子宮をとると女じゃなくなる?
前回こんなコメントをいただきました。ページが奥に隠れてしまったので、再掲します。
「わたしは 今年 子宮筋腫で 子宮全摘しました。
女じゃなくなったようで しばらく落ち込みましたが
最近は 今までより 女だということを 意識するようになり
パンツ派から スカートもはくようになり 大人カワイイを 目指してます!!
可愛げのある人 カワイイおばあちゃんになりたいです。(やまやま )」
やまやまさんのポジティブさに励まされますね。
40〜50代の更年期は、女性にとってさまざまな病気のリスクが高くなる時期でもありますよね。
私のまわりにも、子宮筋腫の手術を受けたり、血圧が高くなったり、腰痛や膝の痛みなど体の不安を抱えている人が少なくありません。
私もこの春の健康診断で、血圧や肝機能などは問題ないA判定だったのに、コレステロール値だけは高く「要受診」とのD判定。
「やせたのにクヤシい」と思い、早く病院に行かなくちゃと思いつつ、なんだかんだで今に至っています(マネしないでくださいね)。
女性はもともと、男性より動脈硬化やそこからくる心臓疾患などにかかりにくいといわれていて安心していたのですが、
更年期を過ぎるとこういう特典がなくなり、男性と同じようなリスクを抱えるらしい。つまり、
女性ホルモンが妊娠・出産する女性の体を守ってくれていたわけで、
産まなかった私も守られてたんだ〜
と感慨深いですね。
やまやまさんと同じように子宮筋腫になる女性は4人に1人の割合で、微小なものも含めれば7割くらいの人が持っていると聞きます。
私も小さいのがあるのは、前からいわれていたけれど、幸い大きくならずに今に至り(逃げ切ったかな)、ちょっと腫れてるらしい卵巣は、毎年の婦人科検診で経過観察しています。
友人のクミコさん(47歳)も去年、子宮筋腫の全摘手術を受けました。
20代の半ばに長男を妊娠したときにわかり、アヒルの卵大といわれたけれど、月経の量が多いという自覚症状がある程度で、治療することもなく20代後半に長女を出産。
ところが45歳くらいから量が半端ではなくなり、おむつ状のナプキンが必要なほどに。それに伴ってかなりの貧血となり(といっても体が長い間に慣れて、自覚症状はあまりなかったとか)、手術をすすめられました。
「筋腫が夏みかんとか赤ちゃんの頭大になっていて。手術法の選択肢も説明してもらって、別の病院でセカンドオピニオンも聞き、もう子どもを産む予定はないので、子宮を残す縮小手術等のメリットはあまりないかなと」、子宮全摘手術(卵巣は残す)を受ける決心をしました。
「麻酔とか術後の痛みとか、そりゃ手術はイヤですよ。ただ
子宮イコール女性とは思ったことないし、
女でなくなるという悩みはなかったかな。
それより、お腹まわりが太ったのは筋腫のせいだから、取ればやせる! と思ったのに、あんまり関係なかったのがザンネン」と振り返ります。
胸の痛みで乳がんに気づく
ナツミさん(54歳)は49歳のときに乳がんがわかり、治療を受けてからもうすぐ丸5年になります。長く幼稚園の先生として子どもたちに囲まれて働いたのち、保育者養成校の教員として赴任した年のことでした。
ある日、左胸に痛いような感じがあり、手を当てるとしこりを感じました。「乳がんは痛くない、と聞いていたので乳腺炎かな」と初めは思ったそうです。
もともとナツミさんはお母様が乳がんだったこともあり、30歳過ぎた頃から毎年意識的にきちんと乳がん検診を受けていました。
この年は転職の慌ただしさもあったというものの、前の検診では異常なし。それから1年ちょっとしか過ぎていませんでした。
「内分泌外科を受診して触診とエコーで恐らく乳がんとわかり、細胞のタイプを調べたところ、“暴れん坊のがんだね”、といわれました。大きくなるのが早かったんですね」。
乳がんは進行度や場所や細胞のタイプ、体質、そして患者本人の考え方によって治療法は一つではなく、いくつかの選択肢があります。
“暴れん坊”だけれどその分、抗がん剤が効くタイプのがんであったため、ナツミさんは抗がん剤でがんを小さくしてから手術する治療法を選びました。
仕事を続けながらの抗がん剤治療
11月から3月まで、3週間ごとに1回の抗がん剤の点滴を4サイクル。
「体の負担を減らすために弱い薬を組み合わせると言われたんですが、途中で休むのがいやで、強いのを4回希望して」受けたといいます。
「髪もまつげもみな抜けて、点滴の薬と同じ赤い色を見るだけで吐き気が」というハードな治療。
頑張り屋のナツミさんは授業をまったく休まず、研究日の金曜日に通院で抗がん剤治療を受け、土日はぐったりして過ごし、そして月曜日からまた仕事、というサイクルで続けたのでした。
その甲斐あって「がんは石灰化して見えない」状態に。抗がん剤治療を終えた2ヶ月後の5月の連休には片側乳房全摘の手術、引き続いて乳房再建術も受けました。
「乳房を温存する手術も選択できたけれど、
私は取ってさっぱりしたかったんです」。
その治療の選択には、何事にも手を抜かず徹底するナツミさんの性格が表れている気がします。
20数年前、当時注目され始めた「乳房温存療法」の取材をしたとき、その治療法を始めた医師の動機のひとつに、「乳房を女らしさの象徴ととらえ、それを失いたくないために命をかける女性たちがいた」ことを聞いた記憶があります。
しかし、ナツミさんの話からはそうしたことはみじんも感じられませんでした。
予期せぬ伏兵
「そこまでは体はきつかったけれど、何とか頑張れたんですね」というナツミさんを想定外の事態が襲いました。
それは手術後、乳がんの再発や転移を防ぐために行うホルモン(内分泌)療法がきっかけでした。
乳がんは女性ホルモンによって増殖するものがあり、そうしたタイプのがんには女性ホルモンの働きを抑えるホルモン療法の効果が期待できます。
ナツミさんの場合もそうであったため、ホルモン療法の薬を毎日飲むことになりました。
一般的に、抗がん剤に比べて、ホルモン療法は「副作用がマイルド」、というイメージがあります。でもナツミさんの場合、全く違いました。ホルモン療法を始めた後、うつ病のような強い精神症状に陥ったのです。
「人の話していることが理解できない、自分はバカで何もわからない、わけもなく怖いというネガティブな強い感情」につきまとわれ、「自分は生きていてはいけないんだ、と駅のホームから飛び降りたいと思ったことも何回かあり・・」というように、それは深刻なものでした。
「同じ治療を受けても私のようにならない人もいるし、ホルモン療法の副作用という直接の因果関係はないといわれました。
でも、私の場合は実際にこういう症状が出たわけで。だから
一人一人の実際の体験はみな違うんだ
と思うんです」とナツミさん。
人工的に女性ホルモンが止められたことで、急激に更年期のような精神症状が一挙に現れたということもできるし、また乳がんとわかり治療を始めて半年以上、治療や仕事のさまざまなストレスが関係していたのかもしれません。
ナツミさんは、つらいうつ症状の治療のため、精神科を紹介され、抗うつ剤を処方されたものの、体調は回復しないまま。それまで頑張って続けてきた仕事を数ヶ月休むことを余儀なくされたのでした。
つづく・・・
最悪の状態からナツミさんが回復した秘密とは?
次回をお楽しみに。
撮影協力:Tatsumi Okada