前回のつづき・・・5年前に自分で乳がんを見つけたナツミさん(54歳)は、抗がん剤治療、乳房の全摘手術と再建手術を受け、その後、ホルモン療法を受け始めました。転移や再発を防ぐためこの先ずっと毎日飲み続ける薬です。
ところが、きつい抗がん剤治療を通常4サイクルのところ、希望して目一杯の6サイクル受け(前回4回と書きましたが訂正します)、全摘と再建という立て続けの手術も乗り越えた強靭な精神力のナツミさんが、一般的にマイルドと思われているホルモン療法を始めたのち、強いうつ症状に襲われたのでした。
「人の話すことがわからない」、「怖い」、「自分はダメな人間」という思念にとらわれたり、パニック発作が起きたりしました。そのため、それまで治療と両立してきた仕事をしばらく休むことになったのでした。
医者とおひさま
精神科へ紹介され、一人での外出も危うい状態のため、姉に付き添われてやっとのことで診察室に入ったナツミさんに、担当のK女医は振り向き様、「死なないでね」と荒っぽい口調で言いました。
綺麗にネイルした自分の手を眺めながらマイペースで話すK医師に、ナツミさんは呆然としたまま何も答えられず・・・抗うつ剤を処方され、何回か受診したものの、心身が拒否反応を起こして行けなくなってしまいました。
ここは嫌、というナツミさんに姉や周囲の人たちが探してくれたのが別の病院の男性のO医師でした。ゆったり穏やかにナツミさんの言葉に耳を傾けるO医師に、ナツミさんの気持ちはやわらぎ、不安が安心感にかわっていきました。
「冬だったのですが、おひさま、おひさま、とうわごとのように言って、知らず知らずに太陽を追いかけながらお散歩」したり、「おひさまの匂いを求めて毎日家中の洗濯物を集めて洗って干して」・・・とまるで太陽が凍った心を溶かしたかのように、少しずつ外に出たり、家事をしたりすることができるようになっていきました。
バラの香りと女性ホルモン
うつが強かったときは、ナツミさんは匂いに過敏になり、部屋が黴臭く感じたり、可愛がっているペットの世話ができなくなったりしました。さまざまな匂いを受けつけることができなくなっていたのです。
それが、だんだん元気になって散歩ができるようになったある日、通りかかった花屋のバラに
「わ〜、いい匂い」
と反応したのでした。
久しぶりに香りを心地よく感じたナツミさんは、バラの香りのするハンドクリームやアロマオイルなどを集め始め、次第に天然素材のものだけ身の回りに置くようになりました。
O医師に話すと、
「ああ、戻ってきましたね」
と。嗅覚というのは、最も原始的な感覚で、それがちゃんと働くというのは回復の兆しということのようでした。
ナツミさんが調べてみると、「バラは女性ホルモンと関係があるらしく、ホルモン療法で止めている女性ホルモンを、体が自然に欲しているのかな、と思ったりしました」。本を読むことができるようになったときも、最初に読んだのは香りにまつわるミステリーだったとか。
ひまわりと数列
うつからの回復の途上で、ナツミさんがこだわった行動がありました。それはグラデーション(段階的変化)。たとえば、ハンカチやタオルを小さいものから大きいものに順番に並べて干す、部屋の中のものをサイズ順にきっちり並べて片付ける・・・というように。もともとそんなに整理整頓するタイプではなかったのに、法則的に片付けないと気が済まなくなったといいます。
そんなある日、ナツミさんは、テレビ番組でひまわりの花の数学的法則について知ります。ひまわりの花(種ができる中央の花弁)はよくみると真ん中から螺旋状に規則正しく並んでいるのですが、その螺旋の線の数を数えると、フィボナッチ数列(連続する2つの数字を足したのが次の数字になる。1,1,2,3,5,8,13,21,34,55・・・・と続く)の数字と一致するというのです。
ひまわりと数列の関係に感動したナツミさんは、カメラを片手にひまわり畑を求めて歩き、日帰りで群馬県まで足を延ばすようになります。興味の対象は、同じフィボナッチ数列をつくる他のキク科の植物にも広がりました。
「頭のなかのもやもやしたものをスッキリさせたいという気持ち。花の規則正しい数列をみると気持ちが落ち着くんです」
“変わりもの”な自分も好き
「行くのが怖かった職場に自然と行きたい気持ちになって」、ナツミさんは数ヶ月の休職ののち、週2〜3日から始めて徐々に仕事に復帰できるようになりました。
うつが完全に治ったというわけではないし、体調が悪いときもあるけれど、「病気だからしょうがない、と思えるようになりました」とナツミさん。もともと几帳面で頑張りすぎるタイプ。でも「病気や薬のせいでこうなってるのだから、と言い訳じゃないけど武器を手に入れた、くらいの気持ちで」無理しないで病気とつきあっていく、自分なりのやり方を見つけたようでした。
「今まで気づかなかった“変わりもの”の自分を発見して、そんな自分も好き、と思えます。せっかく病気になったんですから、いいこともなくっちゃね」。