第2話 命のクッキング
亜希と最後に話したのはいつだったろうかと、佐知はラインの履歴を遡った。亜希とは折につけラインはするが、ときどき興が乗ると無料電話で長話をする。
電話マークは9月8日、27分29秒話している。その日は佐知の誕生日の前日だった。
「今年はコロナで会えないからさ、お祝いの料理、作って送るよ。クール宅急便で送るから、明日の午前中に着く」
亜希は料理上手で、ちょっとしたレストランレベルのものが出来た。お祝いともなると、きっと腕を振るったのだろう。
「ありがとう。ゴートゥーイートって言われてもさ、まだなんかちょっとねー」
佐知も家族と近所にはぼちぼち出かけていたが、都心のレストランに出かける気にはまだなれなかった。
「ちゃんと三人前用意したから。チンするだけで食べられるよ。ポークリエットとピクルスも入ってるけど、フランスパンだけは近所で買ってね。焼きたてじゃないと美味しくないから」
「オッケー」
佐知の長男はとっくに独立していないが、遅ればせながらできた長女が、まだ家にいた。コロナ禍で大学を卒業し、IT企業に就職したが、リモートワークで会社には数回しか行っていない。
「チーズドレッシングに、ブロッコリーとジャガイモ茹でたの、それからキャロットラペ入ってるから、レタスだけ洗ってほぐして」
「おおっ、亜希ちゃんのチーズドレッシング? 美味しいんだよね」
「一週間ぶんぐらいあるから、しばらく楽しめるよ。クルトンも入れといた」
もちろんクルトンも亜希の手作りだ。
「楽しみ~」
メインはビーフシチューだという。手の込んだ亜希のビーフシチューは天下一品だった。こんなに上手く煮込まれて、牛も本望だろうと思うぐらい。
「ケーキはウィークエンドだよ。アイシングでメッセージもデコった」
「わーいわーい!! ねね、亜希ちゃんもラインビデオで乾杯しようよ。明日はシャンパン開けるからさ」
「えー、私はいいよ。コロナ太りでさ、人様に見せられる状態じゃないから」
「・・・え、また太ったの?」
「だって、楽しみ食べることしかないじゃん」
いや、それはもともと・・・。言いかけて、やめた。
亜希は専業主婦になってからというもの、料理研究家になれるぐらい、料理にのめり込んでいった。夫の海外赴任で行く先々の料理を覚え、帰国後はみなに振る舞った。しかし最後のロンドンが良くなかった。アジアならばヘルシーな料理が多いが、イギリスは肉料理と焼き菓子が名物、亜希の食いしん坊魂に火がついた。
帰国後、亜希は人が違ったように太っていた。せっかくの美人が肉に埋もれて、見る影もなかった。ちょうど更年期が重なったせいか、それともイギリスの水が合わなかったのか、肌はボロボロ、髪もおさみしいことになっていた。
佐知が見るに見かねて、
「亜希ちゃん、美人なんだから、少し痩せなよ、もったいないよ」
と言っても、
「私はいいのよ。どうせどこにも出かけないしさ」
と開き直る。かつて絶世の美女だった自慢の従姉が、いつもジャージか、毛玉のついたセーターにストレッチパンツの、太ったおばさんになってしまった。
そのこと自体、佐知は悲しかったが、それよりも、メタボをなんとかしようとしない亜希が心配だった。
「でもそのままだと、成人病になっちゃうよ」
「大丈夫だよ~。犬の散歩、してるしね。結構歩くよ。昨日なんか一時間ぐらい」
「・・・ルシェル君、痩せた?」
いまどき珍しいシベリアンハスキーを買っている亜希だったが、手作りの美味しい餌を食べさせ過ぎるせいで、太っていた。シベリアンハスキーに見えないほど。
「また太ったよ。おなか凄いよ!! メタボ。お腹ふとし君って呼んでるの」
などと言って笑っていた。
亜希は佐知の実家がある横浜に住んでいるから、実家に行ったついでに寄り、母親が通う近所のヨガ教室に連れてったことがある。
「歩くだけじゃ運動足りないよ。ここなら近いから通えるでしょ?」
と言って、嫌がる亜希を家から引っ張り出した。
「十一時のクラスだから、終わったらランチ行こう、ね」
と食べ物で釣ったのだ。亜希はヨガが終わった後の、ランチを楽しみにしていた。
「ねね、どこで食べる? 元町のバーガージョーズ、久しぶりに行ってみない?」
マジか?! ハンバーガーとフライドポテトか?! と佐知は呆れたが、亜希がヨガに通う気になってくれなきゃ困ると、同意した。
「いいよ~。あそこのチーズバーガー、美味しいよね!」
自分はバンズを残せばよい。フライドポテトは二、三本。あ、ダメだ、残すと亜希が食べちゃう・・・。
もやもやしながら行ったヨガのクラスで、前屈をした亜希は、腹の肉に押されてか、みんなの前でおならをしてしまった。それっきり、ヨガには行っていない。
食いしん坊で、人に食べさせるのも大好きだった亜希。男の子のママだったからいけなかったのか。子供が女の子で、もっとさっぱりした料理が好きだったら、運命も変わっていたのかもしれない。
「お肉より、お魚を食べなきゃ」
と何度も言ったのだが、亜希は、
「ええー、でも、お魚よりお肉の方が美味しいじゃん?」
と、聞く耳持たずだった。
「・・・・」
こんなことになる前に、自分がなんとかしてあげられなかったのかと、佐知は胸が締め付けられる思いだった。
第1回は、こちらからどうぞ。
次回は、3月18日配信予定です。お楽しみに。