この記事を読んで下さっているOurAge世代のみなさまは
昭和~平成~令和と3つの時代を過ごしてきていると思うのですが
昭和のノスタルジックな雰囲気がする場所やアイテムに触れると
自分の記憶とオーバーラップさせて切ない気持ちになったり
子供の頃のワクワクする気持ちが蘇ってきたリしませんか?
神奈川県の横浜市と川崎市を走るJR鶴見線は
ここ最近、工場夜景ブームで再び脚光を浴びていますが
基点の鶴見駅以外すべて無人駅、わずか3両編成のこの電車。
生まれも育ちも横浜のワタシでも、なかなかこの路線を利用する機会はありません。
今回は、鶴見線鶴見駅を出発した最初の停車駅、国道駅をご紹介します。
国道駅の名前の由来は国道15号(第一京浜国道)と鶴見線の交点にこの駅があるから。
JR鶴見線 国道駅は、1926年の開業(当時は鶴見臨港鉄道)から一度も改装されていない、90年前の雰囲気がそのまま残っている特徴的な駅が見どころです。
国道正面入口右側の壁には、太平洋戦争末期の横濱大空襲の際に米軍機から受けたと思われる機銃掃射の跡がそのまま残されています。
駅の構内は、黒澤明監督の映画『野良犬』や、テレビドラマで人気を博した『華麗なる一族』『男女7人秋物語』の撮影、最近は『マツコの知らない世界』などのバラエティー番組でも取り上げられ、その独特な雰囲気を味わおうとする見学者が後を絶ちません。
JR鶴見線は昭和元年(1926)の開業当時は「鶴見臨港鉄道」が貨物専用として運営しており、国鉄(JR)に移管され鶴見線となったのは昭和18年(1943)のこと。ここ国道駅の特徴的であるアーチ状の梁を含めた駅の設計は、日本初の鉄筋コンクリート高架鉄道の設計者、阿部美樹志氏。日比谷映画館や万世橋鉄道高架橋なども手がけています。
以前の駅構内には、食料品日用品などが購入出来る「臨港デパート」という商業施設が営業していたそうです。
現在もいくつかの商店の看板が残っていますが、営業しているのは「国道下」という居酒屋のみ。ですが、こちらもコロナ禍の営業自粛で開店休業状態のようでした。
鶴見川からほど近いこともあり、釣り船屋さんの看板もありました。
こちらの建物には「KEY STATION」という文字の看板跡が。
国道高架を抜けた正面には、旧東海道(生麦魚河岸通り)。更に鶴見川方面に足を進めていくと、現在も高架下には数件の住居が立ち並んでいました。
今年は日本で国際的競技大会の開催があり、個人的に昭和から令和を懐古する機会も多かったのですが、レプリカや画像処理などでは無く、その時代の空気をリアルに吸収してきた建築物を目の前にし、国道駅の散策で、戦後の復興を夢に見てきた人々や、高度成長期に京浜工場地帯で働く人々のパワーを少しだけ身近に感じることが出来たような気がしています。
数年間、先の見えないコロナ感染拡大で気持ちが萎えがちになっていましたが、元気になりました。
今回もおでかけ女史組MIZUHOの記事を見て下さって本当にありがとうございました。
ご興味のある方は過去掲載記事も見ていただけると嬉しいです☆