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横森理香 連載小説「大人のリアリティ小説~mist~」シーズン4 幸福という名の地獄 第6話 病院通い

横森理香

横森理香

作家・エッセイスト。1963年生まれ。多摩美術大学卒。 現代女性をリアルに描いた小説と、女性を応援するエッセイに定評があり、『40代 大人女子のためのお年頃読本』がベストセラーとなる。代表作『ぼぎちんバブル純愛物語』は文化庁の主宰する日本文学輸出プロジェクトに選出され、アメリカ、イギリス、ドイツ、アラブ諸国で翻訳出版されている。 著書に『コーネンキなんてこわくない』など多数。 また、「ベリーダンス健康法」の講師としても活躍。 主催するコミュニティサロン「シークレットロータス」でレッスンを行っている。 日本大人女子協会代表

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母親が骨折した。医師はリハビリを終えて歩けるようになってから退院させてくれるというが、これから少しずつ楽しみを取り戻そうと思っていた矢先の出来事に、気分が晴れない貴美子だった。作家・横森理香が贈る、大人女子のセツナイ内情を描く小説「mist」第6話です。

横森理香小説

第6話 病院通い

 

母親の入院したアサカ病院は、幸い自転車でも行ける距離にあったから、車で行けばものの10分だった。それだけはラッキーだと思えた。

しかし・・・。

 

母親の我がままが爆発し、毎日届けなければいけないのは着替えだけではなかった。

「マーメイドの甘いパンが食べたい」

から始まり、

「駅ビルのあれなんだっけ。プリン、ほら、美味しいヤツ」

と、名前も思い出せないのに銘柄指定で注文を付けて来る。

 

病気ではないので母親は元気だ。

貴美子が病院に来ていると分かると嬉しくて、ラインのビデオ通話で話したがるのである。親に簡単スマホを持たせ、ラインの使い方を教えておいて良かったと思った。

貴美子も顏が見られて安心だった。

しかし・・・。

 

 

貴美子が家にいるときでもいいのに、近くにいるときに話したいという、気持ちはわかるが困った状態が続いた。病院には必要最低限しか滞在できないから、貴美子は駐車場で車に乗ってから、母親としばらくお喋りをした。

夫の仕事も週の半分は在宅勤務だから、三食のおさんどんに加え、病院通いと母親に頼まれた買い物で、貴美子は忙しくなった。その忙しさに、自分がどこかイキイキとしていることに気づいたが、心は苦しいままだった。

 

「嗚呼、一人で『愛の不時着』が見たい・・・」

それは、韓国の財閥令嬢がパラグライダーで突風に吹かれ、北朝鮮に不時着してしまい、そこで北の将校と恋に落ちるという話だ。瞳が嵌って四回も見たというので、どうしても見たくなってネットフリックスに加入したのだ。

月々1490円のスタンダードコースでも、家計から捻出するのは痛かったが、習い事や美術鑑賞が出来ない今、それぐらいは許されるだろうと思った。息子がいたときに手続きや設定はやってもらい、使い方も教わった。

 

「これ二名まで鑑賞者登録できるから、俺も登録していい?」

「いいよいいよ」

ネットフリックスの最初の画面に、貴美子、裕太、と名前を入れてもらい、心が浮き立った。

 

 

主人公セリを演じる女優と、恋仲になる将校ジョンヒョクを演じる韓流スターが、二人とも若くないところも大人女子向けだった。韓国の財閥令嬢の女社長V.S北朝鮮高官の一人息子。

三十代になるまで一度も恋をしたことがない二人が恋に落ちる、南北の限界線を越える一大ラブロマンスだ。感情移入するのはもちろん、キムチ漬けてるおばさんじゃない。美しく若く、大金持ちのヒロイン。そして、

「ヒョンビン♥」

 

身長185センチでガタいの良い、ストレートな表情が女心にグサッと来る韓流スターに、とっぷりとのめり込んでいた。一人暮らしだったなら、ポスターを部屋に貼りたいぐらいだ。家族に見られる可能性がなければ、スマホの待ち受けにだってしたいぐらいだった。

しかしそれは、自粛した。

「く~」

 

 

緊急事態宣言が明けても夫はリモートワーク、母親は骨折入院と、本来なら陰々滅滅になるであろう状況下において「愛の不時着」は、貴美子の心を救ってくれた。あとは、一人になれる時間を見つけて、続きをいつ見るか、ということだった。

 

「あ、俺明日出勤だから、お弁当お願いします」

と夫が言ったとき、貴美子は、

「はいはい」

と二つ返事で応えた。夫はぽかんとしていた。コロナ禍になってからずうっと機嫌が悪い妻なのだ。追い打ちをかけるように母親が骨折。その世話やら医師や看護師との連絡で大変なはずなのに・・・。

 

貴美子は微笑みがこぼれないよう注意しながら、心の中で叫んだ。

「やった!」

明日弁当を作って夫を送り出し、お母さんの届け物したら、あとはゆっくり「愛の不時着」が見られる。夫が帰ってくるまでは一人だから、一話といわず二話、いや、見られるだけ見てやろう!

 

貴美子は久しぶりにウキウキと、夕飯の支度を始めた。主人公のジョンヒョクが、保護したセリにご飯を作ってあげるシーンを思い浮かべながら。製麺も手に入らない北では、小麦粉を練って、こね、手動製麺機でくるくると麺を作る。

薄焼き卵を焼き、刻んで、汁蕎麦の上に乗せる。赤い唐辛子を飾り、うやうやしくセリに運ぶのである。素朴で丁寧な、美しい暮らしだった。

そこには愛・・・。そう、大人女子たちのロマンスが、ぎゅっと濃縮されて詰まった、玉手箱のようなドラマだった。

 

貴美子はうっとりとしながら、お盆に料理を乗せ、ジョンヒョクさながら、リビングに運んだ。

「・・・・!」

驚いたことに、夫はソファに座ってセンターテーブルにクッションを置き、そこに足を上げてふんぞり返っていたのである。それは母親がいるときには見たことがない、実に横柄な姿だった。

 

「ご飯できたよ」

唖然とした貴美子がやっとの思いで声をかけると、夫は慌てて足を降ろした。

貴美子は食欲を失い、しばらくキッチンに立ち尽くした。

 

横森理香小説

イラスト/押金美和

 

◆mist シーズン4、シーズン1、2、3のこれまでのお話は、こちらでお読みいただけます。
◆次回は、11月23日(火)公開予定です。お楽しみに。

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