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幸福なエンディング

佐々涼子

佐々涼子

1968年生まれ。日本語教師を経て、ノンフィクション作家に。2012年『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)で第10回集英社・開高健ノンフィクション賞を受賞。他に『駆け込み寺の男 ―玄秀盛―』(ハヤカワ文庫)、『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』(早川書房)など

PHOTO©Hayakawa Publishing Corporation

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以前、環境活動家のレイチェルカーソンの『センスオブワンダー』という本を読んだ。本には、自然の中に宿る命に目を向け、限りない神秘に驚嘆し、好奇心を持ち続けることこそ、人に与えられた幸福の力だと書かれている。

 

 

最近思う。驚き、というのは森や海などの自然の中にだけあるのではない。私たちの命そのものにも存在している。

 

 

人生の変わり目というのだろうか。半年前に次男を、そして2週間前に長男が独立して家を出た。今、子どもたちの帰ってこない家で新しい生活を始めている。

佐々さん_photo

 

 

卵巣という小さな臓器のなかからやってきた細胞が細胞分裂を繰り返し、10か月の妊娠期間ののちにこの世に産み落とされる。最初は目もそれほど見えず、言葉も話せず、首も座らない子どもが、やがて言葉を話しはじめ、歩き始め、親から離れていく。

 

 

寂しいかと問われたら否定はしないが、それより、生命の驚きに満ちたこの20数年の人の成長を間近で見られた感動の方が今は大きい。終わってほしくないハッピーエンドの映画が終わり、いつまでも、その余韻で立ち上がれないような気分だ。

 

 

3年前に母を亡くし、人生の朱夏から、秋のきざす扉の前に私は立っている。何千年も繰り返される代替わりの瞬間に立ち会いながら、私は考えるのだ。
人はどこから来て、どこへ行くのだろうかと。

 

日本では古来から、出産、生理、病気、死を穢れとして忌み嫌った。しかし、私たちの目に見えては消える命の移り変わりを見るとき、ほんの一瞬の現世の奇跡のような輝きが見えることがある。

 

 

それは、実は私たちが目を逸らしていた、穢れの中から生まれてくる。私たちは、みな苦しみの中から生まれてくるのだ。

 

佐々さん_photo

 

 

誕生は安全なものばかりとは限らない。死産があり、流産があり、時に母体も死のリスクにさらされながら、幸運な人々は、地上へと産み落とされる。生まれても若くして亡くなってしまう命もある。

 

 

 

こうして息をしていること、鼓動をしていること、人に銃乱射で命を奪われないこと、毎日食事をしていることが、不思議でしかたがない。私は、今、少なくとも、ここにいて生きている。

 

ゆっくりと階段を降りていく季節の中にも、きっと豊かで美しいものがあるはずだ。それを、驚き喜べる、センスオブワンダーをいつまでも持っていたい。

 

 

子どもたちが小さかったころ、洗濯機を回すと、カラカラと音がして、洗濯機の底を見ると、山から持ってきたどんぐりが入っていたものだ。

 

 

子どもたちは、かみさまだった。であるならば、きっと私たちの中にも、まだあのころのかみさまが住んでいるに違いない。山でどんぐりを拾い、赤いもみじを拾って歩いたあの頃の感性はまだ私たちの中にある。

 

佐々さん_photo

 

今まではいつも毎日をやり過ごすことで精いっぱいだった。しかし、この世の中に、再びかみさまを迎えいれられるような居心地のいい場所にするために、ちょっと真剣になって、考えてみたいと思っている。わたしの子であっても、わたしの子でなくても、未来の、その次の未来の、誰かのことを、思うのは楽しい。

 

 

 

かつて人権活動家のリゴベルタメンチューを特集したテレビで、彼女が、幼くして亡くなりゆく我が子に向かって、こう呼びかけるシーンがあった。
「あなたが天から授かったいいものを、みんなこの世において逝きなさい」

 

 

そういう人生の後半戦でありたいと思う。

 

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