名バイプレイヤーとして八面六臂の活躍を続ける佐藤二朗さんが、話題の映画『あんのこと』に出演している。
演じるのは刑事。売春の常習犯でドラッグに溺れる少女を更正させようとする、熱い男だ。
実話をもとにしたこの作品は、思いがけない展開で観る者をぐいぐいと惹きつける。
俳優だけでなく、脚本や監督も手がけるマルチプレイヤーの彼が、表もあれば裏もある重層的な人物を演じきった。
撮影/富田一也 ヘア&メイク/今野亜季(A.m Lab) スタイリスト/鬼塚美代子(アンジュ) 取材・文/岡本麻佑
佐藤二朗さん
Profile
さとう・じろう●1969年5月7日生まれ、愛知県出身。俳優・脚本家・映画監督。1996年、演劇ユニット『ちからわざ』を旗揚げし、本格的に俳優活動を開始。『浦安鉄筋家族』(20)、『ひきこもり先生』(21)などのドラマや、『勇者ヨシヒコ』シリーズ(11、12、16)、『HK変態仮面』(13)、『銀魂』シリーズ(17、18)などの福田雄一監督作品で人気を集める。映画『memo』(08)、『はるヲうるひと』(21)で監督・脚本・出演を務め、多方面での才能を発揮。12年ぶりに執筆した新作戯曲の舞台『そのいのち』は宮沢りえを主役に迎え11月9日~17日・世田谷パブリックシアターほか兵庫、宮城でも上演される。
吾郎ちゃんも優実ちゃんもすごい俳優だ
彼が演じると、何を演じてもその役がくっきりと心に残る。6月7日公開の映画『あんのこと』では、ヒロインの女性を更生させようとする刑事を演じた。
「現実に起こったことなんでね。それがすべて、というか」
杏(あん)という名のその女性に、父親はいない。母親のDV、貧困、小4で不登校となり、難しい漢字は読めない。売春、そしてドラッグ。
佐藤二朗さんが演じたのは、そんな彼女を更正させようとするベテラン刑事・多々羅(たたら)。そして取材と称して週刊誌記者・桐野が、ふたりに近づいてくる。
「僕が演じた多々羅は、人情家の刑事に見えますよね。口が悪くて粗暴だけど、叩き上げで情に厚い。本気で、必死に杏を救おうとしている。でもその本気さとはまた別に、人間というのは厄介なもので。
“神経質な人”でもどこかいい加減だったり、“冷たい人”でも温かい側面があったり。ちょっと矛盾があっても、それが人間だと思うので、人をカテゴライズすることに僕はあまり興味がないというか。
まあだから、魅力的な役だと思いました。俳優としてね」
多々羅が主宰する薬物更生者の自助グループに参加し、就職先を見つけ、新しい生活を見つけようともがく、杏。さまざまな困難も乗り越えようとする矢先、コロナ禍のパンデミックが杏の日常を壊す。さらに思いがけない展開が待っていて・・。
「桐野を演じた稲垣吾郎さんとは、『ブスの瞳に恋してる』とか『Mの悲劇』っていうドラマで共演していますけど、こういうからみ方をしたのはこの映画が初めてで、もちろん楽しかった。
吾郎ちゃんが演じている週刊誌記者は、時に傍観者にならざるをえない立場だし、難しい役ですよね。でもその心が揺れ動いている感じをさらっと演じているのが印象的で、やっぱりいい俳優だなと思いました。
これ見よがしに演じるのではなくて、顔は冷静なんだけど、心は乱れているというのがちゃんと伝わってきて。すごい俳優ですよ」
杏を演じたのは、ドラマ『不適切にもほどがある!』で主人公の娘・小川純子役が絶賛された河合優実さん。主演映画『ナミビアの砂漠』がカンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞するという、今注目の若手実力派俳優だ。
「本作でも彼女はすばらしいですね! 僕が10年くらいかけて気づいたことを、彼女はもう知っている。たいした俳優さんだと思います。役の捉え方というか、本当のことをこぼさない。本当の人っぽく、本当にいる人に見えるということです。
こういう映画のとき、絶対に俳優は客に届けたいわけです。実際に4年前に起きたことだから、本当にこういう人がいるんだって。
僕も吾郎ちゃんももちろんそのつもりで演じたけど、彼女の役はすごいしんどい役ですから。あの年でそれができるなんて! そういう子にしか見えなかったからね。すごいと思います」
河合優実さんも稲垣吾郎さんも、もちろん佐藤二朗さんも、与えられた役を生きている。この3人が演じたからこそ、この映画の核心は、観客の心に届くはず。
「キャリアを重ねると、俳優の垢っていうのかな、その人自体の存在感が作品を邪魔してしまうことがある。顔を知られているから『ああ、あの人が今度は刑事なのね、今度は医者なのね』なんて観ちゃうじゃないですか。
もちろん顔を知っていただいているのはありがたいことですし、『僕の顔を、忘れてください』というのも無理な話(笑)。でも作品に没頭してほしい。
だからどうするかっていうと、その垢を意識的にせよ無意識にせよ、こそげ落とす。それを排することができないと、作品から本当のことはこぼれていくんです。
で、優実ちゃんも吾郎ちゃんも、それがちゃんとできている。本当のことをこぼさないんですよ。あれ? 我ながら今、いいこと言ったな(笑)」
もちろん二朗さんも、こぼさない。
本格的に演劇活動を開始してから、そろそろ30年。まったく売れない“暗黒の20代”を過ごし、30代から徐々に存在感を増して、40代からは演技力のある個性派俳優と呼ばれるように。
さらに、俳優として活躍するだけでなく、戯曲を書き、シナリオを書き、映画監督としても才能を発揮している。
「今はもう、結婚して子どもができて、『げげ、こんな俺にも家族ができたんだ』と夢のように感じてますが。
でも良い家に住みたいとか良い服を着たいとか、そういうことが目的で芝居を始めたわけではないので。やっぱりその、『お芝居のもっと奥に行きたい』というようなことを、今思っています。まだまだ奥に行けそうな気がするから」
俳優業と作家活動の両立は、大変。だけどそれは「別腹」なのだとか。
「昔、緒形拳さんとご一緒したときに、僕が深夜ドラマの脚本を書いていることを知って、『佐藤、お前、そんなことをしている場合じゃないぞ。俺はこの年になっても芝居を探求しつづけているんだ。書くなんてことを、やってる場合じゃないぞ』って。ものすごくかわいがっていただいたんですけど、そう言われたんです。
緒形さんの言葉は昔も今も、まったくその通りだと思っていますし、かわいがっていただいていたからこその忠告だったと思います。
ただ、これはもう『別腹』としか言いようがないんですが、どうしても僕には演じる欲求とは別腹で、書く欲求があるようで。その『やりたいこと』を無理に封じ込めず、素直にその気持ちに従おうと思っています」
2012年から始めたX(旧ツィッター)での発信も、その別腹のひとつ。
「最初は宣伝目的で始めたんですけど、途中からこれも、140字という制限はあるけれど世界に発信するわけだから、書く欲求を満たすツールのひとつとして考えていいかなと思うようになりました。そうしたらありがたいことに、あれよあれよという間にフォロワー数が増えて(2024年6月現在・約206万人)、ありがたいです」
その人気は、選りすぐりの名言を集めたコラム集が発売されるほど。ほっこりする話や刺さる言葉も数々発信されて、佐藤さんのいろいろな顔が楽しめる。
そういえばこの映画を見て思うのは、人には誰にでも外側からは見えない裏の顔がある、ということ。
「多面性ってことで言うと、僕は精神年齢6歳の55歳児ってことですね。いつまでも少年の心を忘れないとか、そういうポジティブな意味じゃなくて、本当に幼いです。
例えば僕、カニがすごい好きなんですよ。家族で『かに道楽』に行ったりすると、僕は息子以上にそわそわする。頼んだカニはまだかな、まだ出てこないかなって(笑)。妻からは、そんなにそわそわする大人を私は見たことがないって言われます。
今夜は家で野球観戦しながら晩酌するぞってときも、息子にテレビの前の席を独占されちゃうとマズいので、夕方からその席の前に醤油皿と箸を置いてキープしておく。そわそわマックスです。それを見て妻は、あなたは父親というより長男みたいだって(笑)」
それにしても。『あんのこと』の多々羅刑事を演じる佐藤さんと比べると、今現在この取材を受けている佐藤さんは、かなりシュッとした感じ。顔の輪郭も体のシルエットも、引き締まって見える。
「この映画の撮影が終わってから、体重を12キロ落としたんです。1年で12キロですよ! 生まれて初めてのダイエットです」
その面白そうなお話は、後編に続く!
(佐藤さんのユニークなダイエットついてのインタビュー後編はコチラ)
『あんのこと』
幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強要されてきた、杏という名の21歳女性。覚醒剤使用容疑で警察に捕まり、更正の道を歩もうとするが、新型コロナのパンデミックが起こり・・。2020年の日本で実際に起きた事実を伝える新聞記事をもとに、入江悠監督が映画化。主人公の杏を河合優実、彼女に更生の道を開こうとするベテラン刑事・多々羅を佐藤二朗、杏と多々羅を取材するジャーナリスト・桐野を稲垣吾郎が演じる。
2024年6月7日(金)より新宿武蔵野館、丸の内TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開
配給:キノフィルムズ
監督・脚本:入江悠
出演:河合優実 佐藤二朗 稲垣吾郎
河井青葉 広岡由里子 早見あかり
©2023『あんのこと』製作委員会
公式サイト:https://annokoto.jp/