第8話 院内感染?!
あと一週間で退院というところになり、母親の入院する病院から電話があった。
こともあろうに、院内で集団感染が起こったのだ。
PCR検査の結果、母親も陽性だったという。
「ワクチン打っているのになんでですか?」
貴美子は電話口で食って掛かった。
「ワクチンは100%予防するものではなく、罹患しても症状が軽くなるものなんですね。お母さまは咳が出ているぐらいで、症状は軽いんですが、御高齢なため悪化する恐れがあるので、あと二週間はこのまま入院という形を取らせていただきます」
二週間で陰性が確認されたら、家族にうつす可能性もないのでも退院もさせられると。
「私たちは何もできないんですよね」
念のため確認すると、
「はい、これまで通り、着替えだけ持って来ていただき、面会はできません」
という。
貴美子はその場で、へたへたと座り込んだ。最悪の事態が起こってしまったのだ。
こともあろうに、骨折入院で院内感染・・・。
持病がなくても高齢者は、急に悪くなる可能性が高いとニュースでもやっていた。軽症で自宅療養中に死亡するケースだってある。
貴美子は母親がいつも座っていたソファに目をやった。
朝から晩まで愚痴を聞かされ、あー、もーヤだと思っていた母だが、こんなに急にいなくなる可能性が出てくると、なんだか頭が真っ白で、どうしていいか分からなかった。
そしてこんな時に限って、夫は出勤だった。
「・・・ちっ」
貴美子は舌打ちした。週の半分は在宅勤務なのに、なんでこういうときに限っていないのだ。だいたいにして夫は、苦労をしないように出来ているのだ。次男だから貴美子の家に婿養子に入り、マスオさんよろしく、ぬくぬくと暮らしている。
去年国から世帯主に振り込まれたコロナ給付金も、母には十万渡したが、息子にも貴美子にも渡されてなかった。大学院在学中だった息子には学費の足しにすると言い、貴美子には、
「老後のために貯えておくから」
と言っていた。貴美子が毎月の生活費の中からやりくりして貯めている貯金のほかに、夫は住宅ローン返済用の口座を持っていて、それは貴美子の知るところではなかった。
そもそも、今回の入院費や諸経費にしても、母親の入院保険や年金から捻出し、夫は一銭も支払っていないのだ。
それってどうなんよ? と、ふつふつと怒りがこみあげて来る。
貴美子は思い余って、瞳にラインした。
「お母さんがまさかの院内感染」
「マジ? ワクチンしてるのに?」
「骨折入院でコロナってありえない」
「え、具合悪いの?」
「熱はまだ出てないけど、咳が出てるって」
「まあ老人だし咳ぐらい出るよ」
「でもPCR検査したら陽性だったから、今日から二週間入院伸ばすって・・・」
「PCR検査も、どのウィルスにも反応しちゃうから、コロナじゃない可能性もあるってよ」
瞳は貴美子を安心させようと色々ラインして来てくれたが、貴美子はもう、母親はコロナが悪化して死ぬのだ、自分ももしかしたら無症状で突然死する可能性だってあるのだと、それだけで頭がいっぱいになってしまった。
これまで、我慢に我慢を重ねて節約し、老後のために貯えて来た。
人力で出来る作業はすべて人力でするため、洗濯機は二層式、乾燥機もなかった。
新築の際に食洗器を導入したかったが、
「手で洗えるよ」
という夫の一言で却下された。専業主婦なんだから、それが君の仕事でしょ? と言わんばかりの表情だった。
移動も出来る限り徒歩か自転車でし、家のエコカーを利用するのは極寒極暑と本当に必要なときだけだった。
スーパーのチラシをくまなく見、安いときに買いだめして冷凍保存した。生活用品のほとんどのものを百均で購入し、やりくりした中で自分の小遣いを捻出していたのだ。
しかし、今、死ぬとしたら、そのすべての努力は、何のためだったのか・・・。
貴美子はうなだれた。
人生百年時代、老後の資金は二千万必要だと聞き、まだまだ節約しなければならないと思っていた矢先だった。それなのに・・・。
貴美子はふらふらと、母親の着替えを袋に入れて、病院に行く支度をした。
おっつけ母親からラインがあった。
「コロナになっちゃったよ」
「聞いた。大丈夫なの?」
「うん、たまに咳が出るぐらいだよ」
「入院伸びるね。なんか欲しいものある?」
「あ、じゃあ石田商店でのど飴買って来て。かりんのど飴。なんか喉がガサガサするんだよね」
石田商店は母がよく行く、そして入院してからは貴美子が日参する駄菓子屋だった。
「分かった。買ってく・・・」
母は、昔ながらのかりんのど飴が好きだった。
喉がガサガサするなんて・・・涙があふれて来る。
貴美子は、これが最後のかりんのど飴かも・・・と思いかけて、やめた。自分まで具合が悪くなりそうだった。「愛の不時着」を見始めてからどんどん元気になって、体調も気分も絶好調だったのに、いきなり。
「ダメダメ、私まで免疫力下がったら、母親の面倒は誰が見るの?」
貴美子は自分で自分を奮い立たせて、病院に向かった。