第5話 現実が押し寄せて来た
瞳は久しぶりに、気が重かった。大嫌いな父親が、ボケて生きていた。
「勘弁してくれよ・・・」
どうにかしらばっくれることはできないか、ちょっと考えてみたが、どう考えても無理そうだった。自分自身が失踪して、行方不明にでもならない限り・・・。
「困ったねー、ミーちゃん」
猫相手に采配を振るう、自由気ままな生活も、最早これまでか?
とりあえず実家から最も近い施設のホームページを見てみた。興味のないことなので、流し読みしては頭に入らないから、声に出して読んでみた。
「えー、ご入居までの流れ・必要書類。健康保険被保険者証の写し、介護保険被保険者証の写し、収入証明(課税証明書、住民税決定通知書の原本、確定申告書、年金通知書の写し)のいずれか。健康診断書または診療情報提供書(原本または写し)。認印。
はー、めんどくさっ。あらっ、小梅もめんどくチャイって?」
腹を出して寝ている猫のお腹を揉む。
「うーん、そうかいそうかい、気持ちいい気持ちいい」
ゴロゴロ喉を鳴らす小梅の腹に耳を当て、しばしストレスを癒す。
それからため息をつき、瞳は再びパソコンに向かった。
「で、金はいくらぐらいかかんだ? うええっ」
たまたま開いた施設はどうも高級だったみたいで、その金額に瞳は目をひん剥いた。
「ひえ~、老後二千万必要って、このことだったんだぁ・・・」
叔母は、父の財産はすでにないというが、浮気に使っていた湯河原の温泉付きマンションとか、秘密裏に購入したゴルフ場の会員権とかはどうなったのだろうか。
「こりゃ、やっぱり一度行って、書類関係いろいろ調べなきゃだな・・・」
あの猫の額ほどの土地を売るにしても、まず古屋を解体して更地にしなければならない。その解体費用はどのぐらいかかるんだろう。
瞳は何年か前、壊れた風呂の修理で来てもらったなんでも屋にラインをした。
なんでも屋のわりにはイケメンで、いいやつだったのでライン交換し、何か壊れると彼に頼んでいた。古屋の管理もしているから、きっと詳しいだろう。
「えー、てっちゃん、てっちゃん」
何年も連絡してないから、ラインのアドレスで検索する。
「あった」
相変らずイケメンのアイコンに、ちょっと心が和んだ。
「お久しぶりです。ちなみになんですが、築五十年ぐらいの古屋の解体って、いくらぐらいかかります?」
すぐに返信があった。
「こんにちは! 大きさによります。
築年数よりは平米、あとは立地条件によってことなります」
「荒川区で40平米、隣接ビッチリ地帯です。木造二階建て」
「木造でしたら平米八万前後かと思います」
ありがとうございますのスタンプを送信して、瞳は暗算した。
「えーっと、8×40で・・・まじ320万ってシャレんなんないじゃん」
以前、田舎の土地の処分に困っている知り合いが、
「解体するだけで300万円ぐらいかかるって言われて、しょうがないからそのまんまにしてるの」と言っていたのを思い出す。
「えぐいわー」
これまで、自分の価値観と美意識で暮らして来た瞳に、一気に塩辛い現実が押し寄せて来た。貯えがないわけでもなかったが、それを父親のために使ってしまったら、子供がいない自分の老後はどうなるんだろうか。
ふと不安になったが、
「あ、ここを売ればいいのか・・・」
という思いにすぐにも至った。残せる子孫もいないし、手持ちの不動産を売れば、いい老人ホームに入れる。
「えー、でもやだー。なんであのくそ親父のためにお金使わなきゃなんないの?」
瞳は一人でジタバタした。本当に、手足をバタバタして。猫が驚いて離れていく。
「だいたい諸々の手続きで何度もアイツに会うのヤダよ~」
祭壇の母親に話しかける。
「どーすりゃいいんだよ」
ボケて垂れ流しの面倒を瞳が自分で見られるわけがなかったし、どこかに預けるにしても、何回かは行動を共にし、手続きをしなければならなかった。
「いやんいやん、ホエンナジバラハウンドドッグ」
瞳は、ロカビリー独特の振付で身をよじらせた。
そして、こんな時でもふざけずにはいられない、自分を呪った。
◆小説「mist」のシーズン1、2、3のここまでのお話はこちらから読めます。
◆次回は、9月9日(木)公開予定です。お楽しみに。