第4話 できちゃった結婚
佳恵の妊娠は夏ごろに分かったらしい。最初はつわりがひどくて、リモートワークで良かったと、久志は言っていた。秋口にはつわりも終わり、安定期に入った。おなかが大きくなる前に、サクッと身内で式を挙げたいと言うのだ。
「ちょっと待って。身内でって、どのぐらいまでの感じで?」
佐知はパニックになった。十月は死んだ従姉の一周忌もある。
両家顔合わせもしなきゃなんないし、会場の予約なんて、この時期にいきなりじゃ、ちゃんとしたところは無理だろう。
「久志は長男なのよ」
佐知は今にも泣きそうだ。
「お母さん、いまどき長男とかってありえない。地味婚の時代だし」
花梨が冷たく言い放った。
あんたはどっちの味方なのよー?! 本当はそう叫びたいぐらいだったが、こらえた。
「・・・花梨あんた、今日免許持ってる?」
「いつも携帯してるけど・・・」
「じゃ運転して。すみませーん!!」
佐知はマスクをするのも忘れて、大声で店員を呼び寄せた。
「紹興酒ください。ロックで」
飲まなきゃやってらんない。
「甕だし紹興酒ですねー」
店員が去るのを確認してから、佐知は言った。
「話の続きは家でしない?」
ああもう、家が汚くたって気にしない。込み入った話になりそうだ。
「狭い家ですけどね。あ、そーだ。デザートにケーキ買ってこう、ケーキ」
夫は嬉しそうだ。娘が一人増えた。さらに初孫までできている。
「・・・・」
まさかこんな展開になるとは夢にも思っていなかったので、佐知は三年物の甕だし紹興酒をゆっくり味わうこともなく、一気に飲み干した。
花梨が運転するVOLVOの助手席に夫が、後部座席に三人がむぎゅうっと乗り込み、一同は目黒の高級住宅街にある、室井家に向かった。狭い敷地に建蔽率いっぱいいっぱいに建つ家の駐車場に、大きな外車が何度も切り返しをして停まった。
「さあさ、上がってください」
佐知が玄関を開け、スリッパを出した。
来客用のスリッパを出すなんて、いつ以来だろうか。
この二年家族三人しかいないリビングにて、久しぶりにプラス二名がいる。
花梨が張り切ってプレゼンを始めた。
「たとえばこんなプランなら、今からでも予約できます」
iPadでサクサク検索して、都内結婚式場のトワイライトプランを見せる。
「平日の夕方からなら・・・」
ネット予約の空き状況を検索する。
「ほら、十一月の終わりなら空いてる」
五カ月か・・・ぎりぎり、花嫁衣裳でお腹は隠せる。佐知はもう、これから怒涛のようにもろもろ準備しなければならないことで、頭がいっぱいだった。
「あ、お母さん、デカフェの紅茶にしてよ」
キッチンでケーキとお茶を準備している佐知に、花梨が指示した。
「はいはい」
花梨はカフェインフリーもやっている。
ましてや妊婦には、カフェインを与えないほうがいいと考えたのだろう。
ったく、医者か。
「とりあえず、佳恵さんのご両親にもお会いして、両家だけの式にするとしても、色々相談しないとね」
佐知はリビングにお茶とケーキを運んでから、切り出した。
「うちは父がもう他界していて、母だけなんです」
佳恵が困ったような顔をして言う。
「あ、それはそれは・・・これからは私を父親と思ってください」
夫がバーンと胸を叩いた。
ふだんは苦虫を嚙み潰したような顔をしているくせに、この外面の良さ・・・佐知と花梨はあきれた。
「じゃあお母さまとお会いして、式場の下見とか、いろいろ早めに支度しないとね」
「すみません母はまだ、フルタイムで働いているので、準備とかは無理かと」
「あら、そうなの・・・・」
気まずいムードが流れた。上機嫌の夫が言う。
「じゃあ来週末にでも、さっそく会食しよう」
それから花梨のアイパッドに出される結婚式場を指さし、
「会場の下見もかねて、ここでいいじゃないか。レストランも美味しそうだし」
と即決した。
佳恵は一人っ子だという。父親はとっくに病死していて、母親が看護婦をしながら、女手一つで育て上げたのだと。
三交代制で働きながらの子育ては、想像以上に大変だろうし、一人で留守番した娘も、寂しかったに違いない。
佐知はちょっとだけ、同情した。
コロナ禍で会えるのが家族だけに限定され、いつ収束するか分からない今、息子の「この人と家族になりたいんだ」という言葉は、重かった。
◆「mist」のこれまでのお話は、こちらでお読みいただけます。
◆次回は、8月25日(木)公開予定です。お楽しみに。