新宿区落合の「アートの小道」散歩
こんにちは。寺社部長の?田さらさです。
この連載では寺社に限らずさまざまな場所へのお出かけコラムをお届けしてきましたが、コロナ禍が始まって以来、なかなか遠出ができません。しかし、こんな時こそ地元の魅力を再発見するチャンス。今回は、比較的わたしの自宅から近い東京都新宿区の落合という地域に残る画家のアトリエと、浮世絵の技術を現代に伝える会社のショールームを訪ねる散歩コースをご紹介します。アトリエは区の施設で、現在は予約制ではないものの、手指の消毒、検温、訪問記録を残すなどの感染拡大防止対策が取られています。浮世絵の会社の見学は予約制です。いずれも、それほど多くの人が訪れる場所ではないので、安心して楽しむことができます。
落合エリアは、新宿副都心に近い住宅街ですが、マンションよりも一戸建てが多く、どことなく古風で風情のある街並みが続きます。このエリアの一部には、大正時代から昭和初期にかけて、「目白文化村」と呼ばれる高級分譲住宅地が開かれ、お金持ちや郊外の雰囲気を好む芸術家や作家が移り住みました。それぞれに工夫を凝らしたアトリエや住居が建てられ、田園や雑木林が残る中に三角屋根の家が点在する、まるで外国のような風景であったとか。このマップは、落合エリアにあった当時の文化人たちの住居跡を示しています。それらは多くが空襲で消滅しましたが、当時の雰囲気を伝える二つのアトリエが復元されています。
スタートは目白駅。徒歩10分ほどで、最初の目的地、「中村彝(つね)アトリエ記念館」に着きます。芝生の庭の奥にある、絵本に出てくるようなかわいらしい建物です。
中村彝とはどんな画家でどんな絵を描いたのか。それを知るために、まずは管理棟内の展示物を見てみましょう。
17歳のころから結核と闘いながら絵の道を志し、若くして認められた中村彝。しかし、病状は次第に悪化し、晩年はこのアトリエで闘病しながら絵を描き、37歳で亡くなりました。この記念館に展示されている作品は実物ではなく、高精度な写真パネルですが、自画像などを見ることができます。
ある時期の恋人でありモデルも務めた相馬俊子さんを描いた作品もあります。新宿中村屋の創業者、相馬愛蔵・黒光夫妻の長女です。相馬夫妻は芸術家を愛し、支援したため、当時、中村屋はサロンのようにたくさんの芸術家が集まっていました。中村彝も、相馬夫妻の厚意で中村屋裏のアトリエで暮らし、俊子さんと恋に落ちたのです。しかし、相馬夫妻に交際を反対されたため、彝は中村屋を出た後、落合にアトリエを建てて転居しました。
アトリエ記念館を建築していく過程を写した写真です。
アトリエは、彝の死後、仲間たちが保存会を作って保全されました。やがて、鈴木誠という洋画家の所有となり、今日まで保存されてきました。しかし、後年増築された部分も多かったため、大正5年の建築当時の姿に戻す復元が行われたのでした。
次にアトリエ棟に入ります。こちらには、アトリエ、居間、台所、彝の身の回りの世話をした女性の部屋があります。まずは、かつて居間だった部屋で、画家の生涯と作品についてまとめたビデオを見ます。
芸術家のアトリエは、北側に大きな窓があることが多いです。通常の住居なら南側の窓が好まれますが、南側からの光は時間によって刻々と変化します。それに対し、北側の窓なら、入ってくる光にそれほど変化がないため、色使いなどに影響を与えにくいのだとか。
通常はボランティアガイドによる解説が行われていますが、現在は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から休止しています。ご注意ください。
次なる目的地、「佐伯祐三アトリエ記念館」までは、ゆっくり歩いて20分ほど。その道すがらに、もうひとつ、お勧めしたいスポットがあります。
「アダチ版画研究所」さんのショールームです。
こちらは、浮世絵の制作技術を高度に継承する職人を抱える現代唯一の版元です。復刻版の浮世絵と現代の浮世絵を制作販売する会社ですが、ショールームに展示された作品を誰でも鑑賞させていただくことができます。
(ただし、現在は、事前予約制です)
葛飾北斎の作品の復刻版が展示されていました。博物館などで目にする古い浮世絵より線が精緻であるように感じます。刷りたての浮世絵は、こんなに美しいものだったんですね。
一枚の版画ができあがっていく過程がわかるコーナーもあります。気が遠くなるような細かい作業です。
現代の浮世絵も展示されています。こちらもとても興味深いです。
ショールームで見せていただき、気に入った作品があれば、購入もできます。どれもこれも素敵で欲しくなります。
ショールームについての詳細はこちらをごらんください。
※現在は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、ショールーム見学は事前予約制になっています。電話かメールで、予約をしてから出かけましょう。
ここから「アートの小道」と名づけられた道を歩きます。独特の雰囲気がある立派な住宅が多く、歩いているだけで楽しいです。聖母坂と呼ばれる大通りから少し脇道に入ったところに、木々に囲まれた一角があり、それが「佐伯祐三アトリエ記念館」です。
軽井沢あたりの別荘を思わせるかわいらしい建物がアトリエです。
佐伯祐三は、東京美術学校(現東京藝術大学)在学中に米子夫人と結婚し、ここに住居兼アトリエを建てます。近くに住む中村彛のアトリエにも通っていたそうです。その後、生まれたばかりの幼い娘も伴ってパリへ。3年後に病気療養のため帰国し、しばらくここで暮らしましたが、パリへの思い絶ちがたく、再びパリへ向かい、わずか1年後に亡くなりました。30歳でした。
こちらでも、ビデオで画家の作品と生涯について学ぶことができます。
わたしが佐伯祐三作品をはじめて見たのは、中学生のころ。代表作のひとつ『リュクサンブールの木立』でした。パリのリュクサンブール公園の並木と歩く人々を描いたもので、単なるきれいなだけの風景画とは違う力強さが感じられました。その後、カフェの絵やポスターがたくさん貼られた建物の絵なども見て、すごい才能の持ち主だと確信。パリの街角を描いた画家としてはユトリロが有名ですが、わたしは佐伯のパリの方が好きです。国内での評価は高く、時折展覧会も行われますが、世界的に知られた画家というわけではないでしょう。でも、もっと長生きして、さらに独自の画風を開くことができたら、藤田嗣治と並ぶ日本人画家として世界に通用したのではないかとわたしは思います。
アトリエ内部には、高精度の写真による複製画が飾られています。これは、農地と雑木林の中に立派な住宅が点在する落合の風景を描いたものです。描かれた人物はテニスをしています。
ここに住んでいた時間はそう長くなかったのですが、それでも佐伯祐三は、近隣の風景を多く描きました。独特の荒く力強いタッチなど、この画家の魅力は確かに感じられますが、一連のパリの絵とくらべると、幾分、本領が発揮されていない感じがします。自分の命はもう長くないかも知れないと思いつつ、どうしてもパリにもう一度行きたかった気持ちが、なんとなく理解できます。
アトリエ兼住居の模型も展示されています。今はもうありませんが、当時は、アトリエの他に母屋もあったのですね。
こちらは、奥様の佐伯米子さんについての資料と作品です。米子さんも才能ある画家で、パリの権威ある展覧会で入選を果たしたこともありました。佐伯祐三の死に続き、幼かった娘さんもそのままパリで亡くなり、二つの遺骨を持って帰国した米子さんは、それからもここで暮らして絵を描き続けたとのこと。享年75歳。感動的な人生です。
米子さんが亡くなられてから、ここは新宿区立の公園になりました。「佐伯祐三アトリエ記念館」として公開されるようになったのは平成22年のことです。
こちらも現在は、ボランティアガイドによる案内が休止中です。ご注意ください。
今回は、新宿区の見どころを巡りましたが、東京の他の地域にもよいところはたくさんあると思います。この機会に、さらにいろいろ行ってみて、よいところがあったら、またご紹介しますね。
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