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横森理香 連載小説「大人のリアリティ小説~mist~」シーズン4 幸福という名の地獄 第3話 それは触覚か?

横森理香

横森理香

作家・エッセイスト。1963年生まれ。多摩美術大学卒。 現代女性をリアルに描いた小説と、女性を応援するエッセイに定評があり、『40代 大人女子のためのお年頃読本』がベストセラーとなる。代表作『ぼぎちんバブル純愛物語』は文化庁の主宰する日本文学輸出プロジェクトに選出され、アメリカ、イギリス、ドイツ、アラブ諸国で翻訳出版されている。 著書に『コーネンキなんてこわくない』など多数。 また、「ベリーダンス健康法」の講師としても活躍。 主催するコミュニティサロン「シークレットロータス」でレッスンを行っている。 日本大人女子協会代表

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コロナ禍で、趣味の美術鑑賞はできず絵画教室にも行けない。楽しみの二大柱を奪われ貴美子はもう限界だった。これ以上どうしろと?・・・・・・作家・横森理香が贈る、一見幸せそうに見える大人女子たちのセツナイ内情を描く小説「mist」第3話。

横森理香小説

第3話 それは触覚か?

 

貴美子が家のどこにいても、夫はハエのように近寄って来る。観葉植物に水をやったり、ゴミを捨てたり、何か用事を見つけては、近づいてくるのだ。

 

古い家の敷地に新しい家を建てたので、間取りはゆったりしている。気を使えば気持ちの良い距離は取れるはずだが、必要以上に夫が近寄ってくるのは、わざととしか思えない。あまりにも近寄ってくると、

「密です!」

とゆり子さまになって叱り付けたくなるが、一家の大黒柱にそんなことはできない。

食わせてもらっている以上、我慢我慢の貴美子だが、本当は、そう、自分が身の丈180センチもある巨体の男だったなら、思いっきり蹴とばしたくなる男、それが夫だった。

 

なにしろ、観察すればするほど、気持ちが悪いのだ。

若い頃は多少可愛かったような気がするが、今となっては薄らっ禿げの小男だ。

禿げの頭をよく観察すると、油がにじみ出ていて気色悪い。

ならば観察せねば良いのだが、コロナ禍で家にいる時間が長くなり、そして夫の方はそばにいたがるから、目に入る時間が増えた。外的刺激がなくなったぶん、家族が気になってしょうがないのだ。

 

目ざわり、という言葉は夫のためにある。そう貴美子は思うのだった。昔の時代劇で酒飲みの旦那が、しみったれた嫁を蹴とばして、

「ええいっ、お前がいると酒がまずくなる!」

というシーンがあったが、そんな感じだった。

 

 

日曜日。今日も夫は嬉しそうにテレビの前でゴロゴロしている。

「ったく、よくも一日中テレビ見てゴロゴロしていられるな」

と心の中で悪態をつくも、貴美子だって、行くところもなければ、やることもなかった。夫は貴美子と義理の母親と三人で一日中面白くもないテレビを見て、楽しそうだ。

「楽しいか?」

と、聞きたくなる。

「私は楽しくない」

ホントは、声を大にして言いたい。

 

夫は朝からほげらほげらと嬉しそうだ。

母親がちょくちょく買って来る駄菓子を食べ、コーヒーを飲み、ユニクロのジャージで寛いでいる。

三食おやつ昼寝付きだ。

「ご飯ばっかり作らされる、私の立場になってみてよ~!!」

貴美子は今にも叫び出しそうだった。

 

夫は休日、お昼寝布団をテレビの前に敷き、その上に寝転んでいる。

立膝で足を組み、膝の上に上げた足指を、なぜだか動かし始めるのだ。

「出たっ、触覚!」

貴美子は心の中で叫んだ。夫は足指を、ぴくぴくと虫の触覚のように動かすのだ。

それが、テレビのBGMに合っていたりするからなおさら不気味だった。

その様子を眺めながら、貴美子は食事をする羽目になっていた。

 

母親は気にならないらしい。家族の誰もが、キッチンのダイニングテーブルで食事をすることはあまりなく、テレビ前の応接セットで、お茶したりごはんを食べたりしていたが。

 

もう1年近く、夫の勤務する役場でも週の半分は在宅ワークだった。夫が家にいると、家事をやっているときもずうっと、貴美子は気が重かった。同じことをしていても、なぜ楽しくできなくなってしまうのだろうか。

 

一人ならば、家にいるのも決して嫌いな貴美子ではなかった。朝から晩まで母親の愚痴を聞かされるのは仕方のないこととしても、大抵は好きなことをやって過ごすことができる。家事をしながら韓流ドラマを見るのも、コロナ禍で始めた新しい楽しみだった。

 

 

しかし恋愛ドラマなので、家族が家にいたら興ざめなのだ。だから見られない。見てもいいが、見ている自分を家族に見られたくないのだ。いい年をして主人公に感情移入して、恋愛の疑似体験をしているなんて、思われたくなかった。

 

さらに、夫は自室ではなくリビングで仕事をしているのだ。ランチタイム以外テレビも見られないし、音をたてないよう気を遣わねばならなかった。一人なら、洗濯物をたたんでいるときだって見られるし、泣いたり笑ったり、

「カッコイイ~!」

とか、

「うそマジで?!」

とか声をあげ、手放しで楽しめるのに・・・。

貴美子の機嫌は悪くなる一方だった。

夫の方は、大好きな家族がいる家で仕事まで出来るので、いつもより機嫌が良かった。

 

 

四度目の緊急事態宣言下、夫がいつものように足指をぴくぴく泳がせていたとき、たまらなくなって、一度言ったことがあった。

「足、やめてくれる? 足」

「え?」

夫は雷に打たれたような顏をした。

「私、食事してるんですけど」

配膳と片付けまでしてから自分の食事をするので、家族はすでに食べて終わっている。

「だから?」

「ごはん食べながら、人の足、見たくない」

 

夫はにやにやしながら、組んだ足を下にどけた。

しばらく膝をパタパタ開いたり閉じたりして遊んでいたが、その後、ソファに座って、今度は足を組んで貴美子の方に向けたのである。

貴美子は床に座ってソファを背もたれにし、食事をしているので、その足はまさに貴美子の顏の位置に、向けられていた。

 

貴美子の目のふちには、夫の、草鞋のような足が入っていた。小男のくせに、手足が不釣り合いに大きいのだ。貴美子はそれを、若い頃はミッキー・マウスみたいで可愛いと思っていたが、今となってはキショいだけだ。

「生理的に無理っ」

と、貴美子は思った。しかし、逃げ場がない。自活できない限り、一生この男と添い遂げるしかないのだ。

 

横森理香小説

イラスト/押金美和

◆mistシーズン4と1、2、3のこれまでのお話は、こちらでお読みいただけます。

◆次回は11月11日(木)公開予定です。お楽しみに。

 

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