭のてっぺんからつま先まで「完璧」な美しさの持ち主。誰しも無意識のうちに、女っぽい長さに伸ばされ、きれいに彩られた爪を「妄想」していたのだと思う。
読者の方々もそうじゃないだろうか? ところが実際は、短く切りそろえられ、ネイルカラーがまったく塗られていないピュアな爪。勝手な思い込みとのギャップは、ある意味とても印象的だった。皆、齋藤さんの爪を知っていたのは、きっとそのため。
爪って、不思議だと思う。美を語るのが職業である女性タレントの爪にパーフェクトなネイルアートが施されていたらそれは説得力を増すし、憧れを抱くが、小さな子どもの手を引く母がもし同じ爪をしていたら、この人はちゃんと子育てできているだろうか、料理や洗濯をしているのだろうかと疑いたくなる。
今どきのファッションに身を包み、メイクにもこだわっている女性の爪ががさがさ、ぼろぼろだと、なぜか汚い部屋を想像し、嫌悪感を覚えるけれど、動物園で飼育員として毎日を必死に生きている女性なら、たとえあざだらけの手に無頓着な男性のような爪でも、涙が出るほど美しいと思う。
女の爪は「生き方」を語るのだろう。生きるうえでの「知性」や「品格」が見えるのだろう。私たちはそれを知っているから、無意識のうちに、相手の爪を観察しているのじゃないか。その人はどう生きているのかを知るために、その人の本質を見抜くために…。私が爪に対して後ろめたさを抱いているのは、どこか生き方に自信がないから。女としてのクオリティに自信がないからなのだと、改めて痛感させられた。
しかも、現実的なことを言えば、年齢を重ねるほどに、爪は内臓の健康状態までも顕著に語りはじめる。大人の女の爪は噓をつかない、噓をつけない。つまりそういうこと。
電車で偶然隣り合わせた女性。視界の片隅でとらえたシルエットは、ファッションもヘアスタイルも、30代くらい。シートに座るや否や、スマホのゲームを始めた彼女の手元に、何気なく視線を移すと? その指先には、ずっとほったらかしにされ続けた爪。思わず顔をのぞき込むと、意外や意外、おそらく私と同世代か。シルエットと爪のギャップ、行動と爪のギャップ…違和感を抱くのはきっと、私だけじゃないと思う。
もう一度、意識し直したい。自分の爪はどうあるべきなのか、と。
撮影/江原隆司