最終話 孫という名の宝物
正月明け、変異したオミクロン株は猛威をふるった。
この新しいウィルスは感染しやすく、東京都の感染者数はあっという間に一万人を超えた。しかし重症化しづらいということで、緊急事態宣言は出ないものの、蔓延防止措置が取られた。
過去二年間のような厳しい行動制限は出ないものの、人々は自粛慣れしているせいか、感染者数の威力にやられたか、再び巣ごもり生活が始まったのだ。
そしてまた、今年の冬は格別に寒かった。近所を散歩する勇気も出ないほどに。
家族はリモートワークで一日中家にいるうえ、休みの日も家にいた。
まるで正月休みが、そのまま続いているようである。
佐知は憂鬱だった。一分一秒でも長く、家族から離れていたい。
しかし、オミクロン株のおかげで出かけづらくなってしまった。そして初孫の予定日が三月に控えているのに、このまま集まれないし、出かけられないのだろうか。
「調子、どう?」
嫌がられるのを承知で、義理の娘、佳恵にラインする。
ラインのアイコンは、ニックネームのヨッシーだ。
「順調です」
味も素っ気もない返信と、超音波検査の映像が送られてきた。
「きゃっ、カワイイ♡」
なんだかもう、人である。最初の頃は、なんかエイリアンみたいだったけど・・・。
「男の子か女の子か分かった?」
「それは生まれるまで聞かないことにしています」
ちっ、それじゃあ、ベビー服の準備もできないではないか。
佐知はイラっとした。
なにしろ最近の楽しみは、アマゾンでベビー服を見ることだけだった。
オミクロン株が急拡大する前はデパートに行き、産着やおくるみ、新生児用のおもちゃやベビーコッドを買った。本当ならその足で届けたいところだったが、
「無事出産するまで、誰にも会わないことにしてるんです」
と言われた。仕方がないので、宅急便で送りつけた。
と、ここまで男女問わずなので、買い物が楽しめたのだ。しかし・・・。
「風邪なんかひいてない?」
二人ともがっちりリモートワークだから、風邪も引くわけがないのだが、妊婦検診に行っている嫁が心配だった。
「大丈夫です」
「なんかあったら言ってね。必要なものとか、すぐ届けるから」
「ありがとうございます」
といっても、佳恵の方からラインしてくることはなかった。
二人が住むのは、佐知の家からは車でたった十分ぐらいの中目黒。
暇でうずうずしている佐知は、本来ならば世話を焼きに日参したいところだったが、オミクロン株に感染していて無症状なのかもしれず、妊婦に会うのは我慢していた。
「うーん、これもカワイイ♡ カーキ色だったら男の子でも女の子でも大丈夫なのでは?」
クマさん耳のついたフード付きロンパースを思わずポチってしまう佐知だった。
あああぁ、つまらないなぁ。女の子だったら、あれも、これも着せてあげたい。花梨のファーストシューズだって履かせてあげられるのに・・・。
それは、待望の女の子が生まれた喜びで、思わず買ってしまったエルメスのファーストシューズだった。オレンジ色の箱をクローゼットの中から取り出し、しげしげと眺める。一緒に入っていたのは、クリストフルのシルバースプーン。
「この赤ちゃんは銀のスプーンをくわえて生まれてきた」という英語の言い回しから縁起物となった赤ちゃん用銀のスプーンは、一生食べるものに困らないという願いを込めた贈り物だ。佐知は誰も買ってくれないと思い、自分で買った。花梨の名入りだ。
もう一つ、エンジェルと書いてある柄のところに天使のレリーフが飾られる銀のスプーンは、義母から出産祝いにもらった。待望の女の子は、きっと義母にとっても天使のようだったのだろう。
桐の箱に入ったへその緒、誕生石のベビーリング、一歳の誕生日のバースデープレート、そして、ベビーヘア。花梨は生まれてからずっと髪を伸ばしていて、小学校に上がる前、初めて切った。その栗色の髪を、この大切な思い出の箱にしまっておいたのだ。
「ベビースプーンは男の子でも使える・・・」
佐知はその、二十何年も前の銀食器を、丁寧に磨いた。
「よっこいしょ」
佐知はクローゼットの奥の桐箱から、初参りの掛着物を出した。
久志のぶんと、花梨のぶんがあった。それを虫干ししながら、
「これで男の子が生まれても、女の子が生まれても大丈夫だわ」
とつぶやいた。お食い初めの塗りの器もキッチン戸棚の奥から取り出し、からぶきしておいた。どれも小さくて、可愛かった。
春には初孫に会える。
そのことだけを生きがいに、寒い寒い日々をやり過ごした。
「どこの産婦人科も、今オミクロン禍で立ち合い出産させてくれないんだって。でも、花梨を産んだクリニックだけが立ち合いさせてくれるから、そこにしたみたい」
「へえ、立ち合うんだ、お兄ちゃん」
「懐かしいなぁ・・・。俺なんか仕事早退して駆け付けたけど、間に合わなかった」
家族とももはや愚痴以外話すこともなかったが、赤ちゃんネタになると、みんなが笑顔になった。心が軽くなった。子はかすがいと言うが、孫もかすがいなのだ。
「でもあそこも、夫以外の面会NGなんだって。夫も一日一回だけらしいよ」
「残念、すぐ会いたかったのになぁ」
「焦らなくても四日で退院だってよ。昔は一週間入院だったのにねぇ」
「花梨の時は、久志も連れてったよな。個室だったから弁当買ってって、みんなで夕飯食べられたもんな」
楽しかった思い出、そして、これからその追体験ができる期待が、家族の心を温めた。
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