先日、広尾の祥雲寺で終活セミナーが開かれた。
広尾の小京都といわれる祥雲寺は紅葉の真っ盛り。
美しい庭を眺めながらみんなで「未来」を創造する時間は、長い自粛明けの素晴らしい体験となった。
第一部で私がお話をした。
今回、三度目の「ネバーエンディングノート」の制作をして何を思ったか。
一度目は2012年、初版が出た際、デザイナー・カイフチエリさんのワークショップに参加して、初めて記入した。そのころはまだ四十代、早い気がして真剣に書き込めなかった。
二度目は、令和ブルーバージョンが発売された2020年の夏、アワエイジの記事にするため、制作を依頼された。
この時は真剣に記入した。コロナ禍の真っただ中、自分も罹患して死ぬかもしれないという恐怖があったからだ。
クローゼットにしまってあった古いアルバムを引っ張り出し、真剣に思い出を整理した。その中から抜粋し、切り抜いて、「ネバ―エンディングノート」に張り付けた。古いプリントは重いアルバムに貼っておいても、見直すこともないので、はがして箱に入れ、アルバムは捨てた。
そんな作業をする中、私の中で、何かもやもやとしたものが湧き上がってきた。
高齢出産で子育てをする間、子供の物心がついた頃から、小説を書くことは封印していた。
小説はエッセイと違って、本当に一人でないと書けないからだ。家族からも分厚いドアを三枚ぐらい閉めないとならない。それは、成長期の子供にとって、母親不在と同じなのだ。
しかし子供ももう十九歳、大学生になった。そして自分はアラカン。コロナ禍で、いつ死ぬかもわからない。コロナ禍でなくとも、癌や脳梗塞などで、若くして鬼籍に入る友人、知人もいる。
私自身作家として、やり残したことがあるのではないか。コロナ禍というこの異様な時代を、書き残しておく必要があるのではないか・・・。
「ネバーエンディングノート」を真剣に記入したおかげで、私は再び、小説を書き始めた。
「アワエイジ」で連載中の大人女子リアリティ小説「mist(ミスト)」である。
小説は物語だから、エッセイでは書けない真実が書ける。これは、読む人も癒すし、書き手も同時に癒される。書かなきゃだめだと、「ネバ―エンディングノート」が教えてくれた。
茶人・祥雲寺住職によるお抹茶とお菓子タイムのあと、第二部はカイフチエリさんの制作ワークショップだった。
私も今回、「旅のベストテン」ページを制作し、自分史を振り返った。
何十年にも及ぶ記憶をたどってみると、実にいろんなところを旅した、いい半生であったと、肯定的な気持ちになれた。
みなさんもぜひ、この機会に半生を振り返り、「自分」というものを再検証してほしい。
もしもの時を考えるというより、これからの人生をより充実させるために。
やり残したことを始めるのに、早すぎるということはないのだから。