お話を伺ったのは
「グー先生」の愛称で親しまれる、料理研究家。科学的な分析と確かな技術から、個性豊かな創作料理を次々と考案。食材の新たな魅力を引き出している。 明るく親しみやすい人柄にファンも多く、TVや雑誌等のメディアにも多数、出演。主宰する料理教室「アトリエ・グー」もキャンセル待ちが出る大人気
施設の義母には甘辛おかずやお菓子を
結婚後は、夫の両親と長年同居していた林さん。今年1月に亡くなった義母は、認知症を発症したのをきっかけに10年余り、介護施設で過ごしました。義母は以前から、老後は義父の貯めてくれていたお金で、義父と一緒に老人ホームに入る、と決めていたとのこと。そして、林さん夫婦は、ときどきレストランへ連れて行ったり、林さんが作ったロールケーキを届けたりしていたそうです。
施設で暮らす義母には、コロナ禍の前は最低でも月に1回、多ければ2~3回、会いに行っていたそう。コロナ禍中はまったく会いに行くことができず、ようやく面会できた時には、認知症が急激に進んでしまったなと感じたそうです。「やはり人と会って話をするという刺激はとても大事なのだなと思いました」
介護施設の食事は高齢者向けの減塩食が基本。認知症気味になってくると、ぼんやりとした味だと食べても味がよくわからず、物足りない感もあったようです。義母は血圧に問題がなく、医師から減塩も指示されていなかったそう。少し濃いめに味つけをしたおかずや甘いものを持って行ったり、外食に連れて行ってあげたりすると「とてもおいしい!」と、喜んでくれたそうです。
嫁だからこそ、少し冷静に介護することができる
自分の両親と夫の両親、それぞれの親の介護に関わってきた林さん。やはり「嫁として」と「娘として」という、この2つの立場に対して、介護の場で求められるものはまったく別物。高齢の親に対して、娘としてできることと、嫁としてできることは違うと感じたそうです。そして、嫁としての経験は、娘として実母に接する際に役立つし、娘としての経験は、嫁として接する際に役立っていたと言います。
「血がつながっていると、どうしても親の『老い』を認められずに、期待することが大きくなってしまうように思いました。たとえば夫は、自分の母親が認知症で、自分のこともわからなくなりつつある、という現実に直面しましたが、なかなかそれを受け入れられないものです。『僕だよー、わかる~?』なんて、何度も聞いてしまうんです。私は『わからないんだから聞いたりしちゃ、だめでしょ』と言うのですが、実の息子である夫は『わからないわけがない』と思ってしまう。しつこく問いかけてしまいますね」
また、何度も同じ話をしたり、わかってもらえなかったりすると実子は『だからー、もうー。何度言えばいいの!』とか言ってしまう。でも、嫁の私は傍らで、『それ、言っちゃだめだー』と思いながら見ていました。嫁は他人なので、これは私の仕事とある意味、割り切れるんだと思います。何回も同じ話、同じ質問をされても、『うん、うん』って付き合うことができました。
でも、そんな私も、同じことを大阪の実母がしたらきっと、そんなふうにやさしくはできないと思います。夫と同様、『だからー』『もう~』と言ってしまうでしょうね」
娘として甘える部分も残しておいていい
実母が85歳になったときに林さんは、iPadをプレゼント。今はもう、手が震えるので画面を押せなくなってしまい、使わなくなってしまったそうですが、去年くらいまでは、メールを中心に使っていたそうです。
「指先の刺激になるのも良いですし、孫の写真を送ってあげると、大きく見ることができるので、すごく喜んでくれて、楽しんでいました。高齢者こそ、IT機器を使えると、楽しみがひろがる気がします。私も電話より、連絡しやすいので、メールを使えるようになってもらって助かりました」
また、介護となると、何から何まですべてやらなくてはいけないと思ってしまいがちですが、そうなると、本当に大変なので、やりすぎにならないようにすることも大切だと林さんは言います。
「たとえ親でも、のしかかられると、子どもはすごく苦しくなります。なので、『できることはやってほしい』というスタンスで接することが大切です。『自分でできそう?』と聞いてみて、『それはできそう』と言われたら、そこは引いてOK。なんでもかんでも先回りしてやるのは、親の老化を防ぐ意味でも、よいことではないようです。転ばぬ先の杖は不要だと思います」
親も、子どものために何かしたいと思うことが、元気の源になるという面もあるようです。
「1年くらい前、介護施設に会いに行ったときのこと。ほとんどベッドで寝て過ごしていて、歩こうとするとヨタヨタするような状態なのに、私が『そろそろ帰るわー』と言ったら『遠いところ大変やったろ』とか言いながら、何やらごそごそ荷物をいじりはじめたんです。何をしているのかと思ったら、『はい、おこづかい』って…。いい年した娘におこづかいもないでしょうと思って断ろうとしたら、そばにいた兄が小声で『もらっとけ。俺ももらってるから』って。子どもはいつまでたっても子どもなのかな、と思ってちょっと笑ってしまいました」
実母は気が強かったため、若かりし頃は、林さんともかなり激しい母娘げんかをしたそう。今でも頭はしっかりしていて、口も達者なままなので、「親つく」を送っても、「なんか知らんけど、こんなん送ってきた。頼んでもいないのに」とか、少し憎まれ口をたたかれたこともあったとか。でも、そういうのを聞くと「あ、元気なんだな」と思えて、ちょっと安心したような、嬉しいような気持ちにもなったそうです。
料理を通して広がるコミュニケーション
林さんが大阪の両親に送っていたという「親に作って届けたい、つくりおき」、略して「親つく」。そのメリットとして、単に高齢の親の食生活が豊かになるというだけでなく、もうひとつ。「親の家を訪ねるとか、電話をかけるなどのきっかけになる」というのもある、と林さんは言います。
母親に電話して「最近どう?」と聞いても「なんにもあらへん」で終わってしまっていまいがちでしたが、電話して「あれ食べた?」と聞けば、「おいしかった」とか、おかずの感想をきっかけに、話がひろがることがよくあったそうです。
「老化は、徐々にではなく、あるとき大きく進むことがあります。『親つく』を通して、日常的に交流することで、親の体力や気力の変化に気付くこともあるかなと思います。送った料理の食べ方を伝えて、それができるかどうかを確認することで、自分の親が、今どのような状態か、どこまでできるのかを知ることができます」
また、林さんは母親の近所に住む、おばさんの分のおかずも一緒に入れて、「これはおばちゃんと一緒に食べてください」と書いて送ることがあったそうです。そうすると、母親はおばさんに電話して「また、娘がなんか送ってきたから取りに来て」と連絡していたそう。親戚づきあいのきっかけにもなっていたようです。
送られた季節の果物や故郷の特産品お裾分けするときなど、「送る食べ物」というのは、こうした人と人をつなげる、コミュニケーションツールとしての役割もとても大きいもの。「親つく」は、高齢の親の交流の輪が広げてくれるという、意外なメリットもあるようです。
取材・文/瀬戸由美子