1703年にピヨートル大帝がロシアの近代化の窓口として建設したサンクトぺテルブルグは、1712年からロマノフ王朝、帝政ロシアの首都として繁栄しました。
啓蒙専制君主として名高いエカテリーナ2世の時代には、現在のエルミタージュ美術館の核となる部分が建設され、芸術都市として栄えました。19世紀になるとプーシキンやドストエフスキーなどの文豪が、サンクトペテルブルグを拠点として活躍し、ロシア革命後からソ連崩壊の時期まではレーニングラードになり、レーニングラードバレエ団は世界的に有名です。
文学、映画、芸術の世界の中で憧れていた世界にふれるため、サンクトペテルブルグを訪れました。
空港から中心部に近づくにつれて、その大きさ、華麗さに目をみはる建築物に遭遇します。
世界遺産に指定された、グリボエードフ運河沿いの「血の上の救世主教会」は、中世のロシア正教の建築様式の教会です。しかし、内側のモザイク画の煌びやかさ、トパーズ、ラピスラズリ、半貴石の装飾をみると、やはりロマノフ王朝時代の建築物だと納得します。
暗殺されたアレクサンドル二世を偲んで建てたので、モザイク画は聖書の中から悲劇的な要素を主題としたものが描かれています。
街を散策すると、貴族の宮殿を改装したホテル、荘厳な建物や寺院威容を誇っています。
バルト海域を制した帝政ロシアの国力の中枢となった旧海軍省。金色の尖塔は街のどこからでも眺められ、ランドマークとされています。
砂糖菓子のようにも見える白とブルーのエレガントなスモールヌイ聖堂。18世紀の創設時は女子教育のための修道院でしたが、19世紀になるとエカテリーナ2世が貴族の令嬢のための女学校を併設しました。
国力の増強と女子教育、ロシアの近代化が着々と進んでいったことを感じます。
そして旅行のメインはエルミタージュ美術館。
もとは冬の宮殿として「冬宮」が建設され、エカテリーナ2世が収集した美術品を保管、展示するために「小エルミタージュ」、「旧エルミタージュ」が加わりました。そしてニコライ1世が「新エルミタージュ」をつくり、現在のエルミタージュの基盤となったそうです。
アーチから覗くエルミタージュは、まさにヴェルサイユ宮殿を模してデザインされたことが実感できます。
宮廷前の畳石の広場は、当時夜会に訪れる貴族の馬車でいっぱいであっただろうと想像してしまいました。
300万点の美術品が収蔵されている世界屈指の美術館ですが、私が最も感動したのはその内装と皇族が暮らした部屋。文学作品を読みながら想像していた通りの情景です。
「大使の階段」とよばれる正面階段は、ロシア・バロックの傑作といわれています。深いグリーングレイの花崗岩の円柱、鏡が使われた窓、数々の彫刻で飾られた空間は、訪れた各国の大使、外国使節に当時の帝政ロシアの力の強さを印象付けたことと思います。
白とゴールドでまとめられたエレガントな部屋。日中、エカテリーナ二世が近しい友人を招きお茶やおしゃべりをしていたのでしょうか。近くにゆりかごのある子ども部屋があるので、私室なのでしょうね。
栄華を極めた帝政ロシアですが、やがてロシア革命が勃発し、全てが夢物語となってしまいました。しかし想像力をもってサンクトぺテルブルグを訪れれば、自分なりにその夢物語を体験できますよ。ベストシーズンは暖かくなる5~8月だそうです。
■エルミタージュ美術館