クイーンに続いてエルトン・ジョンの伝記映画『ロケットマン』が公開されます(日本では8月公開予定)。この映画はミュージカルスタイルでストーリーが展開されます。キャストは誰もがこの映画の中で、歌う才能を披露しています。
エルトン・ジョンが19歳の時に出合い、その後何十年も彼の作詞家として共に無数のヒット曲を世に送り出したバーニー・トーピンをジェイミー・ベルが、エルトン・ジョンの最初の恋人でマネージャーのジョン・リードを『ゲーム・オブ・スローンズ』、”Bodyguard”〈大ヒットした英国TVシリーズ〉のリチャード・マッデンがやってますが、2人とも歌って踊ってます!
フレディ・マーキュリーから滲み出ていた美しさと革新性がないと思われがちなエルトン・ジョンですが、この映画の軸となっている彼のロックンロール人生は波乱万丈。ドラッグ、アルコール、セックスのアディクションに振り回されて死にそうになったこともある、筋金入り(?)のバッドボーイでした。
当時のエルトン・ジョンは非常に痩せていて、今のゴロンとした感じからは想像がつかないほどの細さだったのです。エルトン・ジョン役に抜擢されたタロン・エガートン(『キングスマン』)を見て、エルトン・ジョンのイメージと全然違うと思う人もいるはずですが、ドラッグに溺れてた暗黒時代の彼を知っていると、タロンがエルトン・ジョンにそっくりで、演技のマジックに引きこまれます。
フレディの派手さは、優雅さも醸し出すような計算されたものでしたが、エルトン・ジョンは奇想天外、漫画チック!エレガンスとはかけ離れた、びっくり効果の派手さで知られています。超派手なステージ衣装の説明として「僕はミック(・ジャガー)でもロッド(・スチュアート)でもフレディ(・マーキュリー)でもない。彼らのようにステージに立った瞬間に観客の目が彼らに集中するようなセクシーなカリスマもない。舞台に立った瞬間に観客の視線を釘付けにするにはこれしかないと思ったんだ」と言うのです。
派手な衣装を乗り越えるだけのピアノの上手さと、聞く人の心を掴むバリエーションに富んだヒット曲の数々。それらの相乗効果で”誰にも真似できない華麗な世界”をエルトン・ジョンが築き上げたことをこの映画は語っています。
本名のレジナルド・ケネス・ドワイトというオールドファッションな名前からもわかるように、保守的で地味な家庭で育ったエルトン・ジョン。厳しい父親にいつもビクビクし、彼にほめてもらうことばかり考えていたそうですが、両親が離婚し、母親が再婚した相手に救われます。
子供の頃の体験は人間形成に大きな影響を与えるのは周知の事実。エルトン本人が、自分を抑えて父親の目ばかり気にしていた鬱屈したエネルギーが爆発して、誰も着ないようなド派手な衣装に包まれて自分を開放したいと思ったのかもしれない、と言っていたこともあります。
1972年に2人のバンド仲間の名前を取って、エルトン・ジョンと改名。”エルトン”は”レジナルド”から開放されます。彼のスーパースターへの一歩はピアノでした。子供の頃、聞いただけでその曲をピアノで弾いてしまう彼の才能を見抜いたのは彼の母親でした。11歳で王立音楽院のジュニアースカラシップをもらい、毎週土曜日にクラシックピアノの厳しいトレーニングを5年間受けました。
「『ロケットマン』 は、エルトンの麻薬依存との闘いに始まり、闘いに終わる。そう言っても過言じゃない」とタロンは言います。私が撮影現場に行った時は、レジー(レジナルド)だった子供の頃から、エルトン・ジョンに変身してロックスターの道を歩き出す、節目の場面の撮影でした。『土曜の夜は僕の生きがい』( ”Saturday night is alright for fighting “)の曲に合わせて大勢が踊り歌う、エネルギッシュなシーン。現場にいるだけで身体が踊ってしまいました。
「エルトンを演じると決まった時に、本物のエルトンにできるだけ近づけるためにどんな努力も惜しまないと誓った」とタロンは教えてくれました。「彼は信じられないほど正直に、どん底に堕ちてしまった人生の真っ暗な時期を、僕に語ってくれたんだ」と言います。”ROCKETMAN” は強烈なストーリーです。
エルトン邸に招待され、何日間か生のエルトン・ジョン観察の時間を過ごしたとのこと。その時エルトンが、”エルトン・ジョン”になって、初めて買ったダイアモンドのイヤリングを「君に持っていて欲しい」とギフトしてくれたそうです。麻薬依存から立ち直る地獄のシーンの撮影をしている時、タロンはずっとそのイヤリングをつけていたそうです。