第1話 突然の電話
四回目の緊急事態宣言が明けた十月、佐知の息子、久志から電話があった。
一人暮らしを始めてからろくに帰ってきもしない長男、コロナ禍でもう二年以上会っていない。電話すら久しぶりだから、かかってきたとき、佐知は心底驚いた。
「どうしたの?! なんかあった?」
ラインで安否確認はしていたものの、声を聴くのも久しぶりだ。
「実は、紹介したい人がいるんだ」
「えー!!」
夫と同じあっさりした性格で、学生時代から彼女らしき人がいたためしはない。長身でシュッとしてはいるが、夫に似て仕事人間のメガネ君だ。いつのまに・・・。
「今度の日曜に連れてくから」
「や、急だわっ」
佐知は大急ぎで家の掃除をした。掃除は苦手だ。窓なんか拭いても拭いてもきれいにはならない。手のストロークが付くだけだ。
ああ、こんなとき亜希ちゃんがいれば・・・。
佐知は一年前に亡くなった、従姉を思い出した。
「ぴえん・・・」
亜希は料理だけでなく、掃除も上手だった。
毎年、大掃除の際は手伝いに来てくれていたから、家じゅうぴかぴかになったものだ。が、コロナ禍で遊びにも来られなくなり、渦中に脳梗塞で死んでしまった。もう二年、大掃除はしてない。
よく見ると床も汚かった。佐知は片付けは得意だ。しかしいざ掃除となると・・・。見えるところに掃除機をかけて、クイックルワイパーでさーっと拭くだけ。家のそこここに、二年分の汚れがたまっていた。
気にしなければいいのだが、嫁になるかもしれない娘が来るということになれば、ここは姑として、お手本を見せないわけにはいかないだろう。
「えー、でもいやだなぁ。手が荒れちゃうし・・・」
「大丈夫、水でさーっと拭けば」
「え・・・」
どこからか、死んだ従姉の声が聞こえた。
「昔は洗剤なんかなかったんだから、普通に雑巾がけすればきれいになるよ」
「亜希ちゃん、そう言うなら、生き返ってきてよ」
佐知は本当に、家事が苦手だった。
掃いても掃いても落ち葉のたまる玄関、ぬぐってもぬぐっても埃のたまる家で、自粛生活はもう二年続いていた。
忙しく出かけていれば多少の汚れは気にならないのだが、コロナ禍で通訳の仕事は皆無、翻訳の仕事もたまにしかなかった。会社員である夫と娘のリモートワークは宣言解除後も続いていて、家事が佐知の仕事といえば仕事だったが、三食作るだけで精一杯だったのだ。
しかし・・・。
真冬以外は裸足で歩き回る夫の足跡がついた床を、嫁にチェックされるわけにはいかない。面倒より見栄が勝ち、佐知は家じゅうの雑巾がけを始めた。
が、拭いても拭いても、床はきれいにならない。
「なんでかなー? もー、いやんなっちゃう」
考えてみれば、家に来る、ということになれば、食事も出さなきゃいけないではないか。自分と家族の腹を満たす程度のものは作れても、ひと様にお出しできるような御馳走は、佐知には無理だった。
「ねね、久しぶりに中華料理行かない?」
佐知は夫に提案した。
「いいよ。もう酒も飲めるからな」
夫は嬉しそうだ。家では呑まない主義だから、飲食店でのアルコール類提供を禁止されていた間、飲み物は牛乳だった。
「そうだよ、うちにわざわざ来るより、店で会った方がいいじゃん」
娘の花梨も、うざったそうに言う割には、久しぶりの外食が嬉しそうだ。
「イエイ! じゃ予約して、久志にも連絡しとくね」
中華が家族を熱くする・・・佐知は久しぶりに、ワクワクしてくる自分を感じていた。
◆「mist」のこれまでのお話は、こちらでお読みいただけます。
◆次回は、8月16日(火)公開予定です。お楽しみに。