新しいボーイフレンドの噂が出始めているアンジェリ−ナ・ジョリー。
去年の夏、カンボジアのポル・ポト政権下の悲劇を描いた監督作『最初に父が殺された』のインタビューの時に、「シングルでいることに楽しさは一つもないわ。自分で選んだわけではないシングルライフを、楽しんでるとは言えないわね」ときっぱり言い切ってました。
ありのままの自分を、はっきりした言葉で表現するのが彼女の特徴です。過去20年以上に何回もインタビューしましたが、“アンジーのはっきり表現語録”は山ほどあって、それは彼女の人となりを表現してます。
22歳の時、いろいろな女優賞をもらったテレビ映画『ジーア』(1998)で会った時は、 「私はセクシュアルで情熱的なタイプ。恋人とはベタベタしたい方ね。ジーア(麻薬とエイズの感染で若くして他界したスーパーモデル)の生き方が全く理解できないわけではないの」と言う彼女に、新鮮味を感じました。
あの時のアンジーは、自分の人生をどんどん自分で決めて進む荒削りでオープンなエネルギーを放出していて、彼女のカラフルな未来を示唆してました。すごい新人登場、と誰もが思ったものです。
その後、『17歳のカルテ』(1999)でアカデミー賞助演女優賞をもらったのはご存知のとおり。その時のインタビューでは、レズビアン関係を質問されてました。「惹かれた相手がたまたま女性だったと言うだけのこと。好きになる人が男じゃないとダメって言うことはないでしょう?」というのが彼女の答えでした。
それに加えてアカデミー賞の会場で受賞がわかった時、隣に座っていた兄のジェームスに喜びのキスをしたことから『タダごとではないキス。二人は近親相姦ではないか』とひどいゴシップが流れました。
この時はさすがの彼女も打ちのめされた様子で、「父が居ない生活の中でいつも私を護り、かばってくれた兄はかけがえのない存在なんです。私の大きな支えだったんです。ひどい噂をたてられて、兄はあの後私と一緒に歩くことすらしなくなりました。ゴシップそのものより兄を私から遠ざけたことがとても悲しい」と、記者の前でポロポロ大粒の涙を流してました。
その次は2001年の『トゥームレイダー』の時。14歳の時にボーイフレンドが彼女の家で同棲していたという話です。それは本当ですか?と聞かれて、「後ろにいる父が心臓発作を起こしそうだわ(父のジョン・ボイトはこの映画で共演してて後ろに座ってました)」と笑ってから、「本当よ。ただ母の心配からそうなったっていうことね。まだ14歳だったし、初恋だったから彼と一緒に居ることしか考えてなかった私を心配して、外でコソコソされるよりウチで一緒にいてくれる方が安心だから、と。母の苦肉の策だったのよ。私が誰の言うことも聞かないこと、わかるでしょう?」とにこやかでした。
自分の選択がどんな結果を生んでも言い訳をしない、恥じずに堂々としている人という印象は初めからありましたが、それを貫いているのは見事です。そしてブラッド・ピットと『Mr.& Mrs. スミス』(2005)で巡りあい、2016年に別れるまでハリウッドでいちばん美しく、いちばん仲がいいカップルとして君臨してました。
監督作の傾向から“精神的に強い人”を題材にすることが多いですね、と聞かれて「強い人にもいろいろあると思うけど、最近の私は昔の私と違うと思うわ。内面が弱くなっているのを感じるの」とぽつりと言ってました。ブラッドとの別れのつらさを言葉少なく教えてくれたのだと思います。