だいぶ前のことになりますが、今年初めのとある土曜日。私は33年ぶりに、青春時代を過ごしたなつかしい場所を訪れました。
それは、都内の緑の多い一角にある女子寮。そこが取り壊されることになり、有志の呼びかけによって、年齢の近い卒寮生たちが集まることになったのです。
会場に入るなり、かつて二人部屋で一緒だった後輩が飛びついてきてくれたのには感激しました。彼女とは20数年ぶりだったのに、まるで昨日も会っていたように話が弾み、その他の先輩、同級生、後輩ともしゃべり出したら止まらない!
周囲には同様の風景が繰り広げられていましたが、何だか不思議な気がしたのも事実です。
「寮にいたのは長い人でも4年間。卒寮して何十年も経ち、みんないろんな経験をして多少なりとも変わったはずなのに、なぜあの頃と同じような会話ができるんだろう」と。
会は盛況のまま終わりに近づきましたが、最後にある先輩がこんなことをおっしゃいました。
「年齢を重ねるにつれて、今後の暮らし方を真剣に考えるようになったのだけど、すごくいいアイディアを思いついたんです。ひとり暮らしの卒寮生が集まって、シェアハウスを作るというのはどうでしょう。若い頃に同じものを食べて、同じ場所で暮らした人たちって、基本的に安心できる。性格は違っても、馴染みやすいはずと考えているんです」
「なるほど!」と思いました。そして私が抱いた「なぜあの頃と同じような会話ができるんだろう」という疑問も、その先輩の言葉に答えがある、と。
つまり“同じものを食べ、同じ場所で暮らした人たちへの安心感”なんですね。これは理屈ではなく、経験者の感覚なのかもしれませんが……。
とはいえ、日々の忙しさに紛れてそのことをすっかり忘れていたのですが、三浦しをんさんの小説『あの家に暮らす四人の女』を読んで、改めて“血のつながりがない人たちと暮らすこと”について、いろいろと考えさせられました。
そうそう、本の中に前述の先輩と同じような言葉が書かれていたのには驚きましたね。四人の女のひとり、多恵美が思いを述べた箇所ですが
「佐知と雪乃と鶴代は、多恵美にとってあいかわらず家族でも恋人でも友だちでもなかったが、強いて言葉にすれば『身内』に変じたのかもしれない。一年以上、ほぼ同じものを食べ、ほとんど同じ空気を吸って寝た。つまりは体の組成が似てきたはずで、多恵美は自分たち四人を、未開の地で特別な習慣のもとに生活する部族みたいだと感じるようになっていた」
だから結論としては、
“家族以外の人たちと暮らすってあり。気の合う女たちで暮らすのも、もちろん大あり!”
です。
『あの家に暮らす四人の女』の気になるストーリーは次のページへ!
この小説の舞台は、JR阿佐ヶ谷駅から徒歩二十分ほどの閑静な住宅地にある古い洋館。
住んでいるのは家付き娘だった牧田鶴代とそのひとり娘・佐知、佐知の友人・雪乃と彼女の会社の後輩・多恵美。鶴代は七十歳近くで、佐知と雪乃は三十七歳、多恵美は二十七歳だから、「母と娘たち」みたいな感じでしょうか。
彼女たちがひょんなことから共同生活を始めて1年。すっかり個々のペースが出来上がったものの、ちょっとした事件(多恵美へのストーカー疑惑、雪乃の部屋の雨漏りなど)でさざ波が立つ日常が、軽妙な会話とともに描かれています。
そしてもうひとりの住人、というか敷地内の「守衛小屋」に住んでいるのが山田という八十歳の男。彼の父親が鶴代の祖父の作男兼執事みたいな存在だったことから、「居候とも使用人とも家族とも言いがたい、微妙な立ち位置」になって六十年あまり。
定年まで会社勤めをしていたものの、ずっと独身だった山田は「鶴代を妹のように、佐知を孫のように思っているらしく、『私がお二人をお守りせねば』と、頼んでもいないのに使命感に燃えている」。
つまり、牧田家の敷地で暮らしているのは、鶴代と佐知以外は血がつながっていない人たち。部外者からすれば「なぜこのメンバーで?」と思うかもしれませんが、彼女たちが織りなす日常が細やかに描かれた本作を読むと、営みが続いているという事実こそすべて、という気がしてきます。それでうまくいっているのであれば何も問題はない、と。
とはいえ、彼女たちの生活はざっくばらんで楽しいだけではありません。そこに忍び寄る影のような問題も、いくつか出てきているのです。
そのひとつが“老い”。鶴代には資産がありますが、娘の佐知の代にはちょうど底を突きそう気配。お嬢様気質で楽天的な鶴代はそのことを憂慮していませんが、佐知は不安な気持ちを冗談っぽくこぼすこともあるのです。
「(刺繍作家の)私なんて退職金も有休もなくて、迫りくる『老々介護』と『老眼』と『老朽化した家屋の倒壊』への有効な対処法も見当たらなくて、もはや死に体なんだから」
まだまだ若い多恵美はともかく、佐知と同年齢で同じく独身、実家が地方にある雪乃にとっても老いは切実な問題。
“誰かとわかりあいたいけれど、他人に不寛容なところがある。だから結婚よりも確実に来る老いがリアル”という感覚が、佐知と雪乃に共通する思いなのです。
そしてもうひとつの問題が、佐知の父親のこと。佐知が物心ついたときから父親は不在で、家族の話題にものぼらなかったため、佐知は「自分が生をうけたのはその(母親と父親の愛の)結果なのだろうか」という思いをずっと抱いています。
この問題の結末は物語の後半で、誰も想像しえないような描き方で明かされるので、どうぞお楽しみに!
読み終えて感じたのは、家族も暮らし方も、もちろん家自体も必ず変化していくものだから、常識にとらわれずにその時の自分に合うスタイルを探したほうがいい、ということ。そして、人生を彩る大切な記憶は、必ず誰かの脳裏に刻まれている、ということ……。
多分OurAge世代の多くは、家族の形が変わりつつある時期にあると思います。だからこそ、ぜひこの本を手に取っていただきたい。小説を通して“誰と暮らすか、どんな気持ちで暮らすか”について思いを巡らしたら、意外と新たな展望が開けるような気がするのです。