お話をうかがったのは
西村宏堂さん
©Ibuki
1989年生まれ。ニューヨークのパーソンズ美術大学卒業後、アメリカを拠点にメイクアップアーティストとして活動。ミス・ユニバース世界大会などでメイクを担当する。2015年、修行を経て浄土宗僧侶となり、現在は、僧侶であり、アーティストであり、LGBTQでもある独自の視点から「性別も人種も関係はなく、人は皆平等」というメッセージを発信。著書に「正々堂々 私が好きな私で生きていいんだ」(サンマーク出版)
私は、自分の男性としての体に違和感を持ったことはないけれど、『かわいい女の子ね』と声をかけられ、「いいえ、男の子なんですよ」と母が答えるたびに、『違うのになあ』とがっかりしていました。物心ついたころから「自分は男性でも女性でもない、もしくは男性でも女性でもある」と思っていたんです。
私には大切にしている2匹のサルのぬいぐるみがあります。この子たちにはモンチーちゃんとモニちゃんという名前をつけて、幼いころの私は「この子たちは、男の子でも女の子でもないの」と母に説明していたそうです。今思うと、私自身のセクシャリティを投影していたのかもしれませんね。
かつては自分のセクシャリティを人に悟られまいと、葛藤していた時期も
小学校で机などの重いものを運ぶ際、「男子は手伝うように」と言われたりすると「なんかイヤだなあ」と思って。私が「男の子と遊びたくない」と言い始めたことで、母の本棚には『子育て』に関する本がどんどん増えていきました。当時はまだ、LGBTQという言葉も概念も知られていなかった時代でしたから、「自分は親を悩ませているんだな」「自分が感じている違和感(性自認)を、親にも、先生にも、同級生にもバレてはいけない」と隠すようになっていきました。
そうして孤独な高校生活を送っていたある日のこと、「西村、あいつ、オカマでしょ」と同級生がつぶやく言葉が聞こえてきたんです。その瞬間、「隠していても、わかっちゃうのか」と、私の心はギュッと締め付けられて、小さくしぼんでいきました。「そうだよ、男の人が好きなんだ」と言える強さを、当時の私は持っていなかったから…。
そんな10代の暗黒時代に唯一、救いとなったのが得意な英語でやり取りできるゲイチャット。ネット上で同性愛者の仲間と悩みを相談し合い、励まし合ううちに、「アメリカなら、私を受け入れてくれるかも!?」と、18歳のときにアメリカへの留学を決めました。
ところが「アメリカに行ったらすべてが変わる」と思っていたのに、なかなか友だちができず、またアジア人の外見であるということにも劣等感を感じてしまい、「ここでも自分は受け入れられない存在なのか」と落ち込む日々。そんなとき、2007年度のミス・ユニバース世界大会で「日本人の森理世さんが優勝!」というニュースが飛び込んできました。えーっ、日本人なのに?とビックリ!
その出来事をきっかけに、「日本人だから受け入れてもらえない」なんて言い訳にしちゃいけないな、「私らしく生きていこう」って思うようになったんです。リアルに同性愛者の友人ができたのもこの頃です。メイクに挑戦し始めたのもこの頃です。
ミス・ユニバース世界大会で「私は女性です」と宣言したトランスジェンダー女性から勇気をもらう
編入した美術大学では、教師も学生もLGBTQであることを隠さないで生きている人たちがたくさんいて、自由に生きている姿を見せつけられました。おかげで、「同性愛者だと隠さずに生きることも、メイクすることも問題ないじゃない!」と、強い気持ちを持てるようになった。2015年、25歳のときに両親にカミングアウトすることを決意しました。
その後メイクアップアーティストの師匠と出会い、あこがれのミス・ユニバース世界大会で仕事をしたときのことです。アンヘラ・ポンセさんというスペイン代表のトランジェンダー女性が、2018年のミス・ユニバース世界大会で史上初の出場を果たしたのです!しかも、私がメイク担当として、彼女を輝かせるお手伝いをすることに!
アンヘラさんは性適合手術を受けたことを公表していたのですが、「本当は男じゃないか」「ミス・ユニバースの歴史を汚すな」などと、非難の声を浴びていました。けれども彼女はそんなバッシングにもひるむことなく、「私は女性です」と正々堂々と宣言したんです。
「女性にはいろいろな形があって、体形も肌の色も違うし、それぞれのストーリーを持っています。私は男性の体で生まれたけれど、途中から女性になったわけではなくて、生まれたときから女性なんです」と。
当の本人が「私は女性です」と宣言することで、周囲の批判は効力を失うものなのだと、胸が熱くなりました。人に何と言われようが自分を疑う必要はないし、自分を小さく感じる必要もない。だって、自分がどういう人間かは「自分が決めること」だから。
「実体のない価値観」にハンドルを奪われないで。自分の人生のハンドルは自分で握る!
そもそも否定や批判というのは、世間体などの「実体のない価値観」を根拠にしている場合が多いように思います。「実体のない価値観」にハンドルを奪われることがないように、自分の人生のハンドルは自分で握らなくては!
たとえば、「常識から外れている」「あなたは普通ではない」といわれたとしても、人の「普通」に合わせる必要はないと思うんです。
母が以前、こんなことを言ってくれました。「『こうしたほうがいいんじゃない?』と私が言ったとしても、こうちゃんが『違う』と思ったなら、私をさしおいてでも自分が思った通りにやりなさい。他の人のアドバイスに従って、幸せになれなかったとしても、その人は責任をとってくれないのよ。他人にハンドルを奪われないように、自分が納得のいく選択をしてね」って。
「そんな仕事をしてもお金にならない」とか「あなたがしていることはひと握りの人しか成功できない」と言われたとしても、私にとっては挑戦すること自体が大事なこと。失敗したとしても、「それも人生の味わいのひとつ」と考えています。
「普通はそんなこと、なかなかできないよ」といってくる人は、その人がたぶん「自分にはできない」という観念に縛られているんじゃないかな。その人にとっての「普通」は、それまで生きてきた経験の上に成り立っているものだから、そういう人の「普通」に合わせる必要はないんじゃないかな。能力や可能性というのはそれぞれ違うものだし、やってみないとわからない。まずはチャレンジしてみることが大事だと思います。
■Youtubeで、西村さんの講話を見ることができます。
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取材・文/大石久恵