L.A.からハリウッド映画情報を送ってる映画ライターの中島由紀子です。ハリウッドの変遷をずっと見て来ました。
ブラッド・ピット、キアヌ・リーブス、トム・クルーズ、ジョニー・デップ、そしてテレビ出演が長く映画進出が遅かったジョージ・クルーニー。今、50代になり、押しも押されもせぬ大スターになった彼らが、まだ20代で必死にスターへの道を模索していた頃。リチャード・ギアやピアース・ブロスナンが一足先に大スターであった頃が、私にとってのハリウッドの黄金時代です。そして、凄いのは彼らが今でも活躍してる事です。
とは言え今30代20代の若手も素晴らしく、ハリウッドは永遠だとつくづく思ってます。
主演、そしてエグゼクティブ・プロデューサーも勤める『フューリー』のインタビューで、久しぶりにブラッド・ピットに会いました。
革ジャケットに帽子をかぶって現れたブラッドは、12月に50歳になるのにとても若々しく、自信あふれる落ち着いた雰囲気。プライベートジェットで大西洋を越えてニューヨークに来てくれた彼は「遅れてゴメン、ゴメン」と、周りの人たちの緊張ぶりとは裏腹に気さくでにこやかな表情。『フューリー』の評判の良さと、新婚の幸せ感の相乗効果なのか、今までで一番オープンにどんな質問にも答えてくれました。
『フューリー』の舞台は 第二次世界大戦中。敵陣ドイツにFury (フューリー、激怒)とあだ名される戦車で乗り込んだ5人のアメリカ兵たちの孤立無援の戦いを描いた映画です。ブラッドの役はグループのリーダーで War Daddy (戦争オヤジ)と言うあだ名で呼ばれる百戦錬磨の兵士。5人の兵士たちのお互いへの信頼とチームワークが、観ている方も頭痛がするくらい、緊張感と臨場感を持って描かれています。アメリカでは着々と興行収入をあげています。
これまでのインタビュー中、彼はいつも「こういうのは苦手」という空気を醸してきました。困ったような照れたような表情になって答えに行き詰まり、時にはどの質問にも大した答えをくれないまま終わった事もありましたっけ。そんな彼がアンジェリーナ・ジョリーと出会って以来、変わり続けたのです。そしてどんどん素敵な大人の男になっていきました。
アンジェリーナの事を初めて「マイ ワイフ」と呼ぶ幸せそうなブラッド。「結婚式はラブリーな体験だった。子供たちも楽しそうだった。今の気持ち? 妻帯者って感じだよ(笑)」。
ブラッドが『フューリー』をヨーロッパで撮影している時、アンジェリーナはオーストラリアで日本軍の捕虜になり、生き残ったアメリカ兵の実話を元にした映画”unbroken” を監督していたそうです。普段は6人の子供達を他の人に任せて長い間家を空けることはない、と言うブラッド。二人が同時に第二次世界大戦の映画を作るなんて稀な事だし、偶然が重なってどうにも調整しようがなかったそう。撮影で離れていた2ヶ月間、二人は手紙を交換していたと言います。電話でもメールでもスカイプでもなく手紙を書いたのは、「第二次大戦中に戦場に居た兵士たちは、長い間家族や愛する人たちの近況を知らずに過ごしている。兵士達がどんな気持ちで手紙を待ったか を少しでも体験してみたかった」と説明してくれました。
才能だけでは成功できないのがハリウッド。ルックスだけでは絶対に長続きしないのです。幸運は才能と努力に支えられて初めて力を発揮します。ブラッドは成功の要素を上手く自分のものにして、ここまで到達したはずです。
役者の道を選ぶきっかけとなったのは、ジョン・トラボルタをスターにした『サタデーナイト フィーバー』(1977年)。この映画をミズーリ州の故郷のドライブインで14歳の時に見て「こんな世界があるんだ!」とびっくりし、憧れ、それ以降、彼の人生は変わったのです。
「何回も何回も繰り返して言って来たし、これからも言い続けると思うけど、僕は若さより知恵を選ぶ。怠けていたのでは知恵は自分のものにならない」とブラッドは言います。
「年を取ると言うことは、それぞれ自分の中にある精神的な贅肉を削ぎ落として進むこと。役者として、プロデュ−サーとして、父親として、パートナーとして、夫として、より良くなっていくのが年齢を重ねることだと思っている。だから年を取る事を恐れてはいないんだ」