第4話 愛に臆病な瞳
年が明け、変異したウィルスはまたたくまに蔓延した。新しいウィルス、オミクロン株は、うつりやすく重症化はしずらいとかで、蔓延防止措置は取られたものの、緊急事態宣言は出されなかった。
「にしても、二万人超えはすごいわー」
瞳はケンちゃんに言った。正月休みで人が動いたからか、それとも、長引く自粛生活で人々がもう我慢の限界を超えたのか、感染者数が増え始めるとまたたくまに、東京都は連日二万人越えとなった。
「また誰にも会えなくなっちゃったし、出歩けなくなっちゃった。六義園も明日から閉園だってよ。上野動物園の赤ちゃんパンダにも会えないし・・・」
「だからもう、俺と家族になればいいじゃん。な?」
「しつこいっ」
瞳は休みの日、ケンちゃんちのお茶屋を手伝っていた。
といっても、客はほとんど来ないから、ケンちゃんとお茶してるだけだが。
「だいたいさー、私だって無症状で持ってるかもしんないんだから、お母さんにうつせないよ」
瞳はオミクロン禍になってから、ケンちゃんの家は訪ねてなかった。父親の施設も、一時は面会が可能になったが、また面会禁止となっていた。ラインで面会しても、いつもすっとぼけたことを言うだけだが。
「ケンちゃんちなんかまだ、お母さんボケてないだけいいよ。毎回毎回、ほう、瞳さんって言うの、可愛い名前だねぇ。なんて言われてみ?」
「確かに、それ辛いわ。ん、この煮物んまい!!」
「でしょー? コチュジャン入れて、韓国風にしたんだ」
瞳はケンちゃんにおかずを届けていた。
お母さんもだんだん料理できなくなってきたと言うから、当座煮やつまみになるものをタッパに入れてあげていたのだ。
「瞳の料理に俺、完全に胃袋つかまれてるよ。うまい飯食わせてくれるだけでいいから、一緒んなろう、な」
ケンちゃんも最近は、素面でも恥ずかしげもなくプロポーズするようになった。慣れって怖い、と、瞳は思う。
「でもさー、実際そうすると、猫どうすんの? 三匹はいいかもしんないけど、一匹エイズだから隔離しておかなきゃなんないんだよ?」
「大丈夫だよ。死んだオヤジの部屋、物置になってるから片づければ猫部屋にできる。その、なんだっけ?」
「リジョンヒョク氏」
「それ」
ありがたいお話だが、ケンちゃんちは下町の典型的な古い木造住宅だった。
冬は寒そうだし、長年港区女子としてマンション暮らしをしてきた瞳が、そこで満足な暮らしをできるとは思えなかった。
「猫もひっくるめて面倒見るよ」
ケンちゃんは男らしく言う。
「面倒見てもらうのはそっちでしょ?」
と瞳も負けない。
「たははは」
とケンちゃんは頭を掻いた。
脳天薄くなってはいるが、白髪は少ないのがチャームポイントだ。
「でもさ、ほら、破れ鍋にとじ蓋とか、昔から言うじゃん」
「馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、とかね・・・う~ん」
瞳は腕組みをして、考えあぐねた。
「う~ん、とか言うな。ったくよ」
「へへっ」
ケンちゃんといると楽しい。気が合うのは確かだった。
しかし、ケンちゃんの事が男として好きかといったら、それはもはや分からなかった。
瞳は四十代で子宮全摘したから、早めに閉経を迎えた。女性ホルモンが出なくなってからは、まったくその気にならなくなってしまった。
ケンちゃんにはその話もしたのだが、
「俺だって同じだよ。酒の飲み過ぎで、もうとっくに使いモンにならなくなっちゃってるから」
と笑いながら言った。
「一緒にいてくれるだけでいい」
と真顔で言われ、面倒なのだが嬉しくないわけでもない。
瞳は、ケンちゃんと付き合い始めてから、コロナ禍でほったらかしにしていた白髪を染めた。12月に入り感染者数も激減していたし、久しぶりに美容院に行ったのだ。新しい洋服と靴も買った。それは、我ながらシェール主演の映画「月の輝く夜に」のようだった。
女は何歳になっても、男に求められると華やぐのだと、我が身をもって知る瞳だった。肉体的に求められなくてもいいし、もちろんそれも望まなくなった。むしろ求められたら、生理的に無理だ。
ケンちゃんはその辺が、サラッとしていていやらしくなかった。オジサンでも、性欲が強い人はいやらしいものだが、ケンちゃんはまるで、小学生の頃のケンちゃんと変わらない。休みになると、
「暇だから遊ぼうぜ」
とラインしてくる。
「子供か?」
瞳は一人ごちる。
「今日仕事?」
「うん、お仕事。次のお休み明後日だから、店行くよ」
相手が外国人でも若くもない場合、キスもハグもないのだが、それが心地よかった。
瞳はケンちゃんと、クリスマスを過ごした。
それは久しぶりに、猫以外の誰かと過ごした、クリスマスイヴだった。
「瞳、クリスマスってどうしてる?」
と聞かれたから、
「特に予定ないよ」
と答えた。
「そうなんだ、いつものメンバーで集まるかと思った」
「いんにゃ、年末に集まることになってる」
「そうなんだ、ならどっか飯食いに行かね?」
と誘われたが、
「うちに来ればいいじゃん」
と提案したのだ。
自粛生活で胃が小さくなったのか、それとも年齢的に消化力が衰えたのか、外食をすると瞳はお腹を壊すようになってしまっていた。
「クリスマスディナー作るよ」
ケンちゃんはバカみたいに、
「いいのか? いいんだな?」
と念を押した。
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◆次回は、3月29日(火)公開予定です。お楽しみに。
★初沢亜利さんの写真集「東京 二〇二〇、二〇二一。」は、こちらからどうぞ。