先月のある雨の日のこと。
わたくしギリコは会社を休み、とある地方都市におりました。
人生初の『がんドック(がん検診)』受診のためです。
「ふたりにひとりが、がんになる時代です。
50歳になったら一般的な人間ドックではなく、がんに特化したドックを受けた方がいいですよ。
自分は大丈夫ってみなさん思うものなんです。
でも、ふたりにひとりがなっているんですから!」
とふだんはマイルドタッチの知り合いの医師が珍しく強い口調で言うのが気になり、相棒が探してきたがん専門病院でドックを受けたのです。
相棒が言うには、その病院は
「○○(←有名な東京のがん治療専門機関)にいた医師たちが〝もっとよい病院をつくれるはず〟と高い志をもってつくった施設」
だそう。
(確かに実際に訪ねてみたらいろいろ関心したことがありました。いずれ機会があればそのことを書いてみたいと思います)
今日はその検査結果をききに来たのです。
その帰り道のこと。
最寄りの新幹線の駅までもうすぐというとき、ふと横を見たらビルとビルに挟まれた森の頭が見えました。
どうやら公園のようです。
入口には「○○市立○○園」という看板があり、ここは宮様の別邸の跡地で広大な庭園や池、お庭を臨む邸宅のほか動物園とか小さな遊園地なども併設されているとありました。
入場料は300円。
ざぁざぁ降りの雨の中、お金を払ってまで入るような物好きはほかにはいないようで、公園にいるのはギリコひとり。
遊園地のメリーゴーラウンドもミニ汽車も止まっていて、動物園は静まり返っています。
誰もいない公園をあてどもなく、しばしぶらぶら。
寒い季節とはいえ、平日の昼間、こんなことをできるのが会社員としてはうれしい。
邸宅や意匠を凝らした庭園を見学しさらにうろうろしていると、大木を利用したあずまや(やはり誰もいない)が見えました。
が、おや。
何かがぶら下がっています。近づいてみると
バッグです。
ひとつだけではありません、他にもたくさん。
そして木の根元には……
ここにもたくさんのバッグが。
みんなぐったりして寝そべっています。
売り物?
ここはお店?
でも誰もいないよ……。
不思議に思ってさらに近づいてみると、どのバッグにも小さな木の札が付いていて、何か書いてあります。
値札かと思ったら、
木に寄りそう
犬が好き
猫が好き
コーヒーをたのしむ(だったと思う)
などそれぞれに文字が。
ちょうどコーヒーを飲みたかったので「コーヒーをたのしむ」のバッグを天井から下ろし、中を見てみました。
コーヒーは入っていませんでしたが、『珈琲のことば』(だったと思う)とかいう平凡社の本が入っていました。
どうやら偉人、有名人のコーヒーにまつわる名言を木版刷にして載せている凝ったつくりの本のようです。
今度は「犬が好き」というバッグの中を見てみると『世界で一番美しい犬の図鑑』という大きくて重い本が。
次々と中を見てみましたがどのバッグにも本が、それも一風変わった佇まいの洒落た本が入っています。
最初は出てくる本のラインナップを感心してみていたのですが、周囲があまりにも静かすぎるのと〝誰もいない雨の公園にこんなにたくさんのバッグと本が置きっぱなし〟というこの非現実的なシチュエーションが不気味に思えてきました。
そこで「もう帰ろう」と出口へ向かって歩き出すと、今度は小さな丸屋根の建物に出会いました。
壁には
ふとめ
ほそめ
げんじつ
という文字が鏡と一緒に貼ってあります。
建物の名称は、かがみのいえ。
「ふとめ」の前に立つとハンプティダンプティのような私が、「ほそめ」の前に立つと鉛筆のように細くなった私が、「げんじつ」の前に立つと現実サイズの私がいました。
ふ~む。
思わず感心しました。
ふとくなる
ほそくなる
じっさい(実際)/じつぶつだい(実物大)
だと〝ネタばれ〟してしまうからでしょうか。
ふとめ
ほそめ
げんじつ
という表現が絶妙だからです。
なんだろ?と気になるではありませんか。
公園を出る際に知ったのですが、あのバッグは「図書館」のようなものでした。
好きなバッグを園内の好きな場所へ持って行き、中の本を読んでいいのだそう。
読み終わったら、バッグごとまたあのあずまやへ戻すのがルール。
今日はあいにくの天気でバッグも本もヒマそうでしたが、お天気のよい日はこの「図書館」を利用する人がたくさんいるのでしょう。
バッグの正体がわかった今となれば「へえ、素敵なシステム。不気味に思ってソンした」と思ったギリコです。
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公園で他愛のない時間を過ごした後、新幹線で東京に戻る途中。
検査結果のことを思い出し、ひとまず健康であることに感謝しました。
もし検査の結果が思わぬものであったら……
救いになるものが欲しくて、私は公園のバッグに入っていた本やかがみのいえに映った自分の姿に何かしらメッセージや意味を見出だそうとしたかもしれません。
………いや、公園の存在に気づく余裕すらなかったでしょう。
そう思うと薄暗い公園のあの風景とそこで過ごした束の間の時間が、また違ったものに思われしみじみしてくるのです。