5歳のときに右脚の切断手術を受けて、義足生活に。養父からの性的虐待、母親の自殺未遂、貧困……と、困難の多い生活を強いられたというボニー・セント・ジョンさん。しかし、そうした肉体的・精神的難題を乗り越えて、パラリンピックでスキー競技のメダリストとなり、その後はビジネスコンサルタントとして活躍。「全米で最も影響力のある5人の女性」(NBCニュース)にも選出されている。
そんな彼女が、小さな工夫の積み重ねで心を休め、自分の力を最大限に引き出すための実用的なガイド『心を休ませるために今日できる5つのこと マイクロ・レジリエンスで明日のエネルギーをチャージする』を出版。「身を持って学んだメソッドが全てつまっている」という同作と、その背景にある人生について話を聞いた。
撮影/堀内亮 取材・文/小林資子
Bonnie St.John ボニー・セント・ジョンさん
人間は悲観的な生き物です。
だから心を鍛えて、楽観性を身につけないと
片脚切断や性的虐待など、子どものころからさまざまな困難に直面してきたボニーさん。躊躇しながら当時のことを切り出すと、「大丈夫よ。どんどん質問して」と、オープンマインドに答えてくれた。
「子どものころは、もちろんつらかったですよ。たとえば、当時の義足は装着するだけで痛いし、歩くともっと痛い。あまりの痛さに一晩中泣いたこともあります。でも、そこで『つらい、つらい』と言って過ごしていても何も変わりません。なんとかポジティブに考え方を切り替えて、肉体を鍛えるように、心も鍛えていくことが大事なのだと思います」
しかし、それは簡単なことではないのでは。
「そうですね。肉体のように目に見えることに対しては、こうすればいい、ああすればいいと、比較的ラクに前向きになれるかもしれません。ただ、養父から性的虐待を受けた〝心の傷〟のように、目に見えないし見せたくないものにどう対応して、どう回復させていくかを見出すのは容易ではありませんでした。私の場合は、信頼できる人に話を聞いてもらいながら、繰り返し繰り返し自分の心を見つめ、心を耕し、立ち向かっていく道を切り拓いてきたように思います。今は、夫のアレンが一番の話し相手ですね(笑)」
つらくても前を向くことの大切さは、母親からも学んだという。
「母は心の中にある種の思い込みを抱えていて、いつも闘っていました。ただ、少しでも前を向くために、ポジティブな言葉や本を身近に置き、『今の自分をどうにかしたい』と思っている人々の話し合いの場や講演会に、私を連れて参加していました。そこでさまざまな話を聞けたこと、そして自分が抱えているものに抗い闘う母の姿を見てきたことで、私は『どんな困難に直面しても、自分で(前向きな)選択をして行動すれば、道は必ず拓ける』ことを学んだのだと思います」
雪の降らないサンディエゴで生まれ育ったボニーさんが、冬季パラリンピックでメダリストとなる過程にも、いくつかの選択と行動があった。
「第1の選択は、高校時代に友人からスキー旅行に誘われたときに『行く』と決めたこと。第2の選択は、障害者用の用具を借りようと、スキークラブに出向いたこと。第3の選択は、そのクラブで義肢のメンバーがレース(競争)をしているのを見て、『私もやりたい。やるからには勝ちたい』と思ったことですね。義足の私は、それまで学校で何のスポーツチームにも参加できませんでした。
ところが、この3つの選択のおかげで、スピードを出して走る(滑る)経験や、最初は下手でも、そこを乗り越えればスムーズになるし楽しくなるという経験ができた。これが非常に大きかったですね。そりゃあ最初はくたくたに疲れましたよ、片方の脚しかないのですから。ただ、初心者必修のボーゲンは、左右のスキー板が重なったりぶつかったりして難しいらしいのですが、私は初めから1本脚だから、それがない。ある程度できるようになると、1本脚のほうが簡単よ(笑)」
いやいや、簡単なはずはないが、とにもかくにも経験を積むうちに「コーチについてきちんとトレーニングすれば、自分はうまくなれる」と自信がついたボニーさん、今度はアメリカ有数のエリートスキー選手養成校「バーク・マウンテン・アカデミー」への入学という選択をし、行動を起こした。
「学費や寮費に2万ドルかかるのですが、100ドルしかかき集められなくて(笑)。校長先生に電話して窮状を訴えたら、『とにかく来てみなさい』と。最終的には、全額奨学金を得られました」
それは、ボニーさんの超人的な努力が認められたからにほかならない。
苦労してようやく入学したまさにその日…次のページに続きます。
学校での初日、トレーニングマシーンから転倒して、足首を骨折した。ギプスを付けながら腹筋や体幹を鍛えるトレーニングに励み、6週間後にギプスが取れてみんなでランニングを始めたとたんに、今度は義足が折れた。
「当時は木製だったので、ボキッと(笑)。そこで初めて気づいたのですが、義肢を付けているのは私だけだったんです(笑)。もちろんすぐに修理に出したけれど、配送ミスでなかなか戻ってこなくて……。そのとき誰かに『もうあきらめたら』と言われました。私は例によって自分の心と向き合い、こんなふうに気持ちを立て直しました。
――『できない理由』はこれからもたくさん出てくるだろう。退学を言い渡されるかもしれないし、家族が帰って来いと言うかもしれない。でも幸いなことに今は言われていない。アスリートになって、チャンピオンになれるかもしれないチャンスが目の前にある。だったら、『自分からやめるのだけはやめよう』と――。
自分でやめたら、そこで終わり。でも、自分でやめなければ、思いもかけない素晴らしいことが起こる可能性が誰にだってある。振り返ってみれば、どんな肉体トレーニングよりも、精神的な回復力の方が重要だったと思いますね」
こうして94年のインスブルック冬季パラリンピックでメダルを獲得――。すごい、すごすぎる。もしやボニーさんは、もともと超ポジティブな性格なのでは?
「いえいえ、著書にも書きましたが、人間は生物として生き残るために、もともと悲観的(ネガティブ)に生まれついています。危険や不快、恐怖や不安を敏感に察知して、すぐさまリアクションしないと生き残れないでしょう? でも、現代社会でこれをやっていたら、怒りを爆発させたりイライラしたり、ストレスをため込んで心が折れてしまう。
だから、悲観的で落ち込みがちな元の心を鍛えて、前向きな楽観性を身に着けることが大切なのです。これができると、自分がもっているエネルギーや生産性を飛躍的に高めることも可能になりますよ」
しかも、日々の小さなことの積み重ねで、これを実現するのが「マイクロ・レジリエンス」のテクニック。次回はその詳細を教えてもらおう。