年齢を重ねるほどに美しく__
〝大人磨き〟はこれから
第7回 顔の下半身は、「生き方の清潔感」をおのずと語り出す
一時期、来る日も来る日も週刊誌に見出しが躍り、ワイドショーを賑わせた一人の女性。女同士が集まるたび、私たちは、自身のことは棚に上げ、ここぞとばかりにその人の話題を口にした。公人としての資質が問われるだの、ちゃんと仕事に徹してほしいだのとご託を並べながら、誰からともなく出てくる本音。
「ところで、あのアイメイク、どうなの?」。
女性は女性を厳しい目で観察しているものだと、改めて思い知った。メイクは社会性の表れと、身をもって知っているからこそ、そこに生き方のセンスを見抜くということか? ああ、私だけじゃなかったんだ、気になっていたのは。そして…。
「でもね、もっと気になるのは、実は顔の『下半身』なのよね」。
勝手な妄想ながら、少しもたついたフェイスラインがだらしなさそうに見え、への字に下がった口角は、噓をついているようにも見えるのだ、と。鋭い指摘に、一同「わかる、わかる!」。結局、真相は闇の中なのだけれど。
年齢を重ねるほどに、自分の顔の変化を観察しては、確信していた。「目のシワが」とか「頰のシミが」といううちは、まだまだ大人の子ども。どうにもごまかせない老化は、実は、口元やあごまわり、フェイスラインなど、顔の下半身にやってくる。誰にも平等にかかる重力が、生きてきた時間の長さ、すなわち年齢を顕著に刻むから。
でも…? それ以上に深刻なのは、長さのみならず、生きてきた時間の質までもが刻まれてしまうということ。思えば、食事をするのも、会話をするのも顔の下半身。だから、きちんと食べているか、ゆっくり嚙んでいるか、丁寧に話しているか、心から笑っているか…より無意識に近い、日常の小さな「癖」がすべて積み重なる。内臓と直結しているから、「生活」が表れ、「体の健康」が表れる。脳と直結しているから「思考」が表れ、「心の健康」が表れる、みたいな。つまり、女として健やかに生きてきたか、穏やかに生きてきたかが、露わになってしまうというわけなのだ。年齢を重ねれば、なおさら。そう、顔の下半身は、その人の品格や理性といった「生き方の清潔感」をおのずと語り出してしまう、つまりそういうこと。ああ、怖い。
ちなみに、フランス在住の女性に、こんな話を聞いたことがある。フランス人女性にとって、目元のちょっとしたシワやたるみは、むしろ、豊かな時間を積み重ねて初めて生まれる「包容力」の表れだから、色気になる。でも、口元のシワやたるみはまったく逆で、100年の恋も冷めるほど色気を遠ざけてしまうもの。
「だから、フランス女性は口元のシワやたるみを許さないのよ」。
一方で、ある男性カメラマンの「男はね、意外と女性の口元を見てるもんなんだよ」という言葉も忘れられない。女性たちは、目力、目力と必死になりがちだが、男性はそれを実はあまり見ていない。唇、歯、そして声までも…「なんだかいい感じ」も「生理的に受けつけない」も、本能で嗅ぎ分けるのだ、と。
実際、だらだら食べたり、きちんと嚙まなかったりしていると、口元全体に緩みを生み、二重あごになると聞くし、悪口や愚痴などネガティブな言葉が口角を下げ、たるみを生み、ほうれい線が深く刻まれるとも聞く。今の顔と向き合って、「これまで」を知ろう。
そしてこれからの顔は、自ら作り直す。毎日を清潔に生きる、そんなちょっとした心がけを重ねて、もう一度。
撮影/江原隆司