結婚ってこの人しかいないという覚悟をもって、
二人が互いの良さを見つけて努力すること。
そして心身の健やかさは、決して自分のためだけのものではない。
愛する人たちと分かちあうためにあるのです
~書籍「十和子道」P 88、99より~
<担当編集者からみたこの言葉の背景>
出版社に入って20数年、取材を通していろいろな人に話をきいてきた。
取材とはある意味特殊な場と思っている。
本来ならばなかなか面と向かってきけないことでも〝取材(仕事)〟という大義名分のもと敢えてきいたりもする。
記事のテーマ、主旨にもよるが、相手が答えをはぐらかしたりお茶をにごそうとしたらさりげなく違う角度から再度切り込み、本音や新しい情報を引き出そうと試みる。
大げさにいえば取材する側とされる側のちょっとした攻防戦、駆け引きが生じる場であるのだ。
今まで十和子さんを何回取材してきたのか数えたことはないけれど、10数年前の一番最初の取材のことはいくつかの場面を鮮明に覚えている。
待ち合わせたのは六本木のホテルのロビーだった。
片手に大きなバッグ、片手にブラウスが吊るされたハンガーを持って十和子さんは一人で現れた。
インタビューを行う高層階の部屋へ一緒にエレベーターで上がる間、なにかしら話しかけてみたけれど「はい」とか「そうですね」という短い返事しか返ってこなかった。
その様子から今日のインタビューは乗り気じゃないんだろうな、と思った。
でもがっかりはしなかった。
逆に十和子さんが乗り気じゃないのは当然だと思った。
なぜかというとその日の取材テーマは〝キレイの秘訣〟のような美容についてのものではなく、「なぜあの結婚をとりやめにしなかったのか」をメインとした、恋愛と結婚についてのインタビューだったから。
この連載の第一回目でもちらっと書いたが、十和子さんと誉幸さんの婚約、結婚は〝芸能ニュースの最大関心事〟となりプライバシーの侵害といえるような記事が量産された。
あんな状況下でなぜ結婚に踏み切れたのか、私はずっと十和子さん本人の思いを聞きたくてしょうがなかった。
それは単なる好奇心とか野次馬根性というものとは違う何かで、騒動から数年経っても気持ちは変わることがなかった。
そこで「君島十和子インタビュー」というテーマを毎月の編集会議(掲載内容を決める会議)に出してみたりしたのだが、採用されることがないまま約1年が過ぎてしまった。
採用されない理由として上司から言われたのは〝君島さんは集英社の女性誌に登場するカラーではない〟だったと記憶しているが、〝あの騒動の人〟という印象が編集部内で強かったことも一因だったと私は思っている。
ところがある月、「私の恋愛論」というテーマでモノクロ2ページを用意していた相手(恋愛小説でヒットを出していた作家)に締め切り直前に「体調が悪いので」とキャンセルされ、ページが空いてしまった。
今だ!と思い上司に「君島さんのインタビューで埋めたい」と掛け合ったら、「ま、2ページだし……モノクロだし……」としぶしぶ承諾を得た。
勇んで十和子さんにさっそく取材申し込みをしたものの、断られる可能性が大きいだろうなと心のどこかでは冷静にとらえていた。
なぜかというとその際送った企画書には「恋愛についてのお考えだけではなく、ご主人と結婚することになったいきさつ、婚約発表から始まったあの騒動にもかかわらず結婚した理由などについてもお話していただけませんか」といったようなことを書いておいたからだ。
結婚から数年経ち、いまや子どももいる人に嫌な思いをたくさんしたであろう当時のことを振り返ってもらい、しかもそれを不特定多数の人が読む雑誌に掲載しようというのだ。
あちらに何のメリットがあるというのだろう。
でも返事は「取材をお引き受けします」というものだった。
あの騒動のことを振り返った本格的なインタビューというのは、おそらくそれが初めてだったのではないかと思う。
インタビュー中も十和子さんの表情は硬く何かの採用面接に来た人のように見えたが、こちらの質問には率直に答え、かなり不躾なことをきいてもはぐらかさなかった。
仕事に邁進していた十和子さんが誉幸さんと出会い、恋をしたいきさつ。
お互い相手のどこに共鳴し、結婚を決意したか。
そして〝あの騒動〟が実家の家族にまで及ぼしたさまざまなこと。
それでも揺らぐことのなかった「この人こそ人生をともにする相手」という確信。
(誉幸さんと交際していた頃の十和子さん。このあと婚約を発表し騒動が始まった/「書籍「十和子道」P88)
しかも語る言葉に説得力というか強さがあり、感心した。
これはすでに結婚している人はもとより、これから結婚する人やいつか結婚してみたい人、恋をしている人たちも惹きつける記事になるぞとわくわくしたが悔しくもあった。
なぜかというと今回とれたページ数はたった2ページだったからだ。
そこにタイトル、見出し、写真を入れれば文字数はあまりない。
「これじゃあ、話のあちこちをつまんでキュッとまとめるしかない……」
結局できあがった記事は十和子さんが話してくれた内容の30%くらいしか掲載できていない。
攻防戦も駆け引きも全くないインタビューが続き、その途中で鈍い私はようやく「エレベータ―の中で口数が少なかったのは取材にノリ気でないということではなく、緊張していたせいだ」とわかった。
そしてこの不器用でまっすぐな君島十和子さんという人に、とても好感を持った。
この人の美しさがどこから来るのかなんとなくだが、理解できそうな気がした。
取材が終わろうとしているとき私が思わず「今日こうして当時のことを率直に話せるのは、今が幸せだからなんですね」と言うとうなづき、初めて笑顔を見せてくれた。
(「右は長女、左は次女のファーストシューズ」大事に大事に保管している/「十和子道」P93)
私はその日撮影した十和子さんの写真プリントを編集部の自分のデスクの見えるところに貼った。
そしていつかまた取材できるといいなと願った。
今度は過去の話をきくのではなく、今の幸せな様子をききたい。
でも編集会議でテーマを出し続けても全く相手にされなかったこの約1年を思うと、再びページを確保するのは難しいだろうとすでに諦め半分になっていた。
ところが思いがけないことがおきる。
(十和子さんのスマホには誉幸さんとのツーショット写真がたくさん保存されており、これはその一枚。家族で北海道を訪れたときのもの/「十和子道」電子書籍版特典「エブリディ十和子」より)
★この連載は毎週木曜日更新されます。次回は2020年1月2日配信されますので、お楽しみに。
そして……
みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
撮影/冨樫実和
*オールカラー、自宅で撮影、オール私服、収録写真400点
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電子版には特典としてプライベートを含む計276点の写真とコメントを特別編集した「エブリディ十和子」がついています!