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花子とアン〜村岡花子さん(赤毛のアンの翻訳者)の住んでいた大森・馬込文士村を散策

Midori

Midori

カラー&イメージコンサルタントとしてセミナー活動や東京の自宅サロンにて活躍中。家族は夫と三人の息子と義母の6人+愛犬2匹。オペラ、ミュージカル、舞台、映画鑑賞、スキー、テニス、シュノーケル、旅行、ファッションと多趣味。

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今、NHK朝の連ドラ「花子とアン」は歴代一番の視聴率だそうですが、私も例外ではなくはまっているドラマです。

 

吉高由里子さんのひたむきな花子はとても魅力的ですよね。鈴木亮平さん演ずる村岡さんもとてもさわやかで素敵です。
腹心の友、百蓮さんの帝大生との恋にはらはらし、波瀾万丈のふたりの女性の生き方に心を動かされる方も多いと思います。
朝、絢香さんの美しい歌声を聞いては想像の翼を広げています。
小学生の時に初めて「赤毛のアン」を読んだ時は本当に感動しました。赤毛のアンシリーズを読んで、アンの生き方に共感を覚える女性も多いですよね。でもこれは村岡花子さんがいなければ今日こんなに日本で読まれていなかったことでしょう。

 

 

花子さんのひたむきに生き抜いた時代はどんなだったのでしょうか?まだ女性が社会で活躍出来る場所は少なかったはずです。今回は、村岡花子さんの生涯をめぐるおでかけです。

 

 

まず、大森駅の近くにある守半海苔店(大田区大森北1-29-3)
http://www.morihan.jp/2013/index.html
花子さん御用達の老舗海苔店です。
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菓子司 よね屋(大田区大森北4-20-10)
http://www.wagashi.or.jp/tokyo_link/shop/1906.htm

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プリンスエドワード島の刻印です。奥様は赤毛のアンの大ファンでいらして手作りの可愛いお人形が飾られていました。
赤毛を緑色に染めてしまったアンだそうです。

 

村岡花子は明治26年に山梨県甲府市に生まれました。本名は安中はなさんです。明治36年・10歳で、東洋英和女学校入学。10年間、寄宿生活を送りました。大正3年・21歳山梨英和女学校教師として赴任。大正8年・26歳で上京し、現・教文館の編集者となり、福音印刷支社長の村岡敬三さんと結婚、大森新井宿に新居を構えました。
それから晩年・昭和43年・75歳までを過ごしました。
幼い頃からクリスチャンだった花子が拠り所とした
大森めぐみ教会(大田区池上1-19-35)
http://omorimegumi.com/
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大正12年・30歳のときに、関東大震災を経験します。そして長男を幼くして病気で亡くしてしまいます。たくさんの困難を乗り越えて、子供のための本を翻訳し続けました。太平洋戦争の折りには東京大空襲の中でも隠れて赤毛のアンを翻訳しました。大変な時代に翻弄されながらも西洋の本を翻訳して日本の少年少女達の西洋の文学を紹介しました。

 

 

明治末から昭和初期まで大森駅は馬車の通うモダンな街で、周辺には詩人、文学者等が多く住んでいました。
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馬込文士村散策コースに入ります。まずJR大森駅山王西口から天祖神社に向かう石段の脇に馬込文士村レリーフがあります。
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右から佐田稲子、吉屋信子、村岡花子、宇野千代、片山廣子。恋多き作家、宇野千代はモダンガールのひとりと呼ばれ当時尾崎士郎と結婚して住んでいました。花子の腹心の友の1人、片山廣子は外交官の長女として上流家庭に育ち西洋的な気品と教養を持ち合わせて文士達の憧れの女性だったそうです。その中に芥川龍之介もいました。彼女は15歳年下の花子の資質を見抜き、花子の翻訳傑作「王子と乞食」(マーク・トウェイン著)も彼女の勧めによるものだったそうです。
レリーフには文士たちがダンスパーティや麻雀に興じる様子が描かれている物もあり、当時の様子をうかがい知ることができます。

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ここには他にもたくさんの文士たちが集まっていました。

尾崎士郎、川端康成、石坂洋次郎、萩原朔太郎、三好達治・・なぜここにたくさんの文士たちが住むようになったのか?どんなに華やかなところだったの? とかその時代にタイムスリップして見てみたくなりました。
平和島など埋め立てていなくて海岸があり、温暖でとてもいいところだったそうです。
大田文化の森では村岡花子が暮らしたまち“大森”が開催されています。村岡花子に関する展示や「赤毛のアン」に関連した資料を展示中。(9/27(土)まで)
大田文化の森(大田区中央2-10-1)
http://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/bunkanomori/index.html

※イベントは終了しています

 

さて、臼田坂をのぼって行くと大田区立龍子記念館があります。
https://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/hakubutsukan/ryuushikinenkan.html
臼田坂

川端龍子『涼景にあそぶ』

日本画壇の巨匠・川端龍子は馬込文士村を語る上で外せない人物です。ちょうど『涼景にあそぶ』が開催中でした。(8月31日(日)まで)

 

 

とても広い館内に勢いのある作品がとても素敵でした。龍子記念館に隣接する龍子公園では龍子設計のアトリエと旧宅が公開されています。緑がいっぱいの庭はとても風情がありました。
郷土博物館
臼田坂を上がって行くと郷土博物館があります。
こちらには村岡花子の自筆原稿や翻訳した本などが展示されているほか、馬込文士達の交流の様子がわかります。大森貝塚などの考古関係資料、昔の人たちのくらし、海苔養殖関係資料、羽田空港資料などとても勉強になって楽しいところです。
「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」オープンハウスはただいま休館中です。

 

 

でも、館内のものが全国のイベントで展示されています。
日本橋三越で開催された「モンゴメリと花子の赤毛のアン展」に行って来ました。

http://anne.jp-keepexploring.canada.travel/hanako/exhibition.php

※イベントは終了しています
村岡花子翻訳『赤毛のアン』

こちらでは赤毛のアンの著者モンゴメリと花子の自筆の手紙、原稿、スクラップブックなど、とても素敵な展示物がありました。モンゴメリと花子とアンの共通点が作用して、赤毛のアンがより素晴らしく、ずっと愛される物語となっていることがわかりました。
村岡花子と大森を調べているとNHKの「花子とアン」がとても面白くなりました。

 

 

もう1人の腹心の友の柳原燁子(百蓮)とのことなど考えれば考えるほど最先端を生きる女性だったのだと思います。

 

 

皆様どうぞ村岡花子さんの暮らした大森・馬込を訪れてください。アンを通して伝えたかったことが何かを感じるヒントになると思います。どんなに苦しくても前を向いて歩くことの大切さを教えてくれた『花子とアン』
もう一度『赤毛のアン』シリーズを読んでいます。
花子の名訳 「歓喜の白路」「恋人の小径」・・・
アンは身近な風景に名前をつける名人でした。
山王花清水公園(弁天池)を花子さんも訪れたことでしょう。

山王花清水公園

アンはどんな名前をつけるでしょうか?
時々、想像の翼を広げてみたくなります。
まち歩き+ミニイベント
村岡花子の暮らしたまち大森~お散歩ガイドツアーもあります。

大田観光協会
http://www.o-2.jp/machiaruki/

 

 

 

 

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