2008年5月、私は、なんの宣伝もしないまま、東京下町の
入谷駅近くにイリヤプラスカフェをオープン。
訪れる客は、1日わずか数人という現実。つらかったわ~、と
友人知人に話をしますと、
「どうして宣伝しなかったの」と必ずといっていいほど、聞かれます。
その理由は、ずばり、「自信がなかったから」。
宣伝をがんばって、お客さまが来てくれる。
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でも実際に来てみたら、メニューの中身は薄いし、不慣れ。
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お客さまにもう二度と行きたくないと思われてしまう。
といったネガティブな流れを恐れていたのです。
ぼちぼちお客さまが来てくれて、様子をみながら、
メニューも少しずつ増やしていこう、と考えていたのです。
しかしです、この一見、堅実は考え方、実際は、すごーく甘かった。
ぼちぼちなんて、こっちの都合でお客さまは来てくれません。
オープンして数ヶ月は、とにかく激ヒマだったんです。
ある雨の日、お客さまがひとりということも。
しかしです、この雨の中、ひとりでも来てくださったのは、
奇跡かも、と嬉しかったくらい。←ヒマすぎて捉え方が楽観的?!
私は、カフェの前の道(大通りから一本入った路地なので)
の人通りが極めて少ないことにも、
オープンしてから、ようやっと気がづきました。
普通、飲食店を開く場合は、人通りや地域性など、立地を
マーケティングするらしいのです。
私は、そんな知識はまったくなく、お客さまから、
「よくここでカフェをオープンしようと思いましたね」とか
「まさか入谷にカフェができるなんて思ってもみませんでした」とか
言われる始末。←自分が気の毒なくらい。
なるほど~、たいていの場合は、人通りが多く、お客さまが来やすい
ところでカフェを始めるわけです。勉強になります!。
あまりにもヒマだと、もちろん、落ち込みます。
待つというのは、つらい仕事です。
ぜんぜんお客さんが来てくれないってどういうこと?
ここにカフェは必要とされていないのか、
つまり、私も必要とされていないのか・・・みたいな・・・。
ダークな方に意識が持っていかれっぱなし。
でも、私は、カフェをやめようという気持ちは、全く起きませんでした。
なぜならそれは、20代のころの自分に戻ったと思えばいいんだ、
と考えていたからなんです。
仕事は、そんなにすぐにはうまくいかないよね、と。
20代、ライターの仕事を始めたころの私は、右も左も分からずに、
先輩編集者から、常に厳しくご指導を受けていました。
できの悪い私は、
「ナオミちゃん、こんな原稿、ゴミ箱行きよ!」と言われ、
「ひぇ~、すみません、すぐに書き直します」とそんな日々。
「なかなかいいけど、ここは書き直して」(←全面的にいいとか言われたこと
はめったにない)というレベルに至るまで、何年かかったことか。
その頃の私と、また新しいカフェの仕事に挑戦を始めた私は、
つまりは一緒。
カフェという新しい仕事が軌道に乗るまでは、そりゃあ時間はかかるさ。
メニューを充実させることは、もちろんですが、
私ができる範囲で、カフェにとっていいと思えることはすべて実行に移そう!
続けていれば、いつかは変化するだろうし、軌道にのるよ、きっと!。
と信じることにしたのです。
小さなリフォームも続けていました。
当時、客席の近くにあったカウンターに、小さなシンクをつけて、
これは、工務店さんにやってもらったのですが、
その表面の飾りの無垢の板は、私が近くの材木屋さんでサイズに合わせて
無垢材を買い、電動ドリルで貼付けました。
そして、ヒマだからこそ、壁面が暗いのがどーしても気になり、
細長い窓を開けたら、ステキだろうな、と思って、工務店さんに
見積もりをだしてもらったら、思っていたより手頃。
しかも、1日で工事が終わるとのこと。
ヒマなので、工事のために気軽にお休みすることもできます。
グリーンを少しずつ増やし、ひざ掛けも手作りしました。
ヒマなカフェって、寒いんです。
ひざ掛けが必要と思って、でも、おしゃれなものは高い。
しかも、カフェの場合は、何枚も必要だし、でもやっぱり
かわいいデザインにもこだわりたいと思って、そこで、
以前、アメリカで買った古いキルトや手持ちの布を
パッチワークして、手作りすることに。
スタッフの得意な自家製天然酵母のパンもメニューに加えたり、
思いつく限り、何でもやってみることにしたのです。