若さを保つために必要な「引き算」。
それは言い方を変えると、「自分の中をきちんと整理しておく」ということになる。
心の中に、雑多なものがごちゃごちゃと溜まってしまっているような状態では、いろいろなものが見つからない。
何よりも、自分の最もピュアで、良いところが引き出せなくなってしまう。
どんな人にも、素晴らしいところ、美しいところ、生きる上での「可能性の中心」というべきものがある。誰の中にも、大切な宝物がある。
ところが、心の整理ができてないと、自分の中のいちばん大事なものが見つからなくなってしまうのである。
そして、その一番大切な宝物は、生きる「情熱」と関係している。生きることが熱することで、初めて光を放ちだし、見つけ出すことができるのだ。
以前、出雲の地で、古来のやり方で鉄を精錬したことがある。
「たたら製鉄」の方法で、砂鉄を熱し、フイゴで風を送り込んでどんどん温度を上げていった。
そうしたら、鉄が赤くなって、やがて黄金色になった。
本当にきれいな、輝かしいばかりの黄金の輝きが、暗闇の中から放射されている。
その時、黄金色というのは、元素としての「金」だけが持つのではなくて、どんなものでも、熱して温度が上がっていくと、やがて黄金色になるのだということを学んだ。
つまり、黄金というのは、「元素」ではなく、「状態」なのである。
以来、キャンプの時に焚き火をしたり、暖炉で薪が燃えているのを見るような時でも、「ああ、あそこに黄金色がある」と気付き、注目するようになった。
人の心の中にも、黄金色が見えることがある。
何かに熱中したり、恋の予感に胸を弾ませたり、難しいがやりがいのあることにチャレンジしたりしている時に、人の心の中には黄金の光が放たれ始める。
「ハート・オブ・ゴールド」。
「黄金の心」は、生きることの情熱が高まった時に、自然と私たちの胸の中に生まれてくる何ものかなのである。
私たちの日常は、ともすれば詰まらないものになりがちだ。
今日が昨日と同じであるように、明日もまた同じだろう。大したことなど起こらない。どうせ、人生なんて面白いことはない。そう思い込みがちだ。
投げやりな態度で生きていれば、結局、人生はそのようなものになってしまう。期待値が低ければ、人生という舞台もまた輝かない。
ところが、どんな人の人生にも、一度や二度は、胸の中に「ハート・オブ・ゴールド」が宿ったことがあるはずなのだ。
いつだったかは、人によって違う。それは、学校生活のある一日だったかもしれないし、部活を終えた夕暮れだったかもしれない。働き始めてすぐに出会った誰かかもしれないし、つい最近の出来事だったかもしれない。
大切なのは、上手に思い出すことである。そのような過去の「ハート・オブ・ゴールド」体験を記憶の中でありありとよみがえらせることで、私たちは自分が本来どのような人間であったか、どのような人間であり得たかを体感できる。
そして、そのような自分にもう一度なるための道筋を見つけることができる。
自分の心が、生きることの情熱によって高まり、さまざまなものが結びついて、やがて「臨界点」を超える時に、私たちの心は黄金色の光を放ち始める。
その時、見るもの、聞くものはすべて意味を持つように感じられ、一瞬ごとに人生が更新されるように思われ、そして、出会う人のかけがえのなさが胸に染みる。
そんな「黄金」の時間は、誰にでも作り出すことができる。
もし、うまく情熱の炎を高めることができるならば。
私たちの胸に、種火はいつも燃えているはずなのに、それを見つけられないのは、心の中に雑多なものがありすぎるからだ。
だからこそ、引き算が必要である。
うまく引き算をして、心の中に空白をつくると、今まで日常の雑事で邪魔されて見えなかった、心の種火が見えてくる。
あとは、うまくそれを燃え盛らせて、情熱の温度を上げ、心が黄金色に輝き始めるまで、上手に自分の心を導いてやればいいのだ。
忘れないで欲しい。
黄金は、「元素」ではなく、「状態」なのだ。
そして、そのような「状態」への遷移は、誰でも起こすことができるのである。
この文章を読んでいるあなたも、また、きっと「ハート・オブ・ゴールド」を手に入れることができる。