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新トレーナーはマイルドヤンキー?

佐々涼子

佐々涼子

1968年生まれ。日本語教師を経て、ノンフィクションライターに。2012年『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)で第10回集英社・開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)、他に『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』(早川書房)など

PHOTO©Hayakawa Publishing Corporation

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ノンフィクション作家・佐々涼子さんのダイエットチャレンジ連載。ジムで新トレーナーにつくことになり、「水原希子さんみたいになりたい」と訴えるも…

若い頃は、世の中のおじさんの顔が覚えられなかった。中年男性の顔はみんな同じに見える。特に結婚したばかりの頃の婚家における法事は最悪だった。服はみな礼服、髪の生えぎわもそっくり、体型も似たり寄ったりで、まるで分身の術。私はパニックになった。

 

あれから年を経て、今、新たな局面に立たされている。「若い人はみんな同じに見える」問題である。

 

相手に関心がないからだと言われそうだがそんなことはない。もともと人の顔を覚えるのが苦手な人間の悲しき経年劣化だ。

 

ノンフィクションライターたるもの、「一度会った人の顔は決して忘れない」と眼光鋭く、ドラマのベテラン刑事のようなセリフを吐いてみたいものだが、人生そうはうまくいかないのである。

 

ちなみに、ノンフィクションライターたるもの、現場百遍と言われるが、私は方向音痴で何度現場に行ってもたいてい迷子になる。

佐々さん連載‗photo

当時、取材に行っていたベトナムやフィリピンにて。撮影/佐々涼子

 

 

前置きが長くなった。そんなわけで、私を担当しているもうひとりのトレーナーが誰なのか、見分けがつかなくてキョロキョロした。だって若いスタッフがたくさんいるんだもの。

 

すべてのおじさんを等しく「おじさん」と呼んでいたように、私は担当トレーナーを「トレーナーさん」と呼ぶことでやり過ごしていた。今、思うと大変失礼な話である。

 

ミツシマさんは最初に雑談が入るので、トレーニングの正味は45分ほど。もうひとりの担当者は、60分みっちりトレーニングをする。ただでさえ顔を覚えられないのに、トレーニングがきつくて途中で正気を失う。正直言って顔なんか見る余裕すらないのだ。そんなわけで、目印はやはりショッキングピンクのウェアである。

 

「トレーナーさんは……」「あ、吉田です」「で、トレーナーさん」「僕、吉田です」と連呼されてようやく覚えた。

 

もうひとりのトレーナーは吉田慎さんである。ミツシマさんが、自分の担当回をこの人に任せたおかげで、私は週に2回、この人に担当してもらうことになり、結果的に、再びノンフィクションの現場に復帰することができるようになるのだが、当時はそんなことを知る由もない。名前を連呼されたところで、あらためて彼のことをまじまじと見る。

 

年の頃は30代。醤油顔に、大胆に刈り上げた髪。一見、休日にはファミリー連れでイオンやドンキホーテに買い物に行くマイルドヤンキーに見えなくもない。

 

しかし、均整の取れた身体に、陶器のような透明感のある肌が乗っていて、動く姿はギリシャ彫刻を彷彿とさせた。この人絶対に頭がいいだろうと思わせる、質問に対する冷静な受け答えは、執刀前に身体の状態を説明する優秀な外科医のようでもあり、冗談は舌鋒鋭く、急所を刺しに行く感じがやはりヤンキーなのでは……

 

と、まあ、言葉を尽くしてはみたけれど、要するにつかみどころがなくて、よくわからない。しかし、「自分、バスケやっているんですよね」と言われて、「なるほど」と合点がいった。コートに立たせたらぴったりだ。なるほど、なるほど。そうですか、バスケの人でしたか。

 

彼は、私にいくつかの動きをさせてみる。膝と肘をリズミカルに打ち合わせる動き。彼がやると恰好いいのだが、私がやると体が硬すぎてアホの坂田みたいだ。次はスパイダーウォーク。四つん這いになると、スパイダーマンのように俊敏に動く。まねてやってみるが、なぜか私がやると“とぐろをまいたオオサンショウウオ”だった。

 

彼はふんふんと何かを了承したらしい。私は羞恥心でいっぱいになったが、彼はそんなのは別にどうでもいいようだった。体調に合わせて、メニューを変えてくる。

 

毎度驚くのだが、この人は私の小さな異変にすぐに気づく。

 

「なんでわかるんですか?」「さあ、わかるんですよね」「微妙なところまで、よく気づきますね」「血液型、A型ですから」。

 

えーと、つまり、細かいところによく気づくのは、几帳面な性格と俗に言われている血液型のせいだと言いたいらしい。たぶん、感覚的に人の体調がわかるのだ。そしてうまく説明できない時には、面倒くさいので全部そう答えることにしているようだった。

 

この人はどうやら、まったく私と違うレイヤーでものを見ているらしい。彼が見ているのは、体重でもなく、年齢でもなく、ましてや人柄の良し悪しでもない。私の身体がどう動くかの動きそのものだった。

 

喩えるならそれは、車が動かなくなった時に駆けつけてくれるJAFの人。よく似ている。「はい、アクセル踏んでみてください」「もう少し踏み込んで」「異音がするのはいつから?」。そんな調子。運転手の癖が強く、乗り方も荒く、しかも手入れも怠っていたのを尻目に、車と対話し、エンジン音に耳を澄ませるプロ。

 

この人は、私よりもある意味、私の身体と対話する方法を熟知しているようだった。トレーニングの専門家というのはこういう感じなのか。

 

 

そういえば、いつから私は私の身体の声を無視しはじめたのだろう。身体が重い、よく眠れない、息切れがする。それら病名のつかないいくつもの声が確かに聞こえたはずだ。

 

しかし、私はことごとく聞かないふりをしてやり過ごした。特に言葉を使う商売をしていると頭が作り出す声があまりに騒がしくて、自分の身体が何を感じ、何を心地良いと思い、何を不快に感じているかのかすかな声はかき消されてしまう。

 

時には、傲慢にも、体がどう感じているかさえコントロールできると思いこんでしまうのだ。スマホサイズの円形脱毛症や、婦人科の不調など、「お前、危ないぞ」と、ものすごくわかりやすい形で身体は警告を出していたにも関わらずだ。

 

そして長い間面倒を見てやらなかった身体は、いつしか隠すべき、恥ずべき、忌むべき、うまく動かない物体となっていた。重くて、動きの悪い、役立たず。私は自分が手入れしていないことを棚に上げて、ひどく自分を罵っていた。だがしかし、ポンコツの身体はようやく自分のことをわかってくれる人を見つけて、主を差し置いて、猛烈に何かを訴えはじめた。「助けてくれ、何とかしてくれ。こいつ全然、わかってない」と。

 

時々いるではないか。その人が育てるとなぜか木々がいきいきとする園芸家とか、野生動物が寄ってくるムツゴロウさんとか、夏休みのお昼になると、「亡くなった人が悲しんでいる」とテレビで訴える冝保愛子さんとか、言葉にならない何かを感じ取る人。

 

たぶん彼らは独特の感性で、どうしたらいいのかわかるのだ。私たち素人には、まるで声にならない言葉を聞きとっているように聞こえる。

 

吉田さんもまた、まるでそういう特殊な「耳」の持ち主のように思えた。それは後天的に研ぎ澄まされる部分もあるのだろうが、やはり、生まれもった感性も大きいのではないかと思えた。

 

彼はトレーニングのエリアを移動する際に、こんなことを聞いてくる。
「どんな身体になりたいなど、希望はありますか?」

 

どうせなら、大きい目標を持ちたい。
「あの、水原希子さん風に」
「……」
「あの、水原さんみたいに……」
「さ、トレーニングやりましょう」

 

おかしい。身体の言葉はクリアに聞こえるのに、私の声はよく聞こえないようだ。

 

佐々さん連載‗photo

撮影/佐々涼子

 

少しの沈黙のあと彼はこんなことを言った。

「佐々さんの骨格はしっかりしていますし、その人にはその人の身体や体質に合った健康的なサイズというのがあります。体重を無理に落とそうとすると体調を崩します」
「確かに」
「あとで一緒に考えてみましょう。じゃ、トレーニングです」

 

強欲な主よりも、身体想いのトレーナーなのである。
私は後ろ姿に向かって、こう呼びかけた。
「あの……お願いがあります。長男の結婚式があるので、ドレスをかっこよく着たいです」
彼は振り向くと、涼しい顔をして、「かしこまりました」と請けあった。

 

私にとって、かっこいい身体ってどんな感じだろうな。トレーニングエリアを移動する吉田さんのあとをついて行きながら考えてみる。それは、ずいぶん前に「幸せってなんだろうな」と、青臭くも真剣に考えていた私を思い出させた。

 

だが、そんな、余裕なんてほんの数分である。
「うぬぬぬぬぬぬ、重い重い重い。死ぬ死ぬ死ぬ」
次の瞬間には、私はベンチの上であおむけになって、バーベルの下でうめいていた。トレーニングのお楽しみはこれからなのだ。

 

(つづく)

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