お話を伺ったのは
本名:保森 千枝(やすもり・ちえ) 自宅でサロンスタイルのイタリア料理教室「Cucina Curiko クチーナ・クリコ」や「和食料理教室」を開講。2012年に夫のがん闘病をきっかけに、介護食づくりを始める。噛む力を失った夫のために、さまざまな介護食づくりのノウハウを確立。夫亡き後も、新作レシピをはじめ、介護食の情報をサイト「クリコ流のふわふわ介護ごはん」にて発信中
同じ食物を「おいしいね」と共有できる喜び
介護食に限らず、食事をする第一目的は、体を養うための栄養を食べ物から摂取するということですが、それと同じくらい、一緒に食事をする人と幸せな時間を持つということも大切なはず。クリコさんはアキオさんと「おいしいねと語りあいながら食べること。食べる喜びを共有する時間」を心から大切にしたと言います。
「夫は食べるスピードも遅いですし、一緒に食卓を囲んでいても夫は介護食、私は普通食となると、夫は疎外感を感じてしまうのではないかなと思いました」
そこで、1食のメニューの中に1~2品、クリコさんと同じおかずを用意するようにしたと言います。「たとえば、お刺身を細かく刻んでタルタル仕立てに。見た目も美しく仕上がります。市販のおいしいドレッシングで和えてもOK。イワシやアジなら、薬味や味噌を加えたなめろうにすると、適度な粘りがあって、飲み込みやすく、口の中でばらけないので、介護食としてもいいし、家族もおいしく食べられます」
魚とアボカドのタルタル仕立て。この日はホタテとマグロの刺身を使用
「同じものを食べることで、夫に疎外感を感じさせずにすんだのではないかと思います」とクリコさん。「毎食でなくていいと思いますし、1日のうちの1食、1回の食事の中の1品だけでもいいと思います。『おいしいね!』と語り合いながら食べることは、心を元気にしてくれるのではないかと思います。そしてそれは、私にとっても何ものにも代えがたい喜びでした」
お気に入りの食器で料理をランクアップ
一般に、食事は「運ばれてきた料理を目で楽しむことから始まる」と言われますが、これは、介護食も同様だとクリコさんは考えます。
「病院の流動食をみたときに思ったのは、それがどう見ても、『おいしそう!食べたい』と思える見た目ではないということでした。「命がかかっているのだから、見た目なんかに贅沢を言わず、栄養をとることだけを優先して食べればいい」というご意見も、もちろん正しいとは思うのですが、盛り付けや見た目を美しくして、食欲がアップし、その結果楽しく食べられて食べる量が増えれば、体力回復に役立つと思います。やはり介護食も、見た目もよいほうがいいのでは?と思いました」
見た目をグレードアップするには、器の力を借りるのもよい方法。スーパーで買った刺身も、少し良いお皿にするだけでぐんと格上げできます。いつものおかずも、塗りのお盆に盛れば、ググっとグレードがアップします。
「縦に盛り付けることで、色のコントラストがきれいになります。料理は立体的に目に映るようにするのが、おいしく見せるコツです」とクリコさん。
野菜のピュレは、平らなお皿に入れると、だらっとしてしまって全然おいしそうに見えないので、ピュレでムースとジュレを作り、グラスに2層にして入れるといった工夫で、おしゃれな雰囲気にしたそう。
にんじんのムース
ほうれんそうのムース、豆腐ソース
またテーブルセッティング(クロスやランチョンマット、カトラリー)を暖色系にすると、交感神経が刺激されて、食欲が増進すると聞いたので、温かみのあるテーブルセッティングを心がけたそうです。
「また、同じ料理も、お弁当箱に入れると見える景色が全然違うというのは、以前から思っていましたので、お弁当箱に流動食を詰めてみたこともあります。ふたを開けるときのワクワク感、期待感っていいですよね。食事って、そういう、食べる前からのワクワクする、楽しみにする気持ちがすごく大事だなと思います」
食べる場所もダイニングルームだけでなく、お天気のよい日にはバルコニーで食べるとか、日常の中で、ほんの少し変化をつけることで、気持ちが変わるようです。「やはり本人としては、うまく食べられないということはすごくストレスになっていると思うので、そんなに大きなことはできないとしても、それを食事で少しでもゆるめてあげることができたらいいなと思ってやっていました」
自宅療養中、病院近くの浜離宮にて。通院の帰りに桜を見に立ち寄って、お茶目な一枚をパチリ
介護食は特別なものでなく家庭料理の1ジャンル
こうして、アキオさんとの最後の時を、さまざまな工夫を凝らした手作りの介護食とともに過ごしたクリコさん。残念ながら、アキオさんは、1年の介護生活の後、天に召されました。でも、それは、クリコさんの介護食づくりの終わり…ではありませんでした。
クリコさんは、アキオさん亡き後も、精力的に介護食のレシピ開発に挑んでいます。自身が介護食を始めた頃は、今以上に情報がなく、手助けになる商品も少なく、手探りで失敗を繰り返しながらやっていた経験を活かし、少しでも同じような「介護食づくり」に行き詰っている人の助けになれば…、と精力的に介護食の開発に取り組んでいます。
「私はたまたま料理の仕事をしていましたし、家族構成も仕事も、すべての時間を夫の介護食づくりに充てられるという状況だったからこそできたことも多いです。でも、お仕事があったり、ほかの家族のお世話もあったり、忙しい、時間がないという人のほうが圧倒的に多いはずです。それなのに、介護食に関する情報はまだまだ足りない状態。超高齢化社会を迎えた今、必要としている人がこんなにもいるにもかかわらず、なかなか状況が改善されていないなと感じています」
介護というのは、そのご家庭ごとに、それぞれのスタイルがあるものだと思っています。『これが正しい』というものはないと思います。私のレシピや介護スタイルも、参考になる部分がもしあれば、試してみていただけたらと思っています」
「介護食に出会えてよかった、と心から思っています」とクリコさん。コロナ禍の3年間で、講習会などの活動ができなかった分、自分の時間が増えたので、自宅のキッチンでひたすら介護食のレシピ開発に挑んでいたと言います。「新しいレシピが100種類くらいできました!」とクリコさんは目を輝かせます。
亡くなった後も、クリコさんに「介護食をつくる楽しさ」という、やりがい、生きがいを残していってくれたアキオさん。クリコさんの「介護食」への情熱は尽きないどころか、いっそう大きくなっていると言います。「もっと、簡単に作れて、栄養価が高くて、みんなが喜んで食べられる介護食を作っていきたいですね」とクリコさん。自身のHPに寄せられる、介護中の方からの、「レシピが役に立っている」とのメッセージがクリコさんにとって、今「いちばんの嬉しいこと」だと言います。「介護食との出会いは、本当に彼からのギフトだなと思っています」
取材・文/瀬戸由美子